8 未来の地球と辺境の星から 趣味のコスプレのせいで帝のお妃候補になりました。初めての恋でどうしたら良いのか分かりません!
No.17 服を脱いだ姿は帝だけにお見せしなくては
その夜のことだった。
私はお風呂から上がり、寝る身支度を整えていた。窓の外から、早咲きのクチナシの香りがかすかに漂ってくる。
忍びが湯上がりに着るのは、決まっている。肌触りのたいそう良い浴衣生地で、腰から下が袴《はかま》のようになっているものだ。上着の部分は、渋い萌葱色《もえぎいろ》の地で、炎色や京紫色の花模様があちこちについている。
腰から下の袴は、涼しげな生地であつらえた紅桃色《とうこうしょく》で、腰の高い位置で絞る帯には白地の小花模様が散らしてある。
湯上がりの透き通るような肌に、濡れた髪が落ち、私は白い乾いた手拭いでゆっくりと髪をふく。
部屋の扉をノックする音がした。
「沙織、私よ。ちょっと良いかしら?」
姉の琴乃の声だった。
「姉上、どうぞ。」
私は姉を部屋に招き入れた。
「今年は、庭のクチナシは早咲きね。良い香りがするわ。」
姉は微笑むとそう言った。
姉も湯上がりに着る浴衣生地の服を着ている。姉の袴は鳥の子色で、上着は薄卵色の地に韓紅色の花模様があつらえてあり、美しい姉の肌によく似合っている。
よく男性がこの姉を放っておくものだな、と妹心にも思う。いや、姉が近寄る男性が下手なことをすると、めったうちにしてしまうからだけれども。
「ちょうど今から忍び体操をするところだったの。」
私は姉にそう言った。ゲームでプテラになったので、腰をほぐして置かなければ、二十三歳とは言え、明日に響く。
「では、私もご一緒するわ。」
窓の外からは涼しい夜風が入ってくる。広大な敷地の奥にある厩の気配がかすかに感じられるぐらいで、辺りは静まっている。
星のきらめきと月が美しい夜であった。恐竜区域の声も今はもうしない。
私たちは、姉妹で静かに子供の頃から慣れ親しんだ忍び体操を行った。
姉は、子供の頃、実家に侵入した刺客が飛びかかってきたのを、空気を震わせて空気だけで突き飛ばしたことがあった。相手は、数メートル吹っ飛んだ。子供の頃から美しいだけでなく頼もしい姉であった。
「奉行所のおつとめはどう?」
姉は、急な嫁入りの話で、私が動揺しているのを知っている。
慰めに来てくれたのであろう。
「何とか勤めております。」
私は両足をぐいと床に広げながら答える。忍びは体がとても柔らかい。
奉行所は、整然と立ち並ぶお屋敷を抜け、高級デパートが立ち並ぶより賑やかな一画にある。怪しげなものはないが、中には裸になって身ひとつで入る銭湯もあり、それなりに繁盛しているようだった。
「沙織、しばらく銭湯に行くのはおやめなさい。父上も母上も兄上も知らないことよ。お妃候補になったのだから、そういった行動は慎むのよ。」
姉はそう言った。
「分かりました。姉上。」
私は大人しくそう言った。
「服を脱いだ姿は帝だけにお見せしなくては。」
「え?」
「そんな綺麗なお胸は帝にだけお見せしなくちゃ。」
「はい?」
私は聞き返したが、急に姉に尋ねられた。
「あなた、本当に何か私に隠し事をしていない?」
姉の琴乃は本当に鋭い。やはり感づいたか。
「沙織、他に好きなお方でもいるの?」
「まさか!姉上、そんな方はおりません!」
私は全力で否定した。
「そう。分かったわ。」
忍び体操を終えた私は、姉にお茶を淹れた。
二人で並んで涼みながら、湯呑みを両手で抱えて美味しいお茶を飲み、空の月を窓から眺める。雲の影から月が姿を表したり、隠れたりしている。
「沙織、困ったことがあったら、父上や母上に話せないことでも、私には何でも話すのよ。」
姉は静かに言った。
「分かりました。」
私はそう答えた。心苦しかったけれども、このゲームに関しては、本当のことは決して言えない。
私をお妃候補に使命した帝に会ったのは、その次の日のことである。
No.18 五重塔の周りを飛び交う翼竜プテラノドン(沙織)
嫁入りの話で、突然、自分を取りまく世界が変わってしまったように思える。
そもそも、私は姉のように美人でもないし、姉のように優秀な忍びでもない。ただのオタクだ。得意の術で上司をごまかそうとするくらいの不届きものだったりする。
帝のお妃候補に私が選ばれるはずがないのだ。これが陰謀でなかったらなんなのだと言いたい。
昼になり、太陽が真上にきている。私は奉行所の昼時間に外にでてきていた。
天高く聳える五重塔のいただきの辺りを見つめて、私は深いため息をつく。朱色の内屋根のあたりを、翼竜のプテラノドンが飛び回っている。私は、昨日のゲームのなかで、五重の塔のいただきより高いところを散々飛んだ。
辺りには、たい焼き屋の香ばしい匂いがただよっている。
「たい焼きはいかが?」
にぎやかな大通りの前に、若い売り子が行きかう人に聞こえるように声を張っている。
あそこのたい焼きは美味しいのだ。朝食がのどを通らなかったせいで、私は急にお腹がすいてきているのに気づいた。
今朝は、だいぶ朝方早くに目がさめてしまった。
なぜ、突然、私が帝のお妃候補になるのか。
ゲームに参加してやらかしてしまったことが、関係しているのだろうか。家族の誰にも言えない暗い秘密を抱えてしまい、私の心は沈んだ。
夢見も酷く悪かった。
そんなことを考えていたら、朝食の準備を手伝うのに間にあわなかった。
間宮家では、由緒正しい代々続く武家地主であったけれども、朝食の準備はみなで行う決まりだ。
寺子屋にかよっている幼き頃より、父の鷹蔵、母の麻子、兄の実行、姉の琴乃、沙織と、使用人のおもだった者と一緒に準備をするならわしである。権太もその一人だ。
「沙織さん、今朝はたいそう疲れたご様子ですね。」
何も知らない権太はそう言って、朝食の準備に間にあわなかった私を気遣ってくれた。
家族は状況を知っているので、私の様子を見て何も言わなかった。ときおり、心配そうな目線を感じるものの、そっとしてくれていた。
朝食はほとんどのどを通らなかった。味がせず、自分の箸を持つ手が、気苦労のあまり、いつもと違うように感じた。
これでは家族に言えない借金でも抱えてしまった方がまだマシだ。そう私は思うのであった。借金は頑張って返せば良い。
けれども、ゲームに参加してしまったことは違う次元の罪を犯したようなものだ。
というわけで、その日、私はクタクタで奉行所勤めにでていた。得意の人をあやつる術を使って、上司を惑わす気力もおきない。
ノロノロと、だが着実に仕事を片付けて行く。心を無にして、手と頭は慣性の法則にしたがって次々にタスクを処理していった。術の一つだ。
No.19 そんなにまざまざと私を見ないで欲しい(沙織)
私は、嫁入りの話を頭から振りはらおうと、ゲームの設計について思いあぐねていた。
忍術の一つに、『縮地之秘法』という術がある。遠く離れた場所に移動する術の一つだ。
けれども、あのゲームに使われている術は、そんなものではない。それは、その昔からタイプスリップと呼ばれていたたぐいのものだ。
仕事をかたづけながら、頭の隅で考えこんでいたところで邪魔がはいった。指がすべり、筆算で細かい数字を計算していた紙で、思わず指を小さく切る。
「痛っ」
小さく声がでた。
地球の歴史は寺子屋時代から叩きこまれているので、今の忍びならば、皆が知っている。私にとって、昔の地球は体がふるえるほど魅惑的なものに感じた。
「五右衛門くん、間宮沙織くん、ちょっと来て。」
上司が呼んでいる。
これが、私の思考を妨げた邪魔だ。
いつものように上司に呼ばれて、私たちは上司の席まで行く。上司は、精悍な顔立ちをして、いつも紅掛花色のものをアクセントに身につけている洒落者だ。今日はハンカチーフが紅掛花色。
「ちょっとね、帝から呼びだしでね。君たち、一体何をしたの?」
上司は精悍な顔をいぶかしげにゆがめ、首を斜めに小さくかしげて、私たちに聞いてきた。
み・か・ど?
私と五右衛門さんは完全に静止した。
帝におかれましては、我々平民忍びと一切かかわりあうことがなく・・・奉行所勤めでも、まず、職務中に帝に呼びだされるなどということは、天変地異の一つに入るぐらいの出来事だ。
「おぬし、毒を持ったな?」といわれるぐらいの、青天の霹靂の驚愕するフレーズに近い。
ただ、である。私は昨日も、帝の話を聞かされた。突然、私は帝のお妃候補になったと聞かされたのだ。
二日連続で、「帝」。
これは、明らかに何かがおかしい。今日は、五右衛門さんも一緒に帝に呼ばれた。
「ゲームが原因では?」
私は聞こえるようにはっきりと心の中でとなえる。
五右衛門さんは、ゆっくりとかすかに私にだけ分かるぐらいの微細な動きで、うなずく。聞き耳の術で聞いてくれたのだ。
こうして、私たち二人は、帝に呼ばれた。
「お妃候補って何?」
上司から離れて席に戻るとき、五右衛門さんは小さな声で私の耳元でささやいた。
それは、読まれてはいけないものだ。
「なーるほど?秘密のことか。」
五右衛門さんは、凛々しい顔立ちをさらに凛々しくし、目を細めて私を見る。
そんなにまざまざと私を見ないで欲しい。これだけは、読まれてはならぬ。