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#5 「蟻地獄への招待状」

奨学金は、悪か否か。

私は、どちらだと一言では答えられない。

奨学金の制度がいくらブラックで、いくら批判する部分が多かろうとも、
それがなければ進学できなかった私がいる。

毎月引き落とされた金額の印字を通帳に見るにつけ、愛おしさに近いような、そんな気分にさせられるのは、きっと。

奨学金が私にとって、あの真っ白ないわくつきの家から出るために必須だった事実があるからだと思う。

未来を担保に多額の借金をしないといけないなんて、確かにとってもブラックだ。
しかも、ただ学ぶことを望んだだけなのにも関わらず。

私が奨学金を恨まずにいられるのは、
「今月も無事に雨風しのぎながら生活できた上に、奨学金の返済まで出来る」ことが、ある種不幸中の幸いであること、幸運であるからこそだと分かってはいるからだ。

もっともっと困窮していたら、きっとこんな愛おしさ云々、言ってなんていられないんだろうし。

ただ、奨学金には感謝をもってして誠実に返済していくつもりではあるけれど、そんな私個人の気持ちと、今後の子供たちに同じ思いをさせたくない気持ちとは全く別。

もっと、もっと多くの子供たちが「それぞれのやばい場所」から逃げれるように。
遠くに遠くに逃げるため、奨学金に代わる制度は必要だと思っている。

学ぶことは一番の糧になる。
誰かをかつての自分のように、傷つけては踏みにじりたくなる、そんな自己憐憫からくる加害願望から自分も他人も逃がすためにも。

そんな蟻地獄から抜け出すということが、何より難しいことだったように思うから。


「お父さんの荷物ね、ここの引き出しの中が全てだと思います。」

親父の勤めているという警備会社の所長さんが、まずは親父の荷物を全て私たちに返してくれる。
プラスチックの引き出しの、たった1つに入った、数個の仕事道具。

メモ帳とか、交通整理の旗とか、暑さをしのぐためなのか、百均で買った氷を保温できるやつ、水筒を洗うやつ。シップ、のど飴、使わなくなった、通帳。

所長さんに手間をかけさせるためにもいかない為、持って帰りはするけど、当たり前にほとんどが私たちにはいらないものばかりだった。

ここで親父は、一体どんな労働者であったのだろう。
私たちの前では、働くことを放棄し、子育てを放棄し、ガラの悪いうそつきの言うことだけを信じ、家族を捨てた親父だった人が、まじめな労働者の一面もあったとは、本当に人とは場所が違えば異なった一面が出てきて、別人のような人生がそこにはあるのだなと思う。

とりあえずはと事の顛末を話す私たちに、特別驚くといった様子もなさそうだ。

何となく手慣れた感じの所長さんは、もしかしたら、訳ありの人を雇用することに慣れているのかもしれない。

「親父さんね、とっても頑張って働いてくれてましたから、うちでは特に問題はなかったんですよ。」
「ただ、携帯は契約が個人的にできないということと、家族と縁が切れているというので、何か事情がおありなんだろうと思ってました。」

まあ、慣れていなくてもその二つを聞けば大体訳ありっぽいことは分かるか。

所長さんから語られる職場での親父は、特別乱暴でもない、迷惑もかけてない、ただの訳アリそうな老人。しかもどちらかというと、大人しめ。

そんなのってなんだか知らない人の話みたいで、親父の近況を聞いているのに、実感がわかなかった。
誰に対しても横柄な、あのプライドの鬼は、いったいどこへ。

「携帯まで契約してもらって、ありがとうございます。今の時点での残債と、給与払い残し等教えてください。」

この人に損させるわけにいかないし(結局話を聞けば会社じゃなくて所長さんが個人的に携帯契約して親父に貸してくれていた。)

お金は一旦ひねり出すしかない。
結局残債が6万程度、給与は今月働いた分で、来月支払いが8万程度。
入院費を考えたら全然足りないけど?

とりあえず携帯の残債を払おうと思って計算していたら、所長さんが

「いやね・・親父さん、毎月月賦で携帯代を払ってくれてたんですけど」

と思い出したように切り出す。


「最初は払った分領収書くれって、口約束ですしね、ちゃんとした人なんだなって思ってたら」

「家の人に何にいくら使ったか言わないといけないっていうんですよ、証拠も込みで。」

「でもその人は家族ではないらしいって同僚たちは聞いてたらしくてね。」

「そいである日から、領収書があって使ったって証明できるお金以外、給料は全部取られちゃうから、領収書に金額多く書いてくれって。」

「5千円払ったとしても、1万円とかね。そうすれば残り隠しておけるでしょう。そうしないと辛いんだって言ってきて。」

なんだその話、とは思ったし、薄々予想はしてたけど。
多分証拠ももらったし、バカでもわかること。

結局どうやら親父は、未だに必要最低限のお金以外の給与を全額坂井一家に取られ、年金も丸々渡していた。
のにも関わらず、ガスも電気も水道も通ってないプレハブに入れられてそこで寝泊まりしていたのだ。

これって何に当たるんだ。
訴えれるなら訴えたい。
でもそもそも親父はどうしてそんな生活に耐えている?
逃げなかった、理由はなんなの?

分からない。
そんなにその地域の、部落のつながりが大事だったか。つらい生活を強いられてでも、その場所にとどまりたいくらい。

思えば。
外に出たら、部落出身だとばれたら、生きてはいけないような
そんな思い込まされ方をしていたような気がする。
いつしか差別が無くなることを願うのではなく、どう利権を維持するかに本質が変わってしまったそれの中でだけが親父の安全圏だった。

部落解放運動体の本来の意義はそんなことではないのに、みんなで徒党を組み助成金を得る事でしか裕福に生きられないとそれに縋って間違った人権意識しか学べずに終わった人たちの末路。

永遠に続く地獄を自分で作り出してしまった人たちの中の一人である親父が、不思議で仕方ないのに、腹が立つ先の一番最初が坂井一家に対してだから、つくづく子供ってすごい、と思った。


私は親父に、もともと大きな愛があって、きっと今まで、親父がそれを受け止めてくれないから諦めて捨ててきただけなんだ。

嫌いにならなければ、心が壊れそうだった。

ひとつづつちぎって渡しては受け取ってもらえず、”それ”を涙を流しては捨て、今ではすっかりすべてどこへか行ってしまったと思うのに、親父を毒牙にかけ続けられていたと知ると、結局ふつふつと怒りが湧く。

それは誰しもが勝てるはずの勝負に負け続けた私の、心を守るすべだった”親父なんか大っ嫌い”という心の防波堤を、もう一度坂井一家に壊されるような事実確認だった。

多くの子供が親から得られる「何よりもお前が大事だ」という壮大な愛情を赤の他人に奪われ続けた私は、部落として生まれその団体への依存の中で壊れていった親父を、どうすれば救えたのか、また考えを巡らそうとしていた。

一緒に、この地獄から逃げ出そうと何度も私は親父に言ったのに。

だけど救えないに決まっている。
自分からその地獄に留まる人間なんて。誰にも。




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