素人の考古学ー茨城県石岡市舟塚古墳巡り
この地方は今から1万年以上前の旧石器時代から縄文時代、弥生時代にいたる数多くの遺跡がある。
4~6世紀の古墳時代の遺跡として、茨城県内最大規模を誇る舟塚山古墳をはじめ、府中愛宕山古墳、要害山一号墳などがある。これらの古墳は、古代豪族がこの地に割拠していたことを物語っている。
常陸国の中心地で、縄文遺跡、弥生遺跡、古墳、国府、国分寺などが一日で見られる。
霞ヶ浦に流れ込む恋瀬川に沿って、水上交通を支配していた豪族の古墳群がある。
●舟塚山古墳 (国史跡)
全長186ⅿ高さ11mの3段築成の前方後円墳で5世紀中頃の築造。
後円部に比べ前方部が長く、仁徳天皇陵に似た姿でうっとりする。
関東第2位の規模を誇り、茨城国造の筑紫刀禰の墓ではないかといわれている。
となりにある、愛宕山古墳
全長96.6ⅿ、周溝を持つ前方後円墳。6世紀後半の築造。
これも優美な姿をしている。
常陸国分寺の七重の塔の心礎。
天平勝宝4年(752年)に完成したとされている。
寺域全体は東西270メートル、南北240メートルで、全国の国分寺の中でも規模が大きいものとされている。
現在の国分寺の境内は、創建時の国分寺跡の遺構上に位置している。
七重塔の位置が寺域東側に推定され、金堂や講堂の規模も明らかになっている。
常陸国総社にある、ヤマトタケルが東征の際に腰かけたとされる石。
連房式住居
常陸国はヤマト政権の東征の最前線基地として、武器・武具を大量に制作していた。連房式住居はその工房跡。
この辺りはレンコン畑が多く、昔から醤油とお酒、レンコンが有名で美味しく味わいました。
以上
小兵衛記
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