性霊集序
性霊集 序 現代語訳私は幼い頃から、先人たちの教えを深く敬い、学問を志してきました。学びを始めた後も、静寂な生活を楽しみつつも、学問をなおなお軽んじることはありませんでした。隠者たちの秘められた行いに憧れ、大いなる道の奥義に心を傾けました。ここに、一人の上人が現れました。その名は「大遍照金剛」、すなわち空海です。若き日々には、書物を友とし、知識を深め、自然の美を愛でました。そして、世俗の浅はかな知恵に飽き足らず、超越的な知恵を求めました。俗世を離れて真理の世界へ入り、偽りを捨てて誠実を得ました。壮麗な山々、澄み渡る川々、目に映るもの全てを深く観察し、その中にある真理を究めました。空海は常に嘆いて言いました。「日本では、仏の教えが凋(しぼ)んでしまって久しい。龍の花は、いったいどの春を待てば再び咲くのか。自分の愚かさに、何を頼りに真理の源に帰れるというのか。ただ、法(仏教)はなお残されている。私が目覚めたのは、まさに天の意思に他ならない。」こうして空海は、仏法を求める心を抱き、延暦年間の末に唐(中国)に渡りました。長安の青龍寺にて、大徳・恵果阿闍梨と出会います。恵果阿闍梨は、南天竺の大弁正三蔵法師の高弟であり、代宗皇帝に師として仕えるほどの徳高い僧でした。恵果阿闍梨は空海を一目見ると、喜びの言葉を述べました。「私はあなたを待ち続けていました。なぜこれほど遅かったのですか?あなたの来訪こそ私の願いです。さあ、早く学びを修めてください。」こうして空海は、両部曼荼羅の秘奥と百余巻に及ぶ密教の秘法を授かりました。空海の悟りの速さと鋭さは卓越しており、短い期間で長年にわたる修行の成果を手にしました。その才能に恵果阿闍梨も深く感嘆し、彼を日本密教の伝承者と認め、こう語りました。「日本から来た一人の僧侶がいます。この者は聖なる教えを求めており、私は両部曼荼羅の秘奥を全て伝授しました。彼はそれをすべて正確に受け取り、その才能はまるで満たされた壺のようです。これで私の願いも満たされました。」恵果阿闍梨は、その後ほどなくして入滅しましたが、彼の教えは空海によって日本に伝えられました。空海は帰国後、真言密教の教えを広め、曼荼羅灌頂の儀式や真言加持の道が日本に浸透しました。これにより、仏の教えが再び世に広がり、人々の迷いや苦しみを解きほぐす光となりました。私はこの師の偉大な教えを後世に伝えるべく、ここにその記録を編纂しました。この書物を『性霊集』と名づけ、十巻にまとめました。これにより、多くの人々が仏教の真髄を知り、空海の足跡をたどることができるようになることを願います。どうか、この書が長く人々の心に触れ、仏教の真理を味わう機会を与えるものでありますように。
空海が唐に留学した頃、彼の才能は同時代の人々を驚かせるものでした。ある日、恵果阿闍梨は空海に向かって言いました。
「あなたの悟りの速さと深さは、まるで龍が水を得たかのようだ。これで仏の教えを日本に伝える役割を担うのは、まさにあなたしかいない。」
その後、空海は恵果阿闍梨から、多くの儀式や密教の奥義を授かり、特に両部曼荼羅の秘法は全て伝授されました。恵果阿闍梨は感慨深く語ります。
「あなたの来訪は私の生涯の願いを叶えるものでした。今、あなたに教えを託すことで、密教の灯火は未来へと受け継がれるでしょう。私の役目は終わり、これで心残りなく旅立つことができます。」
空海が唐の地で学びを深める間、彼の名声はすでに広がり、多くの学者や詩人たちが彼の才能を称賛しました。唐の文人たちは空海に詩を贈り、その見事な詩才に感嘆しました。空海もまた詩文を通じて仏の教えを伝え、国を越えた友情の絆を深めました。
ある詩人は空海の詩を読み、こう述べました。
「この僧は遠く日本から来たが、その才能は天が与えたものである。彼の言葉には仏法の深い真理が宿っている。彼の存在はまさに奇跡だ。」
空海は唐において多くの友人を得、彼らと詩文を交わしました。その詩は時に軽妙で、時に深遠であり、人々の心を打ちました。彼が帰国の際には、多くの唐の学者や詩人たちが惜別の詩を贈りました。
空海が唐で修行を終え、日本に帰国した後、その教えは瞬く間に広がり、彼の名声は人々の間で広く知れ渡るようになりました。詩や書の才能、仏教に関する深い洞察、そして実践を通じて、彼は仏の教えを具現化した人物として敬われました。
唐にいる間、空海は詩文の創作においても卓越していました。彼の詩や書には仏教の深遠な真理が込められ、その表現は誰もが感嘆するものでした。あるとき、唐の詩人たちが空海の詩を読み、彼にこう言いました。
「あなたの詩文は、ただの言葉ではない。それは真理の光を伝え、読む者の心を洗い清めるものだ。」
空海が唐で詠んだ詩は、彼が抱く仏法への深い思いを余すところなく表しており、それを受け取った人々の中には、彼の精神に感化されて涙する者もいたといいます。これらの詩や書簡は、彼が日本に帰国してからも唐の友人たちの手を渡り歩き、広く讃えられました。
帰国後、空海は密教の真髄を日本に広めるため、曼荼羅の儀式や護摩法を実践し、弟子たちに仏教の奥義を伝えました。彼は常に語りました。
「仏の教えは、ただ言葉を学ぶだけではなく、行動に移して初めてその力を発揮する。慈悲と智慧は一体であり、他者を助けることこそが、自分自身を成長させる道である。」
その後、空海の教えを伝えるために集められた多くの詩文、書簡、記録がこの『性霊集』にまとめられることになりました。これらの文書は、空海の人生の軌跡と、彼がいかにして密教を日本に根付かせたかを物語っています。
西山禅念がこう記します。
「私は師の遺した文書をまとめる中で、その深遠な教えの一端に触れることができた。これを後世の人々に伝え、空海という偉大な存在を未来永劫にわたって記憶に刻みたいと願う。」
そしてこう続けます。
「この集を手に取る者が、仏法の真髄に触れ、空海の心に宿る光を感じ取ることができますように。これこそが私の願いであり、この集の使命です。」
空海が唐で学んだ秘奥の教えと、それを受け継ぐ中での弟子たちとの関係は、まさに灯火を次代へと渡すようなものでした。彼の教えはただ形式的なものではなく、その言葉一つ一つに、仏法の深い意味と実践の力が込められていました。
彼が唐から持ち帰った書物や教義は、日本の仏教に革命的な変化をもたらしました。曼荼羅の図や護摩の儀式は、単なる視覚的・儀式的なものにとどまらず、修行者自身が仏と一体になるための道を示すものでした。これらの実践は人々に広がり、迷いや苦しみの中にある者たちを救済する光となりました。
空海が帰国後に残した書簡や詩文の中には、その教えの本質が散りばめられています。彼は書きました。
「この身は宇宙の塵(ちり)に過ぎない。しかし、その塵が仏の教えを体現し、他者を救う力を持つのだ。すべては仏の光に包まれている。」
また、空海は詩文を通じて、世俗の楽しみや栄光がいかに儚いものであるかを説きました。彼は人々に、目先の利益や執着から離れ、大いなる真理の中に生きるようにと諭しました。その言葉は、ただ仏教徒に向けたものではなく、全ての人々に普遍的な教えとして響き渡りました。
西山禅念は、空海の詩や書簡、記録を編纂するにあたり、こう語ります。
「この集には、師の言葉がそのまま刻まれています。その言葉は時を越えて生き続け、読む者の心に光を灯すでしょう。私たちは、この書物を通じて師の偉大な精神に触れることができるのです。」
そして、こう締めくくります。
「この書が末永く後世に残り、多くの人々が仏法の真理に触れ、心の平安と成長を得ることができますように。これこそが、師に対する私の最大の感謝と報恩の表れです。」
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