見出し画像

パイン/パイン/③おやすみばく

パイン

パイン

③おやすみばく

「もしもまだテーマを決めかねているのなら」
 春海が覗き込むように頭から教室に入ってきた。
「いや、こういうこと気に入らなかったらなんなんだけど…」
 そう云い乍ら後ろ手に隠していたクッションのようなものを突き出した。ばーんという効果音とともに。
「なんですかそれ?」るりがきく。
「いや手芸部の子が文化祭のバザー用に作っていて、試作品なんだけどもらったんだ。かわいくない?」
「改良の余地はあるな」ひょいと敬一が受け取った。検針するように見まわしている。
「住吉くん手芸部も覗いてきてやってよ」横から窺ってのどかが云う。「わりと適切なアドバイスできそうよ。第三者的な」それからるりを見て笑う。「俯瞰?客観?ねえ」 
 のどかちゃん自分で自分のコトバをフォローしたなってるりは思う。第三者ってコトバが突き放したように聞こえて別のコトバで補っている。体育会系ののどかちゃんはコトバにも瞬発力があると思う。でもぴゅんと飛び出た後に少し慌てて、そんなつもりじゃないのってコトバを添えようとするのだ。そしてそれがいつも適切で、この人はとても頭の回転が早いと思う。体と頭って直結するのかな。のどかちゃんはやさしい。こんな風に近づかなければ、私は「砂原さん」を全然違うイメージで構築していただろう。そしてきっと近づけなかっただろう。あとね。住吉くん気にしていないよ。あの子はあなたのコトバから悪意なんか抽出しない。
「抱き枕的なものだと思うんだけど。ぬいぐるみ的でもありクッション的でもあり…」
「マスコット的でもあり、ゲン担ぎ的でもあり、お友だち的でもあり…」敬一の羅列を掬うようにるりが続けた。「なんかいいかもしれない」
「手芸部と癒着してみるか」敬一が云った。
「まずこれなんだ?」「バクだよな」「特徴ないよな」
「カタチは揃えて、色はいろいろで。リボン…ここバリエーションで」男子の会話をしり目にのどかがばくを抱き上げて提案する。
「アイドルとかさ。メンバーカラーとかあるからそこ大事なのよ」笑が云う。「着脱可能にした方がいいかも」
「名前もつけなきゃ」「おやすみばくでいいんじゃない?」「そのまんまじゃない」「だってまずバクなんだもの」「るりちゃんは?」「るりは?」「月岡さんどうですか?」
「おやすみばくで」るりは笑った。
「じゃあ樋口くんと住吉くんで手芸部に行ってきて」
 のどかがおやすみばくを両手で二人に渡した。

 夏休み。八月の真ん中を過ぎたころ。みんなで笑のうちに集まった。寸劇部のこれからを考えよう…というのもあったが、宿題の進行具合も付随していた。休み明けにはテストもある。
「なんかごめんね。るりちゃんと住吉くんがいるの心強くて」笑が云う。
「なんかごめんね」かぶせて春海が笑う。
「いや、私は小心者故手堅くするだけで、成績なんて凡庸なもんだし…ごめんね」
「いや…あやまるとか意味わかんないし」敬一は鞄の中身をとり出して机の上でとんとんと整える。「適当に補い合いましょ」
 しばしわいわいとコトバとプリントが行き交っていたが、高校生活も始まったばかりで、まだ大きな欠落もなく、どちらかといえば確認と穴埋めのような作業で、気がつけば打合せに移行している。
「あのホコラさ。なんか会いたい人を願う場所みたくなってたみたいよ」「ああ~それなんか根付きそうだな」「まつとしきかばみたいだね」「何だそれ」「猫が帰ってくるおまじない」
 最初はいつもこんな感じだ。とりとめがないけど脱線はしていない。春海とのどかの会話を聞き乍らるりは思う。不思議と自分一人でものがたりを作っている感覚にならない。ここから始まっている。
「今度は文化祭」敬一が云う。「またちょこっと潜り込ませてもらう」
「こないだと同じくらいの感じ?」
「そう…」のどかの問いかけに、みんなに尋ねるように応える。「なんか今の感じが好きなんだ。深夜の三十分番組みたいな。ゴールデンタイムの一時間じゃなくて」
「わかる気がする。パイロット版みたいな感じ」「それ逆行してるだろ」
 春海とのどかの会話を笑ってるりはきいている。エアコンの利いた部屋で。十月。ものがたりに茶色いフィルターがかかる。
 
 笑の部屋は女の子らしいものではあったが総じて無機質であった。写真やポスターも飾られていない。「シンプルだね」そんな感想が行き交う。
「なんか写真とか落ち着かなくて」笑は云った。「大事なものほどしまいこんじゃう。こないだみんなと撮ったのも抽斗の中。抽斗の中って大事な場所なの」
 枕元にちいさな整理棚が置いてある。「秘密の箱」春海が云う。いや、きっと禁断の扉。るりは思う。
 笑はベッドに腰かけて抽斗を開けるとフォトフレームを持ってきた。フォトフレームを出す前に一枚アイドルグループの写真を出して元に戻した。ああ…プレミアムフォトカードで隠してある。るりは思った。

 駅裏のうなぎ屋の前で笑と少年と二人にこやかに笑っている。
 誰?…という顔を見渡してから、「お兄ちゃん」と云った。
「えっとね。両親再婚で、お母さんの前の旦那さんの子供で。ハラチガイじゃなくてね。パパがちがうんだな。でね。もういないの。こないだもお盆のお参り行ってきたよ」
 しんとしてる。みんな知ってたのかな。知らないだろう。たぶん。私だって初めて聞いたのとそんな変わらない。るりは思う。何も知らない。でもだから話すのだろう。笑ちゃんは。私にも、みんなにも。写真。なんか昔見た童話の挿絵みたい。青い鳥だっけ。雪の女王だっけ。
「なんでうなぎ?」最初にコトバを発したのは敬一だった。
「あのね。土用の丑の日にここで外でうなぎを売ってたの。アルバイト。たまたま見かけたの。びっくりして。で、それから会えるように努力するようになっちゃった。思い出の場所なの。だからここで写真撮ったの」
「ここのうなぎ好き」のどかが云った。「もっと有名なとこあるけどここが好き。私もしかしたら買ってたかも。お兄さんから」
「オレもここ好きだよ。外側ぼろいけど。店の中いつもきれい。行き届いてる」春海が云った。うなぎ屋ほめてる。なんだかおかしいや。
「写真あんまりないんだ」
「いいんじゃない」敬一が云う。「昨今のデフレーションを考えれば。気に入った一枚を抱えてるほうがずっといい気がするよ」言葉の使い方あってるのかよ…と敬一は思う。もしかしてオレが一番動揺してる?
「あ…それでね。こないだ来た上林さん。お兄ちゃんの友だちなの。お通夜もお葬式も来てくれて。法事とかは来ないけど。親戚になっちゃうから。でもお墓でよく会って。でね、いろいろ頼んじゃったんだ」
 親戚みたいなもの。その言葉を反芻するような空気が流れているのをるりは感じる。上林さんのことを説明するためだったのかなとるりは思う。それともお兄ちゃんのこと話すために上林さんを呼んだのかな。

「ありゃリビングでできないわな」帰りの道で春海が云った。「いきなり女子部屋に通されてどきどきしたわ」
 笑の家を出たときに、さて…といきなり重くなった空気は少し和らいだ。
「るりは知ってたんでしょ」
「うん。出会ったのがお墓だったから」
「なんか上林さんと似てるね」
「うん」
「でもね。思う。上林さんにしても、るりにしても。偶然じゃないんじゃないかなって」
「偶然じゃなくて必然」敬一がつぶやく。まあ、たいていあとから思うんだけどな。
「オレらプログラミングされてたのか?」春海が云う。女子の会話の後ろを二人でゆっくりと歩いていた。「ミッションは何だ?」
「ああ…なんか笑のことみたくなっちゃったかもしれないけど。ちがうよ。ただ笑のお兄さんが起点なのは正しいかもしれないけど。でもね。私思うの。みんないっしょ」それからのどかは云った。「ゴールデンウィークにさ。るりのファイル見せてもらったでしょ。私忘れられないフレーズがあってね」

 パイン 雪 るりたては 
 血を流さないきれいな名前
 人は自分の中にしか喜びを見いだせないのだろうか

 るりはミツルに自己紹介したときにのどかが云った「踊っている自分が一番楽しい」という言葉を思い出した。内側に向かう言葉に驚いていた。自嘲するような。この世の光を集めるような人だと思っていた。「パインとペインが似てるなあって思って」申し訳ないような気持で云った。
 たぶんそれだけじゃないんだろうな。敬一は思う。なんとなくわかるよ。浸食されたくない。感化されたくない。そんな感覚でしょ。でもその傍らで理解者を求めてて。ゆらゆらして。そうして無機質なものにあこがれるんでしょ。あと砂原さんは月岡さんの根強いコンプレックスに気づいていろんなこと平坦化しようとしてる。それがさっきの「みんないっしょ」か。反射的なものかもしれないけれど。ずいぶんきれいな反射神経じゃないか。
「なんか不思議だね」「何が」「パイン。痛みなんか感じないのに」「ホントは痛いのかもよ」「そっか。外側あんなにガードしてるものね」
 春海とのどかが話している。気がつけばみんなの会話は笑いまじりになっていて、るりはここへ導かれたのなら幸せだと思う。たぶんきっと、なんかの途中なんだろうけど。ああ、いつか順番にいろいろな色の光を当てて最後に全部集めた真っ白な光の中でのどかちゃんがすくって立つようなお話作りたいなあ。住宅街の児童公園の常夜灯に絡みつくつるバラを見乍ら考えている。

 なんで母校でもない高校の文化祭にいるんだ。ミツルは思う。それも後夜祭だ。
 寸劇部は今回は文化祭の発表に潜り込んだ。文化祭は金・土・日。一般観覧は土日。発表は日曜日の午後だった。六月祭のときと同じようにものものしいものではなく正式なクラブの発表の間をつなげるように行われた。ただ、場内の空気に期待感のようなものが漂っているのを感じた。応援とかしがらみとかではなくパイプ椅子を埋めていく人たち。滑り込みで現れるものもいたし、狭い体育館とはいえ立ち見も出ていた。そしてミツルは五人のメンバーになにか穏やかな一体感のようなものができているのを感じ、その雰囲気も決して排他的ではなく、妙に居心地がよかったので、とどまるにいたったのである。
 驚いたのは、日が落ちてきてからあちこちでおやすみばくのマスコットを持った人を見かけたことだ。劇中では抱き枕のようなものがメインだったが出回っているのは掌サイズのマスコットだった。量産型…ミツルはつぶやいた。寸劇の中でもおまじないやジンクス的意味合いで使用されていた。月岡るりの脚本は地味で内向的な傾向があるので販促効果があるのかは微妙だった。しかし、デザインのかわいさや手ごろさ、コミュニティ的役割も果たし、そしておそらく口コミでも広がり、みんなの手にするところとなったのだろう。かえって恋が叶うようなコマーシャルなら敬遠するような子たちも、あの寸劇を見て手にしたのかもしれない。高校生はプライドが高くて聡明な生き物なのだ。誰かオレにもおやすみばくをくれないかな。しかし…ミツルの思考は戻る。なんで母校でもない高校の文化祭にいるんだ。
 昔…初めて付き合った彼女の高校だ。中学を卒業するとき彼女、尾上は笑って「学校が変わってもいっしょだよ」と云った。ホントは同じ高校を受験してほしかったんだろう。でもがんばれなかった。なにか菩薩のような笑顔だったんだ。夏休みを前に別れた。やさしくされても、にこやかにされても、なんだかいろんなことがうまくいかなかった。別れて数か月たった頃、文化祭に来ないかと誘われた。行かなかった。

 砂原のどかはダンス部の仲間のところへ行った。クラス、部活、寸劇。今日いちばん忙しかったのは彼女だろう。ダンス部ではきれいなバック転を見せてたっけ。人も集まるわけだ。
 樋口春海は「ごめん!やっぱフォークダンス行く!」と走り出した。「住吉も行こ!」と半ば強引に引っ張っていった。住吉敬一の明らかに当惑している様が可笑しかった。でもとても楽しげに見えた。なんだろう。上手くつながっている。
「いかないの?」と残された二人に聞く。「行かない行かない」と笑が笑う。「あ、るりちゃんよかった?」
 いやそこで行くとも云えないだろうとミツルは思うが、実際月岡るりも行きたい様子はなさそうだ。キャンプファイヤーの喧騒としゅるしゅるとあがるロケット花火。ああ…また花火見てるや。十月の終わりの温かい空気の中佇んでいる。心躍るほど楽しいわけでもないが退屈でもない。なんだかノスタルジックだ。母校でもないのに。まだ十代なのだから、これはいつか思い出す時空間だ。記憶の形成だ。それなのに今が記憶の中みたいだ。「フォークダンス?行かない」尾上が笑う。今作られた記憶。もやがかかったような空を見上げている。

 気がつけば笑が誰かに呼ばれ、事情はわからないが行かなければいけないようで、しきりにるりに手を合わす仕草をしている。「大丈夫だよ」とるりがいう。「すぐ戻るから…」笑が体育館のほうに走っていく。どちらにしろ三人でぼんやりとしていたのだ。体制にあまり変わりはない。たぶんちょっと緊張したのはミツルの方だろう。脚本少女。とてもおとなしく、そして気位が高そうだから。

「私たち夏休みにききました」
 るりが云った。花火を見ている。あれ…とミツルは思った。二人になるのを待っていたのかもしれない。自惚れとかの類ではない。笑がいないときに話したいこと。「お兄さんのこと」
「ふーん」ミツルは云った。私たちか。
「なんだかよくわからないんです。私、何か役割を果たしているのかな」
 いや…そこまで考えなくていいんじゃないかな。役割?果たしていると思うよ。なんかいい友だちできてよかったなって。君たちみんな。なんか、そういう普通のこと。
 役割って何?救済とか…ミツルは思う。いや、そんなもの必要ないでしょ。そりゃいろんなことまだ記憶に新しいかもしれないけど。でも大丈夫だろ。心配ならおやすみばくを抱いて寝たらいい。
 るりが不思議そうな顔をしてこちらを見ている。薄暗がりだからできる仕草だ。いけない。ずっと心の中で喋っていた。オレどこまで口に出したんだっけ。
「ひとつだけあるとしたら…」ミツルは云った。
「ひとつだけ?」とるり。ああ…なんか前後つながってなかったかな。
「あの…気の合う仲間に出会って、形に残るものもつくって、今んとこ楽しい高校生活だな。でいいと思うの。野口…いや笑の兄貴のことはあんまり考えなくてもいいと思うよ。君だって、樋口くんや住吉くんや、砂原さんだって、日々いろいろ思うことはあるでしょ。もしかしたらとんでもないカミングアウトだってありうるでしょ。だから」この世は彼女の物語じゃない。そして今いる君たちの世界に物申すなら、右肩上がりなんか要らない、現状維持でいいじゃない。
「ただ、ひとつだけ貴方たちの寸劇部に笑の兄貴のカゲがあるとしたらオレです」
「まあ…そうでしょうけど」るりはつぶやいた。
「いや、あのね。オレいつもホームビデオで作品撮ってるでしょ。幼稚園の運動会のお父さんみたいに。あれさ。たぶん笑の兄貴なんだよ」
 ぼんやりとしたるりの表情は続く。フラットにとりこもうとしているのか。
「たぶんあのビデオは『兄貴の目』なの。初めて、あの六月祭のとき、ビデオカメラ越しにのぞいていて気付いた。もちろん笑はそんなことは云わない。ホームビデオで撮ってって頼まれただけ。でもなんだろう。ただ見ていたら見ているのはオレ。でもカメラレンズ越しに見ていると思うんだ。見ているのはオレじゃないんだなって」
 ロケット花火の白い光が不規則に流れては消えていく。儚いというよりは頼りなくてなんだかコミカルだ。音も光も強く主張するものはなく混ざり合って妙に静かに感じる。
「別に憑依とかそんなじゃないよ。でもきっとそう。わりとヘビィなミッション課せられたなあって思う。でもそれはオレだけだから。気楽にがんばってよ。あとさ、このこと樋口くんにも云っといて。オレ記録係のプライド傷つけてるみたいだから。キミはキミの仕事完璧にこなしてよって」

 笑が走って戻ってきた。おやすみばくを抱えている。
「どうしよう。やっぱこれ樋口くんにもらってもらっていい?」
「いいよ」とるりは笑った。
「いいだしっぺだし。最初に届けてくれた人だものね」



いいなと思ったら応援しよう!