◾️これまでの治療経緯◾️ 2021年10月 ブライダルチェック (私は問題なし。主人の無精子症発覚。) 2022年 結婚 2022年4月 主人TESE手術(凍結12本) 2022年5月 治療開始 採卵2回 2022年8月 転院 〜 2023年6月 採卵10回→凍結胚5個 (2022年2月〜PFC-FD注入(卵巣×2、子宮1)) 2023年8月 初・胚移植(凍結初期胚)
本日、判定日。 以前、陽性だった時と 明らかに体調がちがう。 フライングもしなかった。 結果、陰性。 採卵はスムーズじゃなかったけど、 移植は上手くいくと思ったのだけどな💦 淡い期待を胸に、 昨日はお寿司(生もの)食べてやったぜ。 なかなか、 思い通りにはいかないね。。。 昨日、カウンセリングにいって リラクゼーションの瞑想誘導をしてもらった。 記憶が途切れ途切れだけど、 すごく身体が軽くなった感覚が! 自分でも続けてみようと思う。
不妊治療を始めてから、 2年が経とうとしている。 これまでに 何人の妊娠報告を聞いてきただろうか。。。 『実は、妊娠していて。』 1番聞きたくない言葉。 なんの苦労もせず、 すんなり前進する人をみると イラっとしてしまう私。 おめでたいことなのに 一緒に喜んであげられない自分に うんざりもする。 SNSで我が子の 成長ぶりをアップされると 惨めな気持ちになる。 『ママを選んでくれてありがとう』 という言葉を目にすると 『じゃあ、私は選ばれなかったってこと!?』
不妊の原因として 切っても切り離せない原因だと思うから、 “ダイエット”のことも書いておこう。 風邪もひかないほど健康だった私が、 これまでの人生において 一番身体に負担をかけたことが 『太る』ことと、『痩せること』。 MAX体重の時は、怖くて体重計に乗れなかったけど おそらく70Kg超え。(食生活の乱れからすると体脂肪率も相当だったかと) 自分の身体に無理をさせてきたのは、 自分に合わないダイエットや、その極端な取り組み。 そして、ストレスケアに無頓着で 気合と根性
彼と別れ、 職も、家も、彼も、信用も失った私。 妊娠中はつわりの影響から 禁煙もできていたけれど、 すぐに再開しました。 一人暮らしになると どうしても自炊が続かず コンビニやスーパーのお弁当、 外食が定番化し、 肉やファーストフード中心。 家にはいつもカップラーメンや スナック菓子が常備してありました。 飲み物はコーヒーか、お茶。 たまに甘い炭酸系。 今思い返せば、 母もこの食生活で子供のころから 慣れ親しんだものばかりだったので 何の違和感もなく、 20代
私がずっと一貫して思ってきたことは 『私はお母さんみたいな人生を送らない』こと 私の父、弟の父は別の人。 私たちが幼い頃に どちらともすぐにお別れしてしまった母。 シングルマザーが どれだけ大変で、余裕がないか 目の当たりにしてきたので そんな人生は真っ平だと思っていました。 ですが、 どんどん母の人生に寄っていく私の人生。 恐怖心と不安しかない。 そんな時に母から 『今回はあきらめよう・・・』という 話をされ、 生まれて初めて、頭を下げられました。 『この赤ちゃ
現在43歳の私。 実は21歳の時に、 一度妊娠したことがあります。 母が17歳の時に私を身篭って 18歳で出産しているので 周囲からも 『あすかは結婚するの早そう!』 『子供産むの早そう!』と いわれていましたから、 自分でもそんな予感はしていました。 当時付き合っていた彼と、 結婚する前の妊娠。 順番は違えど、 子供が欲しかったのは事実だし、 早く孫が欲しいと言っていた母も 喜んでくれると思ったので 出産する気満々でいました。 ただ当時、 付き合い始めた
やっと、書きたいなーという気持ちになったから 記しておきたいと思います。 『私の妊活diary』 多分、興味はあるけど聞きづらかったり、 そのタイミングでない女性は 『自分には関係ない、自分は大丈夫』と きっと思うだろう。 何を隠そう、私自身が『自分は大丈夫』と 思い込んでいたからわかる。 40代に突入しても、 見た目年齢は実年齢より若くみられることが多かったし、 生理も毎月順調にきて 風邪もほとんど引かないほど健康だし、 健康診断もAかB判定。 健康には誰より