よし、ボートだ!題8話

たぶっちゃん。

デブのたぶっちゃんは、もちろん田渕という名字で、当然のように汗っかきだ。3月の半ばから半袖のシャツを着て、フゥフゥ言ったまま12月初頭まで大汗を掻いている。

彼とは本来仕事上の付き合いだった。彼が僕の会社に飛び込み営業してきたのだが、なんとなく既視感があり良くしてしまった、そうこうしている内に客先をお互い紹介しあうような関係になった。
たぶっちゃんはデカい体躯ながらなかなか小廻りの効く男で、いつも一生懸命に「見える」その大汗で得をしていた。いや、もちろん仕事はできたよ。

どこだったか確か何かの会合の打ち上げで一緒のテーブルになった。
「いやぁ、実は賭け事が大好きで」
僕もボートはするよ。
「社長もやるんですか、一回ご一緒しませんか?」

彼はサラリーマンと言ってもちょっと特別な立場で、結構時間に融通が効く。ま、僕もある意味、特別な立場だから度々競艇場で一緒になった。なんとなく見覚えがあった理由だ、ちょいちょい目線の中に居た「デブ」の正体がたぶっちゃんだったのだ。

たぶっちゃんの競艇は一言で言えば「穴狙い」、それもどちらかと言えば大穴狙いである。
特に5号艇が好きで、とりあえず5号艇の一着二着絡みは、ほぼ毎レース買ってたはずだ。ただし掛け金は小さい、毎レース20点以上の買目になるから財布が保たないのだ。

いつもフゥフゥ言いながら、発券窓口と噴水前とたまに払戻窓口を行き来する。
だいたい彼が払戻を受けられた場合、仲間内で取れている者は滅多にいなかった。それほど勝率は低い。
「やっぱり、ロマンですよ。買ってスタートまでは誰よりも楽しんでますわ。」
確かに取れたら万券だ、ロマンはある、破滅的だけどね。


そんな暮らしは長くは続かない。
フッツリと現れなくなった。
会社に連絡してもなにか歯切れの悪い応答で、出張だとか休職だとか、つまりよくわからない。
2カ月3カ月・・誰に聞いても彼の消息は判らなかった。
心臓かなんかで死んだとか言うやつもいた、まぁ、無くはない、無理もない。

その年の秋も深まった頃、だから8カ月ぐらい経った頃、不意に会社に電話があった。
勤めていた会社と揉めて、独立して細々やっているとのこと、まぁ元気そうな声だった。暇があれば覗けよ、と声をかけた。

年が明けてしばらくした頃、新しい名刺と一緒にたぶっちゃんはやってきた。ちょっと痩せていた。

「お世話になります。ご無沙汰でした。」
スリムになったね。
「いやぁ、大変ですね、経営というのは」
ボートは?
「無理ですわ、時間も金も。」

口座を開き、翌月には仕事が再開した。


梅雨の頃には競艇場にも彼は帰ってきた。
一回りは小さくなって、汗もかかなくなって、堅実な打ち手となって。


「あ、社長。いつもお世話になってます!」



(了)



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