映画のバリアフリー化はここから始まった
映画館で実験開始
MASC設立後の翌年、2010年に日本財団の助成金が取れ、バリアフリー視聴環境整備のさまざまな実験を開始した。その記録を書く。
舞台は「蒲田宝塚」「テアトル蒲田」であった。(既に閉館)
ここは、どこか懐かしい昭和の香りがする映画館で「蒲田宝塚」では東宝系、「テアトル蒲田」では東映系の劇場公開映画が上映されていた。古い映画館だったが、古い作品を上映する2番館ではなく、最新作を上映していた。
その最新作を1年間、全てバリアフリー化し、毎週日曜日、字幕は「ヘッドマウントディスプレイ(字幕メガネ)」、音声ガイドは「FMラジオ」で流した。主実験は「音声同期」を使って、自動的に送出するものだった。ここはたまたま2階席があり、使っていなかったため、実験場としてお借りした。もちろん、対応中であることを各方面に告知し、字幕の必要な方、音声ガイドの必要な方にもご来場頂いた。
製作会社協力による、バリアフリー版制作の原点
当時はまだフィルムの時代、邦画のバリアフリー字幕付き上映は殆ど行われて折らず、まして音声ガイドに至ってはボランティアが動かない限り、ほぼ聴くことができなかった。それを東宝、東映の劇場公開映画を1年間、毎週日曜日にバリアフリー対応したという、かなり画期的なことだった。
今では当たり前になっているが、ドラえもん、ポケモン、仮面ライダーといった大手のメジャーな作品を公式に17本、バリアフリー制作した訳で、間違いなくここが原点である。(ボランティア対応を除く)
映画製作会社から台本を提供いただき、音声ガイドはディスクライバーが書き、スタジオで録音するというその作業工程を確立したのも、これが最初であった。当時、MASCは埼玉の「SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ」に入居しており、立派な音響スタジオがあり、安価で借りられたのも後押しとなった。私が元音響エンジニアであったのもスムーズに対応できた要因である。
音響同期が必須である理由
当時、アメリカの映画館では、字幕をアクリル板で表示させるシステムが毎年、国の指導で導入されていた。これは、客席の後ろの壁に「電光掲示板」が設置されていて、鏡文字(反転)させて字幕を表示、これを客席カップホルダーに設置したアクリル板で見るというものだった。今後、劇場のシステムとして発展していく可能性もあったが、劇場を説得して設備費用を負担し導入していかなければならず、日本では大きなハードルと感じた。
そこで、音響同期による自動送出でシステム、そして携帯端末を使えば、どこの映画館でも低コストで対応可能だと考えた。
MASCの設立は映画・映像編集のポストプロダクション、キュー・テックの社員の出向で始まっており、実は設立前から、ヘッドマウントディスプレイを使った字幕表示や、PCを使ったDVDへの字幕、手話の表示など、セカンドスクリーンを使った各種実験を行っていたのだった。(川野の一人プロジェクト)この流れで、音響同期というアイデアが生まれた。
*WebShekeAirという名称でサービスを模索
映画館に穴を空けた日
最初、PCに音声を入力して、フィンガープリント(音響解析)によって、同期するソフトウエアを開発した。これで映画の音声さえあれば、字幕や音声ガイドを自動送出できるのだけど、PCを映写室に設置する訳にはいかなかったので、映写室から2階席へ音声ラインを引くため、穴を空けさせてもらった。
今思えば、よく許してくれたと感謝!
システムの概要
映画本編の音声をPCに入力、ソフトによって字幕と音声を同期させた。
字幕表示(ブラウザを使用)
1:2階席センターにモニターを設置し、ここに表示させた
2:PSP(プレイステーションポータブル)iPhone(ソフトバンクから借りた)ヘッドマウントディスプレイ(ニコンUP)音声ガイド
PCからの出力をFM送信機に。FMラジオで受信した。
更なる実験
ボディソニック(パイオニア製)
「身体で聴こう音楽会」という、聴覚障害の方々に振動で音楽を聴いてもらうという社会貢献企画を実施していたパイオニア(当時キュー・テックの親会社)に相談、ボディソニックを座席に設置し、映画の音声を振動で楽しめるか、実験を行った。
残念ながらそれは単純ではなく、シーンによる振動の細かい制御(どこで強調させるか)が必要と分かり、この段階では断念した。磁気ループ
補聴器には原則、磁気ループによる音声受信ができたので、映画本編の音声を直接補聴器に送った。
現システムへ移行
1年間実験を重ね、音響同期の方法は確立し、最終的に現在の「スマホで聴く音声ガイド」「メガネで見る字幕ガイド」に繋がることになったが、次のステップは次回。