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幼き自分を取り戻すための人生か

Liminal Space(リミナルスペース)という言葉を覚えた。
人工的に作られた空間だけどどこか現実味がない。不安と郷愁、心地よさが混じる感じ。

Liminal Sapce


Liminal Space

Escape The Backrooms というゲームをプレイして、気になっていろいろ調べていた。僕はこういう空間が好きだ。ということにも気づいた。以前にもマグリットという画家の絵に一日中浸っていた時期があった。超現実的、シュールな絵。僕の妄想にすごく近かった。そのためか、見ていて心が穏やかになっていたのを覚えている。


ルネ・マグリット《ゴルコンダ》(1953年)

偶然ではない、音楽の趣味嗜好も同じようなものだった。後から見ると全て線で繋がっていた。VaporWaveという音楽のジャンルがある。無意味で無秩序に見えるタイトルに、超現実的なアルバム画像。とってつけたようなランダムな音楽性。どこか懐かしさを感じる。

VaporWave

”夢”や”センス”に興味があるのもきっと同じような理由だ。無意識的で、直観的なものだ。

寝る前の頭の中では【「無」が「無い」】空間があったかと思えば、気づいたら狭くて暗く、黒い線が乱雑に敷かれた空間があったりする。どちらにいても何も思うことはなくただ眺めている。このとき、頭ではなく心(心臓?)の方で空間が広がっているようにも感じる。

【「無」が「無い」】空間はたぶんこんな感じ


黒い線が乱雑に敷かれた空間はこんな感じ

僕はなにもしていない。このよく分からない「カオス」が先に存在するだけで、僕は本当に何もしていない。質問されても分からない。「僕」に聞かれても何も答えられない。「なんでそう思ったの?」と聞かれても分からない。あとから適当な理由付けをするしかなくなる。それは真っ赤なウソなのは分かる。

この「カオス」にどう向き合えばいいかわからなくなった時期があった。幼いころはその存在を知らなかったし意識することもなかったので文字通り純粋無垢なカオス状態だったと思う。すごく楽しかったと思う。時を経て「意識」が出てきたとき、分からなくなったと思う。「こうしたい」とか「こうでありたい」に加えて「憧れの人の意見」や「自分の反省点」だったりが反芻した。しかしそれによって向上してるのかどうかも分からなかった。いまでも分からない。それである時”苦しいな”と思って改善しようと試行錯誤した。だけど、それでも結局ひねくれるだけだった。そのときは「努力に縛られたくない」と思ったんだと思う。だから頑張らないように、「ゆっくりゆっくり」と自分を落ち着かせるようにしていた。しかし結局は「頑張るな」と言うことによって自分を縛っていた。

20歳。「頑張りたい」素直にそう感じたんだと思う。単純に生活したい。仕事してお金もらってご飯を食べたい。「明日も仕事かぁ」とか言ってつらいけど頑張るぜとか思いたい。「面倒だ」と人に相談して、それで頑張りたい。頑張る頑張らないとかも考えないでとりあえず明日のために生きてみたい。すごくバカなんだと思う。「考えすぎ」とか「何言ってんの」とかすごく思われてると思う。なぜか僕はそこでつまづいてきたので、最近になってようやく健全になっているのだと感じている。それと同時にひねくれないで自分を見る機会も増えてきて、僕は自分が思うよりバカだけど、でも自分が思うよりバカじゃないと気付いたりもした。

興味深いことに。カオスや無秩序とは反対に、僕は”意味”を求めすぎなのではないかと思う。「向上といえるのはどういった状況?」とかきっと考えないほうが健全なのだろう。中学で初めて数学というのを習っているとき「X=3」という答えを見て戸惑ったのを今でも覚えている。「Xは3じゃないよ」と思って。でもそのまま授業は進んでいくし周りの人たちは納得していた様子だったので「じゃあ僕がおかしいか」と思った。でもおかしくなんかないと今なら自信をもって言える。「X=3」を納得するそぶりを見せる単純さ必要だ、だけど「Xは3じゃない」と思うセンスも絶対に捨てちゃだめだよ。ここに、大人になる成長と、子供に戻る成長があると思う。どっちも大事だ。

明後日は初出勤だ。僕の大好きな秋葉原で働くことになったのである!(おめでとうぼく!すごいぞぼく!)

これらの点が後になってどのような形でつながるのかは分からない。ただ、背筋伸ばして生きていければいいなと。

僕の絵だ





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