未だ死んでるようなもの(愚痴)
愚痴です。95%生産性のない、本当に個人的なただの愚痴。
(「過ぎた話をしても仕方ないだろ、未来に向けて頑張ろうぜ」とか「今が一番若い時だろ、しのごの言わずにJust do it !!!」とかは言われなくてもわかっているのでご勘弁を)
私は十代のうちに自分が本当にやりたかったこと、これにフルコミットできなかったことを後悔している。
本当にやりたかったこと、というとハードルが高く高尚なものに感じるかもしれない。それは好きなことや熱中できることと言い換えてもいい。
いずれにしても、そういうものに集中して取り組むことはなかった。できなかった。
このことをずっと後悔している。
いや、後悔というと少し違うかもしれない。あの状況ではああするしかなかった、あの状況ではそんなことは思いつかなかったし、実行できなかった。過去に戻って何度やり直しても、おそらく「フルコミット」なんて無理な話だっただろう。「自分の好きなことをやる」にはあまりにもしがらみと障害多過ぎた。
子供というのは常に親に生殺与奪を握られている。だから、自由などないのだ。私はずっと囚人で、ある程度自由になれたのはかなり最近で、しかも自分の人生を捨てる覚悟の多大な犠牲が必要だった。捨てられるものは全部捨てた。
だから、自分の選択に後悔があるということではない。
そうではなく、ただ悔しいというか、運命を呪うみたいな感情もあるが……率直に言って羨ましいだけだ。
十代から「フルコミット」できた人間、その環境、その才能、その体力、それを持って生まれたこと、自分がそれらを持って生まれなかったこと……
全てを周りのせいにするつもりはない。きっと、もっと色々とやりようがあったのだろう。もっと本気になれば、違う道を進むこともできたのだろう。たぶん、自分の覚悟がまだ足りなかったのだ。「これだけやってもまだ足りないのか」と思うこともあるが、そう思っているうちはまだ足りないのだ。
何をどう足掻いたところで、失った時間は戻らない。
若さは強みだ。「今が一番若い時」だと言ってみても、十代の体力と感受性に替えられるものはない。十代にリソースを費やしたものは、一生活きるし、一生影響を与える。若いうちに身に着けた何かというのはそれだけ人生に影響を及ぼす。
十代で躓いたからといって別に人生全てが終わるわけじゃないが、人生のポテンシャルに十代は大きく影響する、これは否定しがたい事実だ。
……だというのに。
俺はなんだ? 一体何をした? 何を積み上げ、何を成し遂げられた?
振り返ってみれば全てが中途半端で嫌気が差す。
中途半端に勉強して、中途半端に趣味に手を出して。それらの行動に、自分の意志が、自分のやりたかったことが、どれだけ含まれていたことか。
結局、未だに何にもなっていない。何の大した成果も生まれていない。
それでも、もし平凡な人生が望みなら。
そこそこに会社に就職して、そこそこの相手と結婚して定年まで働いて、過程を、子供を作って……そういう人生が望みなら、それでよかったかもしれない。適当な国立大にでも入って適当に就職すれば、色んなものがある程度は何とかなるレベルにできたかもしれない。
でも、自分は平凡な人生なんて望んでいなかった。
無理して自分を型に嵌めて、人間の振りをしたところで、まるで生きた心地なんてしなかった。そんなものは心底どうでも良かった。そんなものではまるで満足できなかった。
カタギの生き方なんて、最初から望んじゃいなかったのだ。
結婚なんていらない、家庭もいらない、人並みの幸せなんて必要ない。三十五歳で独身で、心臓発作で倒れて野垂れ死んで、一か月以上死体がほうちされたとしても、別にそれでもいい。孤独死結構。
ただそれでも、何かに熱中できる、何か本当に本気で取り組める何か、それが欲しかった。
だけどそれがずっと無くて、ずっと歯車がかみ合わない感覚で生きている。
一生「これ」なのかという恐怖がある、それだけが恐怖なのだ。
正直、他はどうでも良い。
人に愛されなくてもいいし、有人もいらない、寿命も幸せもいらない、片腕が無くなっても、片目が見えなくなってもいい。
ただ一つだけ「歯車の噛み合う何か」が欲しい。切実にそれだけが、自分の望みだ。
これは贅沢なことなのだろうか?
それが無いと、ずっと死んでいるようなものだ。生きながら死んでいるような感覚、何のために生きているのかわからない感覚。今もずっと、自分の人生を生きる意味のあるものにするために、意味があったのだとするために、足掻いている。それができなければ、虚無から現れた死神にたちまち飲み込まれてしまうのだろうと思う。
などと言っているが、まだ成果は出ていない。これから出る保証もない。
もしかすると、これはあまりにも狭い人生観かもしれない。身近な、ささやかな幸せの積み重ねでで満足できる、そういう考え方もあるかもしれない。
しかし自分は、それではまるで満たされないのだ。
そんな温い幸せならいっそ壊してしまった方が良い、温い日常に閉じ込められるくらいなら、死んだ方がマシだ。
切実にそう思うが、そう思いながらもまだ、ずっと噛み合わないままでいる。
今、なんとか歯車をかみ合わせようとするのに必死だ。ほんの少しずつ手ごたえを感じつつも、理想には程遠い。
それでも、とりあえずは諦めないで生きていこうと思う。
自分の人生、自分の生き方、何一つ満足していないが。
諦めたら本当に生きる意味が無くなってしまうから。
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