見出し画像

3世紀~5世紀頃 崇神の古代豪族軍~大和朝廷の成立まで その2

赤線=倭建ノ命がいったところ。青線=いったかもしれない場所。

画像6


倭建ノ命の息・足鏡別を関東の皇族2別家が潰したということでしょうか。畿内の息長家も仲哀、応神の代替わりに家督相続の騒乱に巻き込まれて当主が次々と死んだのでしょうか。
稚武王の勢力が畿内入りの鍵を握るか。

画像2

「仲哀天皇」ナカツヒコ


足仲 彦 命 (*)足仲彦尊・帯中津日子・タラシナカツヒコ・「仲哀天皇」。倭建ノ命(日本武尊)の息。母は両道入姫。室は気長宿禰王の娘・気長(息長帯)足姫・神功皇后。叔父の成務天皇の跡職。関東の弟・足鏡別王を討伐。九州の熊襲討伐に戦死。弟に息長田別王。息に香坂王、忍熊王。神功皇后との息に応神。

中臣ノ 烏賊津 (*)連・いかつ。仲哀天皇の四大夫。物部氏とともに宮中を守備。

大三輪ノ 大 友主 (*)君。仲哀天皇の四大夫。
↑物部ノ胆咋  (*)日活・膽咋・連・いくい。物部十千根の息。饒速日命の子孫。仲哀天皇の四大夫。中臣氏とともに宮中を守備。景行天皇の死に際し宮中を固める。成務天皇期に大臣となり、石上神社を管理する。

↑▽物部ノ 伊居太彦 (*)物部五十琴・伊己止足尼・伊己止比古・宿禰・大連。饒速日命の子孫。物部胆咋・活日連の息。神功皇后の家臣。息に伊己布都大連、物部麦入宿禰、石持連。物部胆咋・活日連の息。神功皇后の家臣。

物部ノ 筑紫 (*)物部・竺志・連。饒速日命の子孫。物部胆咋・活日連の息。景行天皇・成務天皇の家臣。<奄智蘊連の祖。>

物部ノ 武子 (*)物部・竹古・連。饒速日命の子孫。物部胆咋・活日連の息。

物部ノ 椋垣 (*)物部・久良加岐・連。饒速日命の子孫。物部胆咋・活日連の息。

大伴ノ 武以 (*)宿禰・連・大連・武持・武持・健持。武日の息。仲哀天皇の四大夫。息に佐彦。

倭建ノ命の系譜の王 <なぜか最初の活躍地の九州には分家なし。未成年だったから子がなかった? もしくは応神の系譜が倭建命に直結なのでしょうか(妄想。>

↑息長 * (*)気長・(安)・田別王。日葉酢媛命の曾孫。倭建命の息。母は近淡海国・安(野洲)国造の意富多牟和気(オホタムワケ)の娘(布多遅比売)。大々杼黒城の娘・黒媛(河俣稲依毘売)と婚姻。狭山池から水路を造る。息に稲依別王(イナヨリワケ)、杭俣ノ長日子王。

稲依ノ 別 (*)倭建ノ命の息。弟に仲哀天皇。<実際は田別王の息か?><稲依ノ別に関しては世代的におかしなことがおきてます。同名(職名?)の複数の人物の事跡が混同されるか、倭建ノ命と仲哀天皇、神功皇后の間柄に作為を感じます。><武部君(近江神崎)の祖。>

倉見ノ 別 (*)倭建ノ命の息。仲哀天皇の息子・香坂王に忠節。<犬上君(近江犬上)の祖。>

十城ノ 別 (*)倭建ノ命の息。稚武王の弟。<(登袁別?)伊予別君の祖。><五百狭城入彦の系統、「五十狭城」の跡職でしょうか。>

足鏡ノ 別 (*)蘆髪蒲見別・葦敢竈見別。倭建ノ命の息。兄の仲哀天皇に誅殺される。<関東にて御諸別王の子孫と抗争か。><下野の足利の地名へと繋がるか。>

▽鎌倉之 別 (*)足鏡別の息。<竈口君(相模鎌倉)の祖。>
▽小津之 別 (*)足鏡別の息。<尾津君(伊勢桑名)の祖。>
▽石代之 別 (*)足鏡別の息。<都都古別、宇奈己呂和気の祖。(陸奥岩代)>

▽漁田之 別 (*)足鏡別の息。<鹿我別、賀我別、巫別、揮田君の祖。(陸奥宇多ほか)>

▽稚武 王 (*)鴨分一速王。倭建ノ命の息。母は両道入媛。仲哀天皇の弟。<建部君・宮道君の祖。>

▽稚武 彦 王 (*)若建王。倭建ノ命の息。母は穂積(物部)弟橘媛。室に杙俣長日子王の娘・飯野真黒媛。息に須売伊呂大中日子王。

仲哀天皇死去後の王権争奪戦


▽香坂 王 (*)厳坂王・カゴサカ。仲哀天皇の息。忍熊王の兄。播磨斗賀野にて事故死。<杭俣(河派)長彦王、稲依別王は、兄弟のどちらかと同一人物でしょうか。><添上を本拠。>

▽忍熊 王 (*)忍熊別・オシクマ。仲哀天皇の息。香坂王の跡職を継承。筑紫からの神功・応神(誉田別)親子の畿内入りを阻止。淡海(琵琶湖)の沙沙那美に逃亡。自害。<本拠地的にはイザナギ・イザナミに通じそうな古代氏族です。>

▽倉見ノ 別 (*)息長・犬上君・(犬神?)。息長稲依別王の子孫。忍熊王の将。応神軍と交戦。<『日本書紀』では倭建命の子孫。><近江に犬上郡あり。多賀氏の地盤。分流の犬飼氏は丹波篠山に入植。沙沙つながりです。><生駒の暗がり峠など犬神の御札や鈴が必要だったような・・。>

▽五十狭茅 * (*)イサザ・難波吉師部・宿禰・伊佐比ノ宿禰。忍熊王の将。応神軍と交戦。淡海(琵琶湖)の沙沙那美に逃亡。自害。<難波の紀氏の部民?><景行の息・五十狭城入彦と名が似通ってるのが気になります。息は品陀真若王ですし、真若王の婿が応神です。>

▼品陀真若 王 (*)五十狭。景行天皇系。五十(五百)狭城入彦の息。娘婿に応神天皇。<品陀=誉田、他にも(大々杼)・気長(息長)、意富多、大陀に通じるものがあります。><五十狭茅宿禰と同一人物?>

<仲哀期の国造> 足尼=「スクネ」と呼ぶ。長脛彦に通じる意味で、脛はスクネ以前の古代の官位名でしょうか。



久努ノ 印幡 足尼  (*)物部ノ印幡宿禰。饒速日命の子孫。物部連祖伊香色男命の孫。仲哀の代に(遠江国)久努国造。


<「東征」は神武と登美能那賀須泥毘古の話しに通じるものがあります>

画像3


 372年頃「七支刀」石上神宮伝来。

「神功皇后」 → 品陀和気・応神天皇

[息長 帯日売命] (*)気長(息長)足姫・「神功皇后」・おきながたらしひめ。息長田別王の娘。母は葛城之高額比売(タカヌカ)、母系先祖に天ノ火矛。外祖父に多遅麻比多訶。弟に息長日子王。仲哀天皇の后。九州に出陣した仲哀を追い出航。九州にて応神誕生。忍熊王軍を破り畿内入り。息に品夜和気命、品陀和気命(応神天皇)。妹に虚空津姫、豊姫。<武振の春日氏、武内の葛城氏の協力で近江南半に入植し息長氏の地盤としたのでしょうか。><気長に「御」がついて御気長、息長・・。(妄想。w>

▽荒田 別 (*)豊城(豊木)入彦系。関東の御諸別王の息。上毛野の豪族。神功皇后の将。369年卓淳国に派遣される。<豊城入彦の息に大荒田別あり。息に彦狭嶋王。世代的にその子孫か。この時期北海道でも鉄製品・ガラス玉が多数出土しているので、国際的交流が南北で活発に行われていたのでしょうか。>

▽鹿我 別 (*)豊城(豊木)入彦系。関東の御諸別王の息。関東の豪族。神功皇后の将。369年卓淳国に派遣される。<相馬。>

▽阿曇ノ 磯良 (*)神宮皇后の水先案内を務める。
木ノ 宇豆 比古 (*)紀・菟道彦・宇豆彦・うつひこ。紀伊国造。娘(妹?)婿に彦太忍信命(比古布都押之信命)。甥に武内宿禰。<スサノオ系の神を信奉。先祖は神武東征に従うという。うつ彦が宿祢を与えられてうつの宿祢となれば、勇ましい意味の「建(たけ)」が付随すれば建宇豆宿禰。武内宿禰との関連が気になります。>

武内 * (*)(葛城・木ノ)・宿禰・(建)内宿禰・うちのすくね。孝元天皇の息・彦太忍信命(比古布都押之信命)の息。母は木ノ宇豆比古の妹。息に羽田矢代(八代)宿禰、巨勢小柄宿禰、平群木菟宿禰、紀角宿禰、若子宿禰、蘇我(石川)宿禰。紀・巨勢・平群・葛城・蘇我の祖。因幡国にて死去。息に葛城襲津彦。<異様な寿命の長さは、執権=武内宿禰という役職に歴代の宿禰代表が着任したということでしょうか。そういえば場面場面で違った複数の人格を持つ人といえばスサノオもそうだ・・。>

▽甘美内 * (*)味師内宿禰・ウマシウチノ宿禰。彦太忍信命(比古布都押之信命)の息。母は葛城高千那媛。武内宿禰の異母弟。兄を讒言。兄により滅ぼされる。<母は尾張連の系統。>

武振熊ノ命 (*)和珥(和邇)・海部直国造 ・建ノ振熊ノ尊・難波根子・たけふるくま。彦国葺命の後裔。大難波宿禰の息。『古事記』では仲哀帝期に畿内での忍熊皇子の反乱を鎮圧。応神帝期に海部直。仁徳帝期に飛騨に遠征し飛騨宿禰を討伐。息に日触使主、大矢田宿禰、石持宿禰。<和邇氏の祖。千熊長彦との関連が気になります。>

伊豆ノ 若建 命 (*)物部。神功の代に伊豆国造。
怒麻ノ 若彌尾 命 (*)神功の代に伊予野間国造。

葛城ノ襲津彦


<半島派遣豪族>

葛城ノ襲津彦 (*)沙至比跪。武内宿禰の息。382年新羅使節団王子返還要求の為、新羅王子を伴い新羅国に駐留。新羅の女を室とし矛先を転じて加羅を攻撃。加羅国王は倭に逃避し葛城氏の謀反を報告する。百済弓月君の流民団が加羅に滞在。弓月君救援のため平群木菟宿禰、的戸田宿禰が増援として派遣される。仁徳期に紀ノ角宿禰に反抗した百済王族・酒君を連行し帰国。

斯摩宿禰 (*)しまのすくね。卓淳国に駐留。百済国王の使者を受け入れる。家臣・爾波移を百済に派遣。<千熊長彦と同一人物か。>

▽爾波移 (*)にはや。斯摩宿禰の家臣。卓淳国の過古とともに百済に先遣隊として派遣される。

千熊長彦 (*)ちくまながひこ・職麻那那加比跪・しまななかひこ。百済の近肖古王に謁見し七支刀と七子鏡を受領する。367年新羅に贈答品を奪取されたため奪還軍を派遣する。<斯摩宿禰と同一人物か。>

↓平群木菟宿禰 (*)へぐりのつくのすくね。武内宿禰の息。葛城襲津彦の兄弟。応神期に葛城氏救援のために加羅に派遣される。

的戸田宿禰 (*)いくはのとだすくね。応神期に葛城氏救援のために加羅に派遣される。<羽田矢代宿禰と関連するか。>

<九州の土蜘蛛>
山門ノ 田油津媛 (*)タブラツヒメ。土蜘蛛。北九州の豪族の女王。兄に夏羽。神功皇后により討伐される。

山門ノ 夏羽 (*)土蜘蛛。北九州の豪族。神功皇后により討伐される。
周賀ノ 鬱比表麻呂 (*)土蜘蛛。北九州の肥ノ国の豪族。神功皇后に従う。皇后の船を救助した。

<新羅国>
奈勿麻立干 (*)奈勿尼師今・那密・「馬飼部」。新羅王。高句麗に従い倭と対立。

微叱旱岐 (*)馬飼部・未斯欣・みしこち。新羅王子。葛城襲津彦に伴われ帰国。逃亡する。

汗礼斯伐 (*)うれしほつ。新羅王家臣。倭への使節団。使者3名のひとり。王子人質妻子の返還を求める。葛城ノ襲津彦が王子を連れ新羅遠征。使者3名は微叱旱岐が逃走した為、処刑された。

毛麻利叱智 (*)もまりしち。新羅王家臣。倭への使節団。使者3名のひとり。王子人質妻子の返還を求める。葛城ノ襲津彦が王子を連れ新羅遠征。使者3名は微叱旱岐が逃走した為、処刑された。

富羅母智 (*)ほらもち。新羅王家臣。倭への使節団。使者3名のひとり。王子人質妻子の返還を求める。葛城ノ襲津彦が王子を連れ新羅遠征。使者3名は微叱旱岐が逃走した為、処刑された。

<加羅国>
己早岐 (*)加羅国王。倭国王に従う。葛城襲津彦の謀反により国を失う。百済に亡命する。

白久至 (*)加羅王子。己早岐の息。葛城襲津彦の謀反により国を失う。百済に亡命する。百済弓月君の流民団が加羅に滞在。

既殿至 (*)加羅国王の妹。倭に葛城襲津彦の謀反を報告。

<卓淳国>
末錦旱岐 (*)卓淳王。倭国王に従う。倭への仲介を依頼され、百済王の使節を倭に紹介する。

<百済国>
近肖古王 (*~375)余句王・肖古王・照古王・速古王。百済王13代。高句麗に攻め込み故国原王を討つ。倭と同盟し七支刀を送る。倭の将・千熊長彦とともに2山(辟支山・古沙山)に登り同盟の誓いの儀式を敢行。

久氏 (*)くてい。百済王家臣。百済使節団。倭への使者3名のひとり。倭との国交を樹立する。372年新羅討伐後に倭に派遣される。

弥州流 (*)みつる。百済王家臣。百済使節団。倭への使者3名のひとり。倭との国交を樹立する。

莫古 (*)まくこ。百済王家臣。百済使節団。倭への使者3名のひとり。倭との国交を樹立する。

⇔↓阿知吉師 (*)あちきし。百済王家臣。応神期に倭への使者2名のひとり。

⇔↓和邇吉師 (*)わにきし。百済王家臣。応神期に倭への使者2名のひとり。

⇔↓木羅斤資 (*)もくらこんし。百済将軍4名ほひとり。369年倭からの援軍と共に新羅に遠征。葛城ノ襲津彦謀反の為、加羅に遠征し鎮圧。

沙沙奴跪 (*)ささなこ。百済将軍4名ほひとり。369年倭からの援軍と共に新羅に遠征。

沙白 (*)さはく。百済将軍4名ほひとり。369年倭からの援軍と共に新羅に遠征。

蓋盧 (*)かふろ。百済将軍4名ほひとり。369年倭からの援軍と共に新羅に遠征。

『石上神宮 七支刀 銘文』
「泰○四年○月十六日丙午正陽 造百錬○七支刀○辟百兵 宜供供▽王○○○○作
 先世▽来未有此刀 百済○世○奇生聖▽ 故為▽王旨造 ○○○世」


九州からの東征による畿内反乱分子の討伐。瀬戸内・山陽道周辺・・・、反抗したため、ごっそり国主がすげ替えられたのでしょうか。

画像5

「応神天皇」ホンダワケ → 宇治王


<五十城入彦の息・品陀真若王、景行の息・彦人大兄が「真若王」継承か。更に息長水穂真若王との関係が気になります。>

誉田 別 (*)品陀和気命・大鞆和気命・凡牟都和希王・「応神天皇」。仲哀天皇の息。母は神功皇后(息長帯日売命)。室は杙俣長日子王の娘(息長真若中比売)。五十城入彦の息・品陀真若王の娘・仲媛。筑紫生まれ。九州から畿内入りした大王。忍熊王を破る。難波大隈宮を造営。息に宇治王、大守山、大雀命(仁徳天皇)、稚野毛二派皇子。<二代目ワケ>

▽若沼毛二俣 王 (*)(息長)・若野毛・稚野毛二派皇子。応神天皇の息。母は杭俣長日子王の娘・息長真若中比売。室は母の妹・弟日売真若比売命(百師木伊呂弁)。河内息長(大々杼)氏を継承。百々石城を拠点とする。息に意富富杼王(大々杼王・太郎子)、息長沙禰王。<ニ派=ニ俣=河俣に通じる意味でしょうか。とすればワカノケ カワマタ皇子。><二派=二俣=杭俣なんじゃないでしょうか。>

▽和邇ノ 武 振熊 命 (*)春日・和珥・丸邇・和邇・丸・難波根子建振熊。彦国葺命の息・大口納命の息。大和漆上郡の豪族。春日一門・古和邇氏。応神に仕え忍熊王軍を破る。のち飛騨の両面宿儺を追討。弟に彦汝命、(額田)真侶古命。息に日触使主命(和邇口子)、米餅搗命、大矢田宿禰、石持宿禰。<饒速日命のような立場の人物でしょうか。>

▽宇治 別 (*)宇治王・宇遅能和紀郎子・菟道稚郎子・宇治若郎子・「宇治王」。応神天皇の息。母は比布礼能意富美(和邇・和珥)の娘。兄に皇位を譲り自殺。異母兄弟に大守山皇子、仁徳天皇。

▽大守山 皇子 (*)応神天皇の息。母は品陀真若王の娘。宇治王に代わり皇位を望むが大雀命に討伐される。<兄弟のどちらかが大雀天皇で、どちらかが難波高津宮天皇なのでしょうか。>

▼意富 富杼 王 (*)気長・息長・(安)・大郎子・大大迹王・(大々杼王?)。父は応神天皇の息・稚野毛二派(河俣?)皇子。母は気長・河派仲彦(杙俣長日子)王の娘(弟日売真若比売)。室は中斯知命(ナカシチ)。仁徳天皇の命で近江息長を継承。息に乎非王(継体の父)。<筑紫米多君と繋がりがあるのは応神と同祖だから?筑紫磐井と継体天皇は親戚ということか・・。>

▼息長 沙禰 王 (*)気長・(安)。父は応神天皇の息・稚野毛二派(河俣?)皇子。母は気長・河派仲彦(杙俣長日子)王の娘(弟日売真若比売)。河内息長を継承。

▽物部ノ 印葉 (*)連・大連・因幡・伊奈波・いには。饒速日命の子孫。応神天皇の家臣。弟に伊予連。

▽大伴ノ 佐 彦 (*)武以の息。息に山前。

<東国>
周防ノ 加米乃意美 (*)カメノオミ。茨城国造分家。応神天皇の将。周防国造として派遣される。

菊多ノ 屋主 刀禰 (*)建許呂命児の息。応神の代に道奥の(陸奥国)菊多国造。

岐閉ノ 佐比 刀禰 (*)応神の代に道口の(常陸多珂)岐閉国造。
印波ノ 伊都許利 命 (*)印旛。応神の代に下総国の印波(印旛)国造。

<西国>

日向ノ 老男 (*)景行の子孫、豊国別の子孫。九州の豪族。応神の代に日向国造。

風速ノ 阿佐利 命 (*)物部。饒速日命の子孫。応神の代に(伊予国)風速国造。

久味ノ 伊與主 命 (*)神祝命の子孫。応神の代に伊予国の久米国造。
小市ノ 小致 命 (*)物部。饒速日命の子孫。新川命の孫。応神の代に(伊予国)小市国造。

讃岐ノ 須賣保禮 命 (*)景行の子孫。神櫛王の子孫。応神の代に讃岐国造。

▽粟ノ 千波 足尼 (*)千波宿禰。応神の代に粟国造。高皇産霊尊の子孫。

加夜ノ 中 彦 (*)賀陽。吉備の豪族。応神の代に備中賀陽国造。
上道ノ 多佐 (*)臣。吉備の豪族。中彦の息。応神の代に備前上道国造。
下道ノ 稲速 別 (*)兄彦。吉備の豪族。応神の代に備中下道国造。
三野ノ 弟 彦 (*)吉備の豪族。応神の代に備前御野国造。
大伯ノ 佐紀 足尼  (*)佐紀宿禰。神祝命の子孫。応神の代に備前邑久国造。

笠ノ 三枚 (*)鴨別命の子孫。応神の代に備中国の笠ノ国造。
明石ノ 都彌自 足尼 (*)都彌自宿禰。八代足尼の息。応神の代に播磨国の明石国造。

(応神期の五大臣(側近からのちに大臣になった者か))
↑平群木菟 (*)応神期大臣。武内宿禰の息。葛城襲津彦の兄弟。仁徳天皇没後の住吉仲皇子と抗争。物部大前とともに履中天皇を擁立。

蘇我ノ石川 (*)(武内・石川)宿禰。葛城襲津彦の兄弟。河内の豪族。応神・仁徳天皇の将。息に満智。

↓物部伊呂弗 (*)大連・いろふつ。五十琴宿禰の息。応神帝、履中帝、反正帝期大臣。履中期に大連となる。

↓▽葛城ノ円 (*~456)都夫良・つぶら。玉田の息。応神帝、履中帝期の大臣。眉輪王を匿い、大泊瀬皇子(のち雄略帝)に攻められ、娘(韓姫)を差し出すが殺害された。

物部大前 (*)応神期大臣。仁徳天皇没後の住吉仲皇子と抗争。平群氏とともに履中天皇を擁立。允恭天皇没後に穴穂皇子と対立した木梨軽皇子が大前邸に自決。

(応神期、百済大臣)
↑木羅斤資 (*)百済の将軍。新羅を討伐。息に満致。
▽木ノ満致 (*)百済の将軍・羅斤資の息。母は新羅国の娘。<名前の系統から蘇我ノ満智とも関連がありそうです。乳兄弟などでしょうか。紀伊の国那智高野山の「三足鴉」などこの時期に伝来したものでしょうか。>

(出雲)
出雲ノ 意宇足奴 (*)淤宇宿禰。三島宿祢の息。仁徳帝の兄・額田大中彦と抗争。息に宮向。


大王家の権力を磐石にした感じはあります。大古墳を造る余裕もあったのかな。

画像6

ここから先は

8,159字 / 4画像

¥ 100

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?