自分の空っぽさに震える10月
9月22日 ロッキンひたちなか4日目は、雨のなか始まった。 しかし、天は僕らの味方だった。 午後、indigo la Endのパフォーマンスが始まるころ 青空が姿を見せ始めた。 そして、青空の下サンボマスターと5万人は熱狂したのだ。 1組目はモーニング娘。24であった。 雨が徐々にひどくなるなか、パフォーマンスはもちろん、MCでも会場の一体感を高めていくのであった。やっぱりLOVEレボリューションは盛り上がるよね。 2組目はマルシィであった。 熱狂的なファンも多いよ
9月21日 ついにROCK IN JAPANひたちなかも後半戦が始まりました。 今日は櫻坂46から始まり10-FEETにホルモンと、このフェスならではの濃いめのラインナップでした。 2019年までのロッキンを知っているアーティストにとって やっぱりひたちなかは特別な場所みたいです。 ひたちなかへの思いを聞いていると私も胸が熱くなりました。 いや、SHISHAMOも10-FEETも最高だよ。 TAKUMAの飾らないMCがまじで最高なんです。 ロッキンググループの方へ、
9月20日金曜日、私は水戸にやってきた。 私の"主たる"目的はそう、ROCK IN JAPANである。 なぜ「主たる」という勿体ぶった表現をしているのか。 それはロッキンの会場が祖母の家から数キロの場所だからである。 つまり、ロッキンに行く🟰帰省なのだ。 今日もリハーサルの音が風に乗って祖母の家にやってくる。 ロッキンの鼓動が始まったのだと実感する。 ロッキン前日の今日は、ひたちなかに帰ってきたロッキンへの思いを 綴ろうと思う。 ロッキンは2000年から2019年ま
高校の友人グループでブックオフに行く機会があった。 私も友人たちも音楽が好きなのでCDコーナーを長い時間物色した。 久しぶりにCDコーナーを物色したが、今はCD安時代なのだなと実感した。 名だたる名盤が大方300~500円で販売されていた。 ストリーミングで配信されていない作品等は高値であったが、 私が普段聞くような作品は格安で販売されていた。 ケミカルのディグ・ユア・オウン・ホールやダフトパンクのディスカバリー等が300円で販売されていた。 もちろんストリーミン
じめじめとした天候が続いている。 祇園祭が始まろうとしている今日この頃である。 そんななか、私はあることを感じている。 ああ、自分は一人だなと。 周りの友人が、一人、また一人と そういう関係性の存在と一緒になっている。 私が属するコミュニティーに活発な人々が多いからと、 言い訳することもできる。 しかし、事実として私にそういう存在はいない。 私はいつも素直にならなきゃと思う。 でも、ギザギザしてしまう瞬間ってある。 誰かがそういう関係の人の家にいったとか、 大
なぜか最近Every little thingをよく聴く。 昔から存在も認知していたし、曲もいくつか知っていた。「Time goes by」とか「fragile」とかね。 今まであまり積極的に聞いてきたアーティストではなかった。ところが、今年Apple musicで一番聞いていたのは紛れもなくELTだった。ついには新品でベスト盤を買ってしまった。 今年の1月か2月くらいに急に「fragile」がジーンと来る感じがした。 個人的にその時期は疲れていた。何か大きな失敗をしたわ
CDが売れない時代になって久しい。 人々が音楽を聴く手段は物理的な媒体からダウンロードを経て、今はストリーミングが主流となった。 音楽に限ったことではないが、自分で所有するという概念は古くなってきているのかもしれない。 CD、DVDその他もろもろのメディアは無用の長物となりつつある… いや、本当にそうだろうか。 私たちが愛する音楽、映画、アニメは永久的にネットからストリーミングできるだろうか。 当たり前だと思っているストリーミングサービスは永久的に続くだろうか。 少々
生きづらい世の中、自分はなぜ生きているのかと思うこともあるだろう。 現に私自身そのような疑問をずっと抱いていた。 しかし、この疑問に答えはない。哲学者や倫理を学問とする者が、 それらしいことを答えとしているかもしれないが、どれも空虚だ。 本題はここからだ。 なぜ自分は生きているのかという疑問を持つものは私だけではないだろう。 同じような疑問を持つ声が私の周りでも、ちらほら耳にする。 疑問を持つこと自体仕方がない。しかし、答えがない質問なのだ。 周りに問う行為をしても意味は
今、テレビ東京で「季節のない街」が放映されている。 クドカンと大友良英の組み合わせのせいか、あまちゃんを思わせる 雰囲気のドラマだ。 一見コメディーらしさも感じられるが、(設定を見ればコメディーじゃないと気付く)非常に鋭さを持ったドラマである。 クドカン作品だとIWGPはなかなか鋭く社会派なドラマであるが、映像の作り方が非常にハードボイルドである。一方で「季節のない街」は一見ハートウォーミングな雰囲気を醸し出すが、IWGPを上回る鋭利さを備えている。 このドラマからは
私はタイムスリップするのが趣味だ。 いや、タイムスリップしないと生きていけない。 タイムスリップする先は、90年代だ。 古いMステ、HEY!HEY!HEY!、CDTV等 CDが一番売れた時代、鮮やかな雰囲気だ。 古い音楽番組には楽曲だけでは感じられないものがある。 それはアーティストの生気あふれる息遣いだ。 草野マサムネがチェリーの由来をタモリに恥ずかしそうに話す様子 まだJUDY AND MARYだったYUKIがトークもウキウキしている感じ シャ乱Qのつんくが調子
ベタなタイトルだが、私の人生にはいつもスピッツがいた。 私がスピッツのファンになったのは両親の影響だ。 小さなころからタイトルを知らずにスピッツを浴びていた。 過去の情景とスピッツの曲たちがリンクする。 夜の夜景がきれいな近江大橋と「不思議」のちょっと切ないメロディ 習い事に送ってもらうときに、アップテンポな「トンガリ’95」 自然豊かな信楽にドライブするときに、どこかに連れて行ってくれそうな「ルキンフォー」 そして昨日初めてひとりでドライブしたときも、ギアを上げて
私は普段、いい夢を見ない。 大概、何かに追われているか、過去のトラウマの場面が夢となって現れる。 でも今日はなんかいい夢だった。 今日の夢はどこかの映画の撮影現場であった。 堤真一が演技をしていた。でも彼が主役ではなさそうだった。 よく分からないが、なぜかELTの持田香織が演技をしていた。 堤真一の相手役のようだった。 どういう話だったんだろうか。 なんだか心地よい空間だったような気がする。 こういう夢を見させてください。
私の所属する演劇サークルでは夏公演に向けて準備が始まった。 正直私も役者をしてみたかった。 しかし、私は大学3年生である。 就活もしなければならない。教職もある。 正直、教職も何のために取っているか分からなくなっている。 私のサークルにも教職を取っている人がいる。教科は違うが、同じ文系同士だから教職の愚痴も話し合ったりした。 その人はうちのサークルのなかでは軽めに活動しているタイプだった。 それこそ去年は文化祭で演技をしていたが、公演のオーディションには参加していなかった
私の気持ちはよくわからない。 同世代の人間はツイッターに鬱屈とした気持ちを吐き出している。 私もそんな感情を吐き出したい瞬間がある。 でもツイッターにつぶやくのは違う気がしてしまう。 知り合いの鬱屈としたつぶやきを見ると不快になってしまうときがあるからかもしれない。 noteならそういうのを見たくない人は見ないで済むかもしれない。 でも、ツイッターとかnoteでいいねつくとうれしい。 私はどっちつかずだ。
私が所属している演劇サークルにはオーディションがある。 年に4回しか公演がないから仕方がないことだ。 でも、私はオーディションがあまり好きではない。 どこかの劇団とか、ドラマの撮影であればしかるべき理由で オーディションをやってると思う。 でも、私が入っているのは演劇「サークル」なのだ。 恨み節になって悲しいが、私は幾度となくオーディションではじかれてきた。 そんな事情もあって今年の2月に通常の公演ではない小公演なるイベントを企画した。 その小公演では私もハレバレ役者をした。