罪悪感もなく、ナチュラルに毒家族の電話番号を消した。

そういえば、母親と姉の控えていた連絡先を消した。
向こうは私の番号を登録してあるかもしれないが、私は“控えていた番号”を消した。
自然と、「あ、消そう」と思った。
万が一かかってきても、登録してないので誰かわからないから、その時の私は警戒すると思う。

最近ようやく“毒親”というワードが浸透し続けて、『母親は誰であっても無条件で我が子を愛する、ということはない』という事実が知れ渡ってきたかなと思う。

私も、母親と父親と姉2人には散々な目にあった。
それでも私は見捨てなかった。自分を犠牲にしてでも、母親を見捨てずに何度も手をさしのべた。
ずっと「天変地異が起きても、私はお母さんと関わらない!」と何度も想像して覚悟を決めたはずだったのに、年始の地震では結局母親に連絡をしてしまい、母親を助けようとした。
しかも、私は我が子を犠牲にしてでも、母親をなんとか助けられないかと考えてしまったのだ…。
母親は母親で、私の赤ちゃんなどどうでもよかった。

私が母親にされたことを人様に話すと、
「私(友人)がかぼちゃちゃんなら、お母さんに心が離れるわ」と言われたこともあったし、別の人には「そんなひどいことをお母さんは言うんだね…」と同情されることもあった。
それでも、「かぼちゃちゃんのお母さんの気持ちがわかる!かぼちゃちゃん許してあげて!」と言う人もいた。

私は……
本当に何千回、何万回と毒家族を許して、苦悩して、犠牲になってきた。
今回の地震で、母親は、私の赤ちゃんの命などどうでもよくて、母親自身と姉2人の仕事のことが一番大切だと知った。
姉2人も、私と私の赤ちゃんのことはどうでもよいのだ。
今回の大雨も、母親のことは少し心配で頭をよぎったけれど、これ以上、私の赤ちゃんを不幸にするわけにはいかない。
なにより、母親には“孫よりも、需要なお仕事をしている姉が2人もいる”のだから、母親に何かあれば姉2人がなんとかするだろう。
もう私の出る幕は終わった。
頑張ったじゃないか、私。
年始の地震の時には、精神的に私の命を母親に差し出したわけだし、もう充分だよ。

あ↑
よければ、お読みください。

今思い出しても…涙が出る。
私の産んだ赤ちゃんをないがしろにする神経が、悲しい…。


私にはもったいないくらいの“良き夫・良きパパ”がいる。
「ママ~!お仕事気をつけていってらっしゃい!」と、赤ちゃんを抱っこして玄関まで見送ってくれる。
赤ちゃんは寝起きからニコニコと笑って、保育園のお迎えで私を見ると喜んでくれる、私を無条件に必要としてくれるかわいい子。

「“母親の愛は無条件”と言うけれど、私の母親は条件付き。私の赤ちゃんは、“無条件で私を愛してくれる”んだな」とよく思う。

最近、お仕事と保育園の両立と、つわりも少し落ち着いたからか、幸せをしみじみと感じる。色々と先を考えると思い悩むこともあるけれど。
それでも、とても素敵で絶対に味方でいてくれるパパがいて、不妊治療のすえ健康でいつも笑顔の赤ちゃんが産まれてきてくれたことを噛み締めている。

母親のことで散々悩んできたし、“連絡先を消した”とはいえ、今だって毒家族育ちの後遺症で苦しんでいるけれど…
充分すぎるほど幸せだ。

とにかく“普通”であるパパと出会い、結婚ができたことが私の幸運の始まりである。
パパは別に人格者でも崇高な人でもない(笑)
本当に普通である。
ただ、パパは“普通であることが何よりも幸せ”という価値観を持っていることは有難い。
年収や職業、学歴など、何に置いても“普通が一番”という価値観。
そういう価値観であるパパと出会えたことは私の最良の幸運だ。
そんなパパの子どもである赤ちゃん、私達夫婦で全力で“普通の子ども”として育てて、“普通に幸せ”になってもらいたいものだ。


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