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キャリー・ミー!~シーズン最初はメンテから

 ここ数年の暑さは本当に異常である。

 うっかり外に出ようものなら、暑さと湿度で溶けてしまいそうだ。
 そんなこともあって、夏場の私は一切自転車に乗らなくなる。大体六月から八月まではオフシーズンだ。本来は晴れ続きで、自転車を漕ぐにはもってこいの天候なのだが。
 オレンジさんには申し訳ないけれど、この暑さで自転車など漕ごうものなら待つのは死あるのみだ。熱中症アラートがガンガン唱えられている今、オレンジさんも涼しい室内で大事に保管されている。

 さて、オレンジさんがいい感じに部屋のインテリアと化してきた八月の末、私の元に一通のメールが届いた。
 オレンジさんことキャリーミーを購入したディーラーからの、半年無料点検のお知らせ。約五千円のメニューを初年度のみ無料で受けられるという代物だ。

 ちらりと私はオレンジさんに目をやる。
 オレンジさんの購入後、簡単な掃除なんかはしてあげたけれど、メンテナンスらしいことはほとんどしてあげられていない。ちょっとタイヤの空気を入れたり、ちょっとチェーンにオイルを差してあげたりするくらいだ。
 それだけの手入れで、日々の通勤から買い物、旅のお供までこなすオレンジさんである。よく考えたら自転車遣いの荒いオーナーである。

 ううん、そろそろ里帰りをさせてあげてもいいかもしれない……。

 ***

 という訳でやってきたのは神奈川県横浜市、関内駅。
 久しぶりにオレンジさんを漕いだら、なぜか脚の前側の筋肉がものすごく疲れている。これでも、夏場でもペダルを漕ぐ訓練をしたくて、某コンビニジムに入会したのだが。それでもオレンジさんの負荷には敵わなかったということらしい。

 さて、当のオレンジさんはというと、久しぶりの外に心躍らせているようだ。
 はしゃげるのも今のうちだ。何せ下界の気温は本日三十六度。控えめに言って死ぬぞ。

 駅前の日陰になっている場所でささっと組み立てると(その間ご年配の方にじろじろ見られるのはお約束である)、ディーラーのある場所まで走り出す。

 久しぶりに風を切る感覚。ぬるい風がスピードを出すごとにひんやりとしてゆくのが何とも心地よい。
 関内駅付近は街路樹が植っているので、街中を走っていてもほどほどに日陰があって涼しい。直射日光に当たらなくてよいのは本当に楽だ。体力が持っていかれなくて済む。

 途中石畳をガタガタ言わせながら走り、目的地に到着する。
 平日ということもあり、店は空いていた。オレンジさんを預けると「一時間ほどかかる」とのことだったので、私は手近なカフェを探しつつ少し散歩した。

 海風が入るとは言っても、太陽がちょうど真上にあるような時間帯だ。暑さでそろそろだめになると思った頃、ようやく一件のカフェを発見し避難する。
 店内はとても涼しかった。おしゃれな店内にドレスコードもあったもんじゃないようなTシャツサンダル姿で入り込んでしまったので、ちょっと居心地が悪い。しかもひとり汗だくだ。許してください、外は灼熱なのだ。

 ちょうど昼食の時間でもあったのでランチを注文し、ぼんやりする。
 せっかくのいい天気だから、本当は赤レンガ倉庫の近くまで足を伸ばしたい気もするが、暑い。何せ暑いものだから、行ったら最後帰れない気がする。オレンジさん的には最高にハッピーだろうが、今日時点で人間はまだ外での生命活動を許されていないのだ……。

 さすがに来月頃には走れるようになるだろうか。オレンジさんと行きたいところは山ほどある。折りたたみ自転車の聖地にも行きたいし、ハマイチにも挑戦したい。だから、早く涼しくなってほしい――。

 そう考えているとランチが届いた。新鮮な野菜を使ったサンドイッチとアイスティー、それからコーヒーゼリーバニラアイス乗せだ。
 しゃきしゃきとしたきゅうりの食感と、少しすっぱいドレッシングの組み合わせが最高だ。よく冷えた野菜の食感に思わずにんまりしてしまう。コーヒーゼリーは思ったより量があって、お腹によく溜まる。ゼリーの苦みとバニラアイスの優しい甘さの組み合わせが絶妙で良かった。

 暑い日のとびきりの贅沢はこういうものだ。それから、汗だくになった後のシャワーと。早くも帰宅が楽しみである。

 ちょうど食事が終わったところで、ディーラーから点検が終わった旨電話がかかってきた。

 オレンジさんを迎えに行くと、奴は明らかにご機嫌だった。何せ、出立ちからして違う。早く乗ってと言わんばかりのピカピカさに、私は思わず目が眩んだ。

 うちの子がかわいい……。

 点検の結果は特に問題なしとのことで、次回の点検は一年後かなと担当者と軽い雑談をしてから店を後にする。

 サドルの高さを修正してから跨ると、違いは歴然だった。何とは表現しづらいが、乗りやすい。自然とペダルを漕ぐ脚が軽やかになってしまうくらいスムーズに脚が回るのだ。オレンジさんがご機嫌なのも頷ける。定期点検はやはり大事だ。
 そのまま試運転も兼ねて走る。例によって石畳を踏んでガタガタになったりしたものの、自転車の調子がいいとこんなにも気分がいいものなのだなと思い知らされた。

 ロープウェイを「いいな……」と眺めつつ、暑さで具合が悪くなってきたので桜木町駅まで走り終了。オレンジさんは「もっと走れる!」とのことだが、人間が無理である。

 これから季節が秋めいてきて、どんどん涼しくなって。そうなったら、オレンジさんとどこに行こう。また遠くに走りに行きたいな。

 そう考えながら彼を輪行袋にしまい、右肩に背負う。
 さあ、今シーズンの開幕だ。だから早く涼しくなってくれ、お願いだ。

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