思考する事

仏陀の教えは、初めから信じろと言うわけではない。

自分で体験し、あぁなるほどと納得した上で信じていくものだ。そこに疑いが挟まる余地はない。

最初は思考することはあるだろう。どう言う意味だろう?こう言うことかな?私の苦しみとはどれが当てはまるのかな?と。

仏陀の教えを信仰し、仏道を進んでいくと、思考そのものが仏陀の悟りを得る時に現れたような「悪魔」と言われるものだと分かるのではないか?

仏の智慧、と言うものは、瞬時の判断ではないだろうか?

私たちは、包丁で人を刺すことを考えないし、突き落とそうなんて思いもしない。
芯から人を殺すことは悪い事だと「知っている」からだ。

ただ、怒りや貪り、無智という三毒を味わっていると、たまらず人を殺すことが悪だと忘れてしまう。
カッとなって殺す、よく聞きますね。お金の関係で人が死ぬこともあります。無智になってしまうのです。

だから、私たちがするべきことは、慈しみの心を育て、智慧を学ぶ事です。

全ての生物が幸せであるように思い、しては行けないことを考えることすら無いように、智慧を身体に落とし込む。


仏教の基本は、それだけです。きっと。

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