とある夫婦の始まりから終末まで③
平和な日々もそれなりに続き、子供が保育園や幼稚園を変えなくて済む範囲にマイホームを購入し新たな生活がスタートです。今振り返れば幸せの絶頂期です。
そんな折、妻の姉(次女)が突然亡くなってしまいます。ウチの娘二人と同学年の子供を残し、それこそマイホームを貯金してキャッシュで買ったと聞いてウチは30年ローンだったので羨ましいなーと思ったのをよく覚えています。
義姉(次女)さんは本当に優しく義母や義父の間にも立っていただいていたのですごくショックでした。
葬儀の当日も3歳の娘どうし日中はきゃっきゃきゃっきゃと遊んでましたが、夜になるとしくしく泣いているという話を後日聞いてできることはなんでもしてあげればよいと思ってしまいました。
この状況だったので夏休み、年末年始は必ずこちらの親戚宅へ行くことになりました。
そんなこんなで我が家の盆と正月はだいたいこの義姉宅で過ごすことに。
決して悪いことではなくてむしろ行って一緒に遊んだりは楽しいわけですが、ずーっと続くとどうなるかというと、たまにしかできない家のこと(大掃除)などはできなくなり部屋は荒れていく一方です。
もともと掃除が得意ではない妻なので、私ができる範囲で平日も仕事から帰って片付ける日々。段々とストレスが溜めていってたのはいうまでもありません。
家内も在宅で仕事はしていたので一定理解はしますが、家に帰ってきても気持ちが落ち着かないほど散らかったままというのがどうにも困ったと思い始めました。
そんな感じで夫婦の仲はどんどん険悪になる中、長女5歳の七五三の際、再び両家で事件が起きました。
神社へのお参りが思いのほか時間がかかってしまい、予約していたホテルのレストランへ着いた頃には大遅刻の状況でした。電話連絡は妻がしてくれてましたが、お店側にも事情があり時間は動かせない状況となり子供たちもぐずり始めてこれは無理だということになり、散会することに。
方向的にはまったくの逆方向だったので私の車に妻と子供たちと妻両親がのり、父の車を私が運転して帰ることとしました。
3人でごはんでも食べようかと声をかけごはんを食べるもなんで子供たちを連れてこれないのか理解できないと叱責される。
「俺は、〇〇家(妻家)にお前を婿養子に出した覚えはない!筋を通せ」と。怒り狂う父にそもそも子供たちを家から遠ざけてさらに食事ということは人数的にも時間的にも難しいかったので謝罪をしたが、一方の妻は楽しそうに両親と子供たちで食事をしているのである。
父が憚られたと感じるのも無理はない。
がしかし、父は中途半端な外食へ連れて行けば逆に機嫌が悪くなるので
店選びも慎重を期していたのである。
妻も最大限ケアしてくれてたが渋滞の見込みが甘かったというだけの話である。
このあたりからが本当の意味でボタンを掛け違い始めたのかなと今では思う。