オレンジ/ネムリヒメ/③アマガエル
オレンジ
ネムリヒメ
③アマガエル
トランプを広げた様ならせんを描く鉄製の階段をカンカンと響かせてガレージに降りると、会社と公道の境界線に放物線の天辺の様につま先をあてて少女がしゃがんでいた。コーデュロイの、モスグリーンの、ハイウエストのワンピース。「すごいね」彼女は云った。「ああこれ」水上バイクか。小さな頭を包み込むようなショートヘア。見上げる瞳は黒目がちだが、白目の部分は青く透き通るようだ。なんだろう。アマガエルの精かな。
「動かないんだ」
「動かないの」
「うん。廃棄するやつをもらったの」
「動かないのに」
「羽振りがよさそうに見えるでしょ。入口にこんなんあると」
「なるほど」膝の上に頬杖をついた。「オブジェだね」
「うん。オブジェ。ぴかぴかでしょ」燕の頭の様な舳先をするりと撫でて見せた。
「でもどうするの。雨が降ったら」
「なんとかなるよ。ほらそこ。自転車いっぱいあるでしょ。水を切って進むよ。それにね。なんとかならない時には、町や市のレベルでどうしようもなくなるから。ここそんなに閉鎖された世界じゃないから。あってもなくても大勢に影響はない。そんなもんだよ」
「動かないんだね」彼女はもう一度繰り返した。
「うん。申し訳ないけど」
「じゃあ大丈夫だね」
「大丈夫?」
「自転車なら避けられるよね」
彼女はクラウチングスタートの様に立ち上がった。
どこから持ってきたのだろう。壁際に七つの椅子が重ねられている。彼女はそれを身体ごと使ってひとつづつ運ぶ。椅子というよりは踏み台の様だ。平たくて安定がよい。「手伝うよ」僕は重ねられた椅子を一つずつ下し、彼女より遠くまで運ぶ。「真っ直ぐより少し蛇行した方がいいよね」「うん」不規則な星の並びの様な列を作っていく。よろけたときに掬ってもらえるように。
窓から寒原が見ている。「わかってるよ。マドラー。今日は忘れないから」買物に行くところだったのだ。「枕木かあ。気がつかなかったな。僕も手伝いましょうか」身を乗り出して云う。「いいから。上からバランス見てくれない」
窓を洗うように流れていた雨はお昼過ぎには止んだ。そうして少しずつ水位があがってくる。クロックスの出番かしら。私は机の下に屈んでパンプスをそっと履き替える。処理済みの書類をクリップで分けて、水色のファイルにはさんでから、ゆっくりと立ち上がり窓から外を見下ろす。ガレージから広がる水面に日が差してちらちらと眩しい。ライムグリーンの長靴をはいた少女が木琴の上をはねるように渡ってくる。二つとばして、一つとばして、二つ続けて。ドレミファソラシ。ああ。ミソラか。美空、ごめん。降りてくから。待ってて。
(了)