加害者は、危害を加えた意識などない。
人様をいじめていたことに気づかなかった子ども時代
私は物心ついた時には、すでに次女にいじめられていた。しかも、陰湿。
母親は見て見ぬふり。
母親自身も人とのコミュニケーションをまともにとれる人ではなく、色々なストレスを母親は私に八つ当たりをしていた。
私に優しくする人などいなかった。
私は、間違ったコミュニケーションを覚えてしまった。
毎日ストレスの溜まった私は、当時習っていた習い事での同じバスの中で、1つ年上の女の子にひどい言葉を投げ掛けていた。
毎回、その女の子の前で女の子の悪口を言っていた。次女が私に言うようなひどいことを私も言っていた。具体的に何を言っていたのかは全く覚えてないのだが、多分「汚い・かわいくない・ぶす」など言っていたと思う…。
習い事のバスに、その女の子が乗らなくなった。
私は何の気なしに「あの子、最近見ない」と言うと、バスの運転手が「あんなこと言っておいて、張本人が気づかないのか」と私に言った。
つまり、「君がいじめたのだから、同じバスに乗らなくなったんだぞ」ということ。
私は『え?私?』と思った。
いじめている自覚がなかったのだ。
私は、家庭で毎日母親と次女にされていることしかコミュニケーションを知らなかったので、そのまんまのことを人様にしていただけ、なのだ。
もちろん、私が悪い。
私が悪いのだが…やはり、自分を尊重され優しくする家族がいない私には、普通のコミュニケーションがわからないのだ。
言い訳なのだが、あの女の子にはひどいことをした。その女の子だけではなく、同級生は弱そうな子を選んで私はいじめていたと思う…。
“いじめている本人はいじめている自覚がない”
“加害者は、被害者を追い詰めた意識はない”
と私は身をもって知っている…。
父親が原因で、祖父がすい臓がん
すい臓がんで亡くなった母方の祖父。
私が小5になる春、長女が高校受験を失敗した。
両親ともに落胆し、それはそれはひどい落ち込みようで、“長女が亡くなったのか?(例え)”というほどの落ち込みぶり。
父親は3日ほどで3キロほど痩せてしまったほど、泣く日々だった。
父も母も号泣し、長女の試験の内容を聞き出し、何を間違えたのか確認して、泣いていた。異常だった。
父親も母親も憔悴しきっていた。
そこから、父親は「俺が長女に勉強を教える!」と言い出し、まずは家中の物を捨て始めた。
勉強に関するもの以外は全て捨て始めた。
漫画はもちろん、ピアノやテレビやボールペンやシャープペンシル、蛍光ペンまでも。
父親いわく「鉛筆じゃないから頭が悪くなった。蛍光ペンもダメだ」と。
雛人形も捨てた。
毎夜、長女に「何してるんだ!」と近所に響きわたる声で怒鳴りつけた。
長女も長女で「何だよ!」と反抗した。
こんな異常な医者で、患者は激減。
父自身も働く気など皆無。日々、教科書を開いて勉強をし始めた。
1年以上、毎晩暴れまくる父親と長女。
隣町に住む、母方の両親の耳まで届いていたのだが…
ついに、母方の両親が夜中に我が家に来た。
祖父はスーツを着て、「先生、もう辞めてください」と正座をして頭を下げた。
父親は「ダメだ」と聞く耳持たず。
結局、父親はずっと変わらずに暴れ続けた。
祖父は、目に入れても痛くないほどの娘(私の母親)と愛する孫(長女)を心配して、私が小6の夏休みの最後にすい臓がんで亡くなった。
私は小6だったが、どう考えても「私の父親が原因」と思っていた。
祖父の通夜と葬儀では、父親は平然と参列していた。自分が原因と気づかず。
収骨の時に、私が骨壺に祖父の骨をいれようとすると、いきなり父親に「遊びじゃないんだ!」と皆の前で怒られた。
私は小6だったが、祖父が亡くなって悲しかったのに、“遊びじゃないんだ”と怒鳴られ…。
父親は、間接的に自分が祖父を殺したと気づかないままだった。
「お父さんのせいで、おじいちゃんすい臓がんになったんでしょ。気づかないの?」と思っていた。
加害者は、罪の意識がないんだなとわかる一例である。
悲しいことに、父親は好き勝手に生きた。
神様から特に罰が当たることもなく、能天気に日々遊ぶ呆けて生きていた。
次は長女の話をしようと思う。
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