閃き?「気持ちいいこと、プライド」

断眠療法をしてみた。徹夜したあとの少し気分が冴えた感覚、あの現象は躁鬱にちゃんと効くらしい。確かに感覚は鋭くなるけど心は動かないままだった。今日も二時間ほど散歩した。何でもないことを喋っていると、ふと大事な言葉がでてくる。僕がしゃべっているのに、まるで誰かが僕に助言しているような、流れるように言葉が出てくる。「気持ちいいことが大事だ」とまた気づかされた。僕は周りからは「自由奔放だ」と言われるけど、そんなことはないと自分では感じている。僕は”僕”というのを感じない。”心”しかいないんだ。それを覆っているのが、僕なだけで。エンジンは心、外装が僕なだけだ。自由なのは心であって、僕はそれに従っているだけだ。

なぜ、最近は心が動かないのかがようやくわかった。こういった症状は以前にもあった。ずっとあった。そして毎回同じことに気づいて抜け出すのに、また同じ過ちを繰り返して心が動かなくなる。まるで記憶領域が別々になっているようだ。そこから抜け出したとき、僕は別の記憶領域に移行しているようだ。躁鬱もこれと似たようなことがある。躁と鬱、それと通常期では記憶の仕方が違う。最近の「心が動かない状態」も躁鬱に関係しているのだろう。そもそも僕が”躁鬱”な時点で全てに関係していると思っていい。無関係なんてことは有り得ない。心と脳みその問題なのだから。さて、話を戻す。なぜこのような状態になるのか。それがタイトルの「気持ちいいこと」だ。またでた。何回も出る。しかし忘れる。いや、肝に銘じていても僕はどこかでまちがえてしまう。自分が”気持ちいい”と感じないことをしてしまう。たいていそれは「僕が」したいと思ったことで心はしたいとは思っていない。だから僕が勝手なこと(つまり気持ちのよくないこと)をするとすぐに”心”が警告をだす。その警告は僕が行動を戒めるまで続く。だから待てばいいというわけではなかったのである。

「気持ちがいい」というのは”心”がそう感じることである。”僕”がそう感じるものではない。僕のは欲望だとか惰性だとか、とにかく品がないのですぐわかる。それをすると心が警告をだす。躁鬱は原因を無しに、間隔を開けてやってくるが、躁鬱の症状と似たようなことを心もできてしまう。警告は若干の鬱状態を再現する。それは僕が「気持ちのよくないことをしたんだ」と気づくまで続く。そしてそれに気づくとスーっと警告は消える。心は笑顔で帰ってくる。

ここでの「プライド」は何を意味するのか。先ほど、僕は自由ではないと言った。僕は心に対して、たまに抵抗を示す。おかしなことに僕はそれに気づいていない。だから同じことを繰り返す。「僕だって自分のしたいことをしたい」そう言って品のないことをする。例えばお金のこと、例えば見栄えのこと、例えば…。僕がパッと見て気持ち悪いと思えば、それは心が感じていることだ。ただじっとみると催眠にかかる。洗脳される。それが気持ちのいいことと勘違いする。しかし待ってほしいんだ。君がしたいと思ったことは必ず、心も後から感じるものだ。心が感じた時に動けばいい。僕だけが思っているときは時期尚早なんだ。心が気持ちがいいと感じることだけをすればいい。そこに「いや俺はこれをすべきじゃないんだ」というプライドが入るとすぐに洗脳される。気持ちがいいことをしてていいんだと気づくことだ。そのためにプライドを失くす、それか増やす。0か100だ。今日と明日どころか、今と5分後ですら「気持ちのいいこと」は変わる。想像のつかないところへ向かっている。だから待てばいい。そうなるべき時に心は向かう。


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