いわかん
私達家族は、母と一緒に暮らしている。
つまり、私、妻、息子、母の4人家族だ。
そんな母が、白内障の手術の為、3日間家を空ける事となった。
息子が生後2ヶ月の頃だ。
驚いた事に生後2ヶ月の息子が、私の母を探して泣きじゃくったのだ。
私は息子に『チャアチャン(祖母の愛称)ちゃんと帰ってくるよ〜』と言いながら宥めると、その都度泣き止み、理解し、納得する様に落ち着きは見せたが、それでも、違和感は拭い去れないと言った所らしい。
当然の事ながら、3日後に退院したチャアチャンが帰ってくるとテンションがブチ上がりふぉぉぉぉおおお‼︎( ✧Д✧) となっていたのだが…
この頃のことが気になり、ふとしらべてみると、興味深い事がいくつも出て来た。
子供とは、圧倒的な秩序の元で生きているらしい。
つまり、ほんの少しの『日常の変化』に対しても、許されざる程の嫌悪感を抱くらしい。
彼らは、予定通りの毎日を過ごすことで、安心と安定を得ている。
日常を数え切れないほど過ごした大きなクソガキとは違い、小さな子供は、普段と違う雰囲気やイレギュラーなことがあると、その違和感を感じ取り、大人では考えられない程のストレスを感じるようだ。
『日常』と言うものを手にしている我々大きなクソガキにとって、普段と違う空間や状況は、新鮮で刺激的なものとして捉えることができる。
しかし、小さな子供たちにとっては、『日常』ではない空間は多大な苦痛なものかもしれない。
何故なら、彼等は『日常』と言うものを作っている段階なのだから。
それこそ、結婚生活の序盤を考えて欲しい。
最初は刺激的であったが、徐々に面倒に感じていかないだろうか?
その不快さは、語彙力の備わったクソガキだから、ストレスで済まされるだけで、そんな概念を持たない子供達はどう感じるだろう?
相手の立場になれば簡単な結論だ。
ならば、私たち大人に出来ることは何だろうか?
我々は彼らの日常を作る手助けをすることが大切なのではなかろうか?
例えば、子供が家に帰ってくると、食事の時間やお風呂の時間、寝る時間など、予定通りに過ごせるようにしてあげる。
タイムスケジュール通りに、大人が率先して動くことさえできれば、子供たちに更なる安心感を与え、ストレスを軽減する事も可能なのでは無いだろうか。
子供たちは今、『日常』と言う物を獲得しようと必死で学んでいる。
私たち大人は、彼らをどれだけサポート出来るだろう?
いや。
そうでは無い。
『日常のルーティン』をどれだけ続けていけるかなのだ。
仕事、付き合い、大いに解る。
だが考えてみて欲しい。
その一挙手一投足で、拭い去れない不快感を抱く者が居るのだと。
貴方が居ないと拭い去れない不快感を抱く子供が居るんだと。
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