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1000字以内で解く学校の課題シリーズ 生徒指導-「問題」はそれを「問題」とする人によって「問題」になる-

学校には「問題行動」という言葉があります。
こういうときの「問題」とは、解決あるいは解消しなければならないものという意味です。

しかし、考えてみると「問題」というのは「問題」と考える人がいて初めて成立するものです。
例えば、茶髪にすることが校則で禁止されている学校では、髪の毛を染めることが「問題」だとする学校側の判断があるからです。

髪の毛の色など、人としての価値になんら関係するものではないと考えれば、茶髪は校則で禁止する必要はないし、問題行動ともならないわけです。

これからの生徒(生活)指導は、「問題行動」を減らすことに尽力するのではなく、これまで問題行動とされてきたことの意味を一つひとつ改めて考え、極力校則を減らすことから始めるべきです

それに、高校入試神話から脱却することです。
中学校の教師は、服装や髪型の指導をするときに「そんな恰好で入試の面接に行けると思っているのか!」とよく言います。

でも、公立高校なら調査書と当日の点数で客観的に合否が決まります。髪の毛の色に点数をつけたりはしません。
仮に面接があっても、不利になると思えば、自分(生徒)があらかじめ黒く染めればいいわけです。
(そもそも、髪の毛の色で面接が低評価になることもおかしなことですし、実際そんなことが行なわれているかどうかもわかりません)

また、「普段からちゃんとしていないことは、プロの面接官は必ず見抜く」という神話めいたことまで言い続けてきました。
誰もそんなことを確認したわけでもないのに。

確かに、茶髪や金髪にする生徒が増えると地域から「中学校はどうなっているんだ」といったクレームが入ることもあります。
しかし、全国的に校則の理不尽さが理解されるようになれば、逆に髪の毛まで校則で決めるのはおかしいという声の方が大きくなるでしょう。

そもそも生徒(生活)指導というのは、ガイダンス(案内)の意味を持つものであり、生徒とともに生き方について考えることが基本です。
最初から正しいことを設定して、その枠にはめようとする指導はこれからどんどんできなくなると思いますし、また、そうあってほしいとも思います。

とにかく、校則が細かければ細かいほど教師の点検にかかる時間が増えます。
へたをすれば、せっかく築き上げてきた信頼関係にひびが入ってしまいます。

そんな時間があるなら、生徒と話をする時間に充てるべきですよね。

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