見出し画像

もっと早くに出会いたかったもの



1.「もっと早くに出会いたかったもの」

人やもの、出来事など、あなたには「もっと早くに出会いたかったもの」はございますか?

私の場合、「哲学」がそれに該当します。もっと早く出会っていたら、もっと色々な方々の哲学書を読んだり、色々な人々の考えに直に触れたりして、今では気付かない考えも気付くことができたのではないかということに尽きます。私は「哲学」に出会って、「考える」ことがさらに楽しくなりました。

「哲学」という言葉は中学生の時には知っていました。しかし、それを毛嫌いしていました。何だか考えを押し付けられている感じがして嫌だったのです。「哲学」の中身に触れずにそう感じていたので、いわゆる「食わず嫌い」です。

プチ出会いとして、大学のゼミで『ソクラテスの弁明』に触れたことはあります。その時、対話文で形成されていて、しかもお話としては短いけど、内容はぎっちり詰め込まれていることに驚きました。しかし、その時は哲学にハマらず、華麗にスルーしてしまいました。

2.「もっと早くに出会いたかったもの」にハマったきっかけ

では、いつ哲学にハマったのかというと30代後半の頃です。NHKで放送されていた『欲望の時代の哲学』で「哲学界のロックスター」と言われているマルクス・ガブリエルに出会ったことです。哲学を番組として成立させるためにはプロデューサーの腕も必要だと思いますが、彼の明晰さと思考に、「哲学って面白いものかもしれない」と感じ始めました。

試しに彼の著書の日本語訳版である『なぜ世界は存在しないのか』を読んでみると、案の定難しかったです。しかし、「なぜ世界は存在しないのか」から始まり、その論理に当てはめて論じられた芸術論が面白かったのです。そして、他の哲学者の方々の著作も読んでみたいという私の読書欲が刺激されました。

体系立てて読みたいという気持ちもありますが、それよりも興味を優先させて哲学書を読んでいます。体系立てて読んだ方が先人たちの考えもすんなり入るとは思うのですが、読みたい本が哲学書以外にも多くある現状を鑑みると、時間は有限だと割り切り、興味のあるところから哲学書を読んでいます。哲学の問いも「世界は存在するのか」から「よりよく生きるためには何が必要か」など多岐にわたるところも、哲学の魅力の一つです。

それなのに、哲学をテーマにした物語を私は見たことがありません。SFなどの物語の素地にはなっているのは分かるのですが、がっつり哲学をテーマにしたものになると、とんと見かけない。その昔、私はウィトケンシュタイン『論理哲学論考』の世界観をテーマにした短編を書いてある賞に応募したことがありますが、歯牙にもかからなかったです。私の腕も不足していたのですが、需要は私ひとりだけでしょうか。このテーマで書けたら、バズると個人的には思うので、誰か挑戦してみてください。

3.「もっと早くに出会いたかったもの」を人々に楽しいもの・興味深いものとして認識してもらうために

哲学をテーマにした物語を私が書いてみようとした動機は、他にもあります。それは、「哲学に触れる機会を増やしたい。そして、哲学を楽しいもの・興味深いものとして人々に認識して欲しい」という思いです。私が教育を受けている時、哲学に触れるのは世界史の授業で哲学者の名前と著作に単語として触れるくらいでした。

倫理だと哲学の中身に触れるのかなと思ったのですが、調べてみると「思想史」・「哲学史」のような内容を学ぶことが多いそうです。倫理の教科書を私は読んだことがありませんが、倫理の教科書を入口にしてそこから哲学にハマったというお話も耳にしたことがあります。

どうしたら、哲学を楽しいもの・興味深いものとして人に認識して欲しいという願いを叶えられるか。それを考えると、哲学に触れる機会を増やすことなのですよね。どうしたら、哲学に触れる機会を増やすことができるのか。その問いを考える鍵として、私が哲学を楽しいもの・興味深いものとして感じたところが何かを述べていきます。

私が哲学を楽しいもの・興味深いものと感じたのは、人の考えに触れて、自分も考えを展開できるところです。私は哲学のそんなところにワクワクしています。数々の名著に触れて先人たちの考えたことに触れることにも私はとてもワクワクしますが、現在進行形で人の考えに触れて、自分も考えを展開して、また人の考えに触れて、自分の考えを深めることにドキドキしています。

ここから考えてみると、私は現在進行形で人の考えに触れて、自分の考えを深めていく行為が好きなようです。そこから、ある問いを提示して、考え話し合う場が必要だと導くことができます。私がいいなと思ったのは、「p4c」。NHKの『ETV特集』で知ったのですが、東日本大震災を契機に、全国に先駆けて、気仙沼市の小学校で行われていました。「p4c」は”philosophy for children(こども哲学)”の略称で、こどもたちで円になって、ボールを持った人が発言して、発言したくなかったらパスしてもいいというものです。番組ではこどもたちが発言者の人の言葉に耳を傾けている姿が印象的でした。

「p4c」は私が教育を受けている時に、取り入れて欲しかったというくらい羨ましい教育です。私は「いじめ」を「対話の拒絶」という側面があると考えているので、こういう授業があれば「いじめ」も無くなるのではないかとも思ってしまいました。早く全国で全面導入すれば良いのにと思っています。人の考えに触れて自らの考えを深める行為は幼い頃から無意識的に行われていますが、それを自覚的にすることを覚えるのは早い方が良いと私は考えています。哲学に触れる機会を増やすことにも貢献するので、願ったり叶ったりです。

それでは大人になったら、どんな場所を活用すれば良いか。その問いが頭の中に浮かんだ時、悩みました。ホームページなどを見ると、「哲学カフェ」はある問いを参加者で話し合うという感じのように見受けられましたが、私が行ったことがないので、不用意に紹介することができません。

「哲学カフェ」以外で、老若男女オールラウンドで哲学を楽しいもの・興味深いものとして人々が認識する方法。かつ名著を読む以外のワクワクする方法。それは、人の考えに触れて、自分も考えを展開できる場を作ること。日常生活において、そんな場を作ることができるとすれば素敵ですよね。どうしたらそれを作れるか考えてみました。

まずは、日頃からちょっとした引っ掛かりを大切にすることです。日々の現象や考えに耳を澄ませてみると、案外疑問に思うことが出てきます。次は迷います。その問いについて自分で考えを深めてから、人にその問いを投げてみるか。それとも、その問いが出た瞬間に人に訊いてみるか。私はケースバイケースだと考えています。問いを投げて、人から答えが返ってきたら、場が成立します。

もし問いを投げても、人から答えが返って来なかったら?そういう時は無理矢理その人から答えを引き出さず、問う場を変えてみましょう。問う人や場所が変わると回答を得られるかもしれません。ここで大切なのは、回答を得たら、自分でその答えの意味を考えてみることです。その問いの答えがあなたにとって是でも非でも「考える」ことに意味があります。

4.おわりに

こうして書いていて、私は「哲学」に出会って、「考える」ことがさらに楽しくなったことを改めて噛み締めています。「哲学」は問いを立てるところから始まります。問いを立てることは簡単なようで、案外難しいです。しかし、それにめげないでください。その先にある豊潤さを知ると、「哲学」にハマります。

「哲学」は誰にでもできます。老若男女オールラウンドに、あらゆる人々が「考える」ことができます。「もっと早く出会いたかった」とは思っても、「今からだと遅い」ということは決してありません。名著を読んでワクワクするのもよし。人の考えに触れて、自分も考えを展開できる場を作ることもよし。「考える」ことを止めてしまっている人々が多いと感じる昨今です。だからこそ、「哲学」のように「考える」ことが要ると言っているものが必要だと私は思えてなりません。


いいなと思ったら応援しよう!