性霊集第一

1. 山に遊んで仙を慕う詩

原文:
高山に風起ち易く
深海に水量り難し
空際は人の察すること無し
法身のみ独り能く詳らかなり

鳬鶴誰か理に非ざる
螘亀詎か暲わし叵からん
葉公は仮借を珍とし
秦鏡は真相を照す

鵶の目は唯だ腐ちたるを看る
狗の心は穢しき香に耽る
人は皆蘇合を美みす
愛縛は蜣蜋に似たり

仁恤は麒鱗に異なり
迷方は犬羊に似たり
能く言うこと鸚鵡の若し
説の如くすれども賢良を避る

豺狼は麋鹿を逐い
狻子は麖麞を嚼う
睚眦して寒暑に能たり
㘌談して痏瘡を受く

営々として白黒を染む
讃毀して災殃を織る
肚の裏には蜂蟇満てり
身の上には虎豹荘れり

能く金と石とを銷す
誰か顧みて剛強を誡む
蒿蓬は墟壠に聚り
蘭蕙は山陽に鬱なり

曦舒は矢の如くに運り
四節は人をして僵さしむ
柳葉は春の雨に開け
菊華は秋の霜に索む

窮蝉は野外に鳴き
蟋蟀は帳の中に傷む
松柏は南嶺に摧け
北邙に白楊を散ず

一身独り生歿す
電影是れ無常なり
鴻鷰更るがわる来り去り
紅桃昔の芳りを落す

華容は年の賊に偸まれ
鶴髪は禎祥ならず
古の人今見えず
今の人那ぞ長きことを得ん

熱を風厳の上りに避り
涼瀑飛漿に逐う
薜蘿の服に狂歌し
松石の房に吟酔す

渇ては澗中の水を飡み
飽くまで煙霞の粮を喫う
白朮は心胃を調え
黄精は骨肪を填つ

錦霞は山に爛れる幄
雲幕は天に満てる張
子晋は漢を凌いで挙り
伯夷は周の梁を絶つ

老聃は一気を守り
許は貫三の望を脱る
鸞鳳は梧桐に集り
大鵬は風床に臥す

崑獄は右方の廡
蓬莱は左辺の廂
名賓は心実を害す
忽ちに飛龍に駕して翔る

飛龍は何れの処にか遊ぶ
寥廓たる無塵の方
無塵は宝珠の閣
堅固金剛の墻あり

眷属は猶し雨の如し
遮那は中央に坐す
遮那は阿誰か号ぞ
本是れ我が心王なり

三密刹土に遍じ
虚空に道場を厳る
山毫溟墨を点ず
乾坤は経籍の箱なり

万象を一点に含み
六塵を縑緗に閲く
行蔵は鐘谷に任せたり
吐納は鋒鋩を挫く

三千は行歩に隘く
江海は一甞に少し
寿命は始め終り無し
降年豈に限り壃らんや

光明法界に満てり
一字津梁を務む
景行猶仰止す
斉しからんことと思いて自ら束装す

飛雲幾くか生滅する
霜露として空しく飛揚す
愛に纒るること葛の旋るが如し
萋萋ととして山谷に昌なり

誰か如かん禅室を閉じて
擔泊として亦た忀徉せんには
日月空水を光らす
風塵妨ぐる所無し

是非同じく法を説く
人我倶に消亡す
定慧心海を澄しむ
無縁にして毎に湯湯たり

老鵶同じく黒色なり
玉鼠号相い防る
人の心は我が心に非ず
何ぞ人の腸を見ることを得ん

難角にして天眼無ければ
抽でて一つの文章を示す

1. 山に遊んで仙を慕う詩(現代語訳・続き)


高い山には風が吹き渡り、
深い海の水を計ることはできない。
空の果て、誰がその全貌を察するだろうか。
ただ仏の法身(真理そのもの)が、それを知るのみ。

水鳥や鶴の飛ぶ姿も真理を体現し、
蟻や亀もその理(道理)を持っている。
虚像を信じる者は仮の形を尊び、
真実を映す鏡だけが、本当の姿を明らかにする。


烏はただ腐ったものを見つけ、
犬は汚れた匂いに引き寄せられる。
人々は表面的な香りや美しさを愛するが、
その執着は糞虫のように身を縛る。

慈悲と理性は、麒麟の鱗のように尊いが、
迷える人々は犬や羊のような性質を持つ。
鸚鵡のように言葉を真似て語る者がいるが、
賢者や良識ある者たちからは敬遠される。


狼は鹿を追い、獅子は若い獲物を噛み砕く。
目を光らせ、季節の寒暖を恐れることなく、
騒々しく語り合い、傷を受けながらも争う。

日々、善悪を染め分けることに没頭し、
他者を称賛しつつも災いを招き入れる。
心の奥底には毒が巣食い、
身体は虎や豹のように装いを見せる。


黄金や石の価値を知る者は多いが、
誰が堅固さや力強さを正しく理解するだろうか。
荒れ果てた土地には雑草が生い茂り、
山陰では蘭や桂が静かに香りを放つ。

太陽は矢のように空を進み、
四季は人々を老いへと導く。
春の雨に開く柳の葉も、
秋の霜に色褪せる菊の花もまた、移ろう。


野外では蝉が鳴き、
帳の中では蟋蟀がその声を響かせる。
松や柏も嶺の風に倒れ、
山腹では楊が散り散りに消えていく。

人の身はただ生まれ、そして死ぬ。
その一生は稲妻のように短く、無常そのものだ。
渡り鳥は季節に合わせて来去し、
桃の花はかつての美しい香りを失う。


人の容姿は時の盗賊に奪われ、
白髪さえも幸福の兆しではない。
昔の人々はもう見えず、
今の人も長らえることは難しい。

暑さを風の中に避け、
涼しい滝を求めて彷徨う。
薜蘿(野生の植物)の衣を身にまとい、
松や石の家で詩を詠む。


渇けば谷の水を飲み、
飢えれば霞を糧にする。
白朮は胃を癒やし、黄精は身体を満たす。
錦のような雲は山に幄(おおい)を張り、
空の幕は天を包み込む。

仙人の子晋は漢の時代を越え、
高潔な伯夷は周の梁を捨て去る。
老子(老聃)は道(自然の調和)を守り、
許由は三公(高位の官職)への望みを断った。

鸞や鳳凰(聖なる鳥)は梧桐の木に集い、
大鵬(巨鳥)は風の床で悠然と休む。
崑崙山は右の屋敷、
蓬莱の仙境は左の廂(ひさし)のようだ。

名声や利得を求める者は心を損ない、
その執着を離れた者こそ、飛龍の如く天翔る。
飛龍はどこへ行くのか?
広大無辺で塵のない世界へと遊ぶのだ。

その無塵の世界には宝珠の宮殿があり、
堅固で金剛のごとき壁に守られている。
その地の眷属たちは、雨のように豊かであり、
中央に大日如来(遮那)が座している。

遮那(大日如来)は何者か?
それは、我が心の中心にある真理そのものだ。
三密(身・口・意の清浄)が刹土(仏の国土)に遍在し、
虚空には清らかな道場が築かれている。

山々の木筆は墨海に染まり、
大地と天(乾坤)は仏教の教えを記す箱のようだ。
万物は一点に含まれ、
六塵(六感の煩悩)は絹布のように解読される。

行動と隠遁は、鐘の音の谷間に任され、
息を吐き吸うその間に鋭利な刃も丸められる。
三千大千世界を歩むには狭く、
江や海も一口で尽きるほどだ。

寿命には始まりも終わりもなく、
降りゆく年も制限に縛られるものではない。
光明が法界を満たし、
一文字が仏法への架け橋となる。

景行(理想の道)を仰ぎ続け、
自らその理想に近づこうと準備を整える。
浮かぶ雲は幾度も生まれ滅び、
霜や露は空中で儚く散っていく。

執着に縛られる心は、
絡まり合う蔦のように迷い続ける。
しかし、山谷には自然の繁栄があり、
その中にこそ清らかな真理がある。

禅の室に身を置き、
無常の中を漂うことで、
月や太陽、水や空が全てを照らし、
塵や風がそれを妨げることはない。


仏の教えは善悪を超えたものであり、
「人」や「私」といった概念を消し去るものだ。
心の海を清める定(瞑想)と慧(智慧)は、
すべての縁を離れてなお満ちている。

老鴉(カラス)は皆同じ黒い羽を持ち、
玉鼠(珍しい鼠)は人を防ぐ力を持つ。
人の心は他人の心ではなく、
人が他人の思いを知ることはできない。

真理は簡単に見通せるものではなく、
それを知るには天眼(仏の目)が必要だ。
だが今、私はこうして一つの詩を通じて、
その真理の一端を示そうとしている。

間違えがあれば訂正いたします。

いいなと思ったら応援しよう!