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第106話 1st写真集『白鳥、翔ぶ』グラビア撮影in沖縄〜3日目〜


撮影場所は真っ黒なコンテナ

 2024年3月15日、5時、起床。顔を洗って、コンタクトレンズをつけて、テレビをつける。今日もどうやら曇りらしい。窓の外はまだ暗かった。
 6時過ぎ、メイクをしてもらいに、淳さんの部屋へ行った。
「沖縄は、日の出が遅いみたいだね」
 淳さんが言いながら、鏡の前にライトを足していた。まだ日が昇っていなかったのか。まるで海外に来たみたいだ。ある意味、海外だけど。

 8時、撮影現場に着いた。『古宇利島』という島に来たらしい。バスを降りて、目の前に建っていたのは、大きくて真っ黒なコンテナだった。
「ここで撮るんですか?」
「そう、なんか兵器みたいな建物やんな」
 社長が言う通り、真っ黒のコンテナは沖縄には異質だった。
「ここ、オーナーの家族が住んでるねんて。子供が2人いるらしい」
 住むには風通しが良すぎる気もする。
「どんな生活してるかよりも、ここの子供がどんな感性を持って育ってるのか、むっちゃ気になるわ」
 人の好奇心をくすぐらずにはおれない、そんな現場だった。

撮影現場

沖縄の唄で思い出す先生の葬式

 コンテナの建屋は屋上付きの4階建て。2階に荷物を置き、メイク直し。菅原さんが「適当に音楽流しておくね」と沖縄ソングをかけてくれた。
<泣きなさいー。笑いなさいー。いつの日かいつの日か、花を咲かそうよ>
 この歌、知ってる。小学校の先生の葬式で流れてた曲や。
 音楽はいつも何かを思い出させる。

 小学2年生の頃、ある日突然、担任の先生が死んだ。
 唐突な出来事に、何が起きたのか分からないまま、母と一緒に葬式に行った。お焼香をあげる時、先生の顔を覗いた。青くて白くて「なんか硬そうやな」と思ったことを覚えている。母は泣いていたが、私は泣かなかった。
 葬式が終わり、式場から駅へ向かう道中、母が言った。
「先生、くも膜下出血やってんて」
「くも膜下出血って何?」
「お母さんもよく分からんけど、頭の中で血が出る病気やねんて」
「なんでなんの?」
「んー、分からへん。突然なったりすんねんて」
「それって運やん」
「そやなあ」
 母は少し黙って、続けた。
「なんで先生なんやろな。なんか善い人ばっかり早く死んでいく気がするわ」
 私はこの時、人間は突然死ぬことがあるのだと知った。まるでくじ引きのくじを引くように。しかも人に死を惜しまれる人ばかりが、優先的に。
「先生な、43歳やってんて。お母さんの4つ上や。ちょっと、早すぎたよな」
 母と4つしか歳の変わらない先生が突然死んだ。もしかすると、母もある日突然死んでしまうかもしれない。そう思うと、急に怖くなって、涙が止まらなくなった。

「noteでさ、かんなちゃんが熱出したらお父さんが怒るって話あったじゃん。私、あれ読んで泣きそうになったよ」
 淳さんが私の髪をまとめながら言った。私の父は私が熱を出したり、怪我をしたりすると怒る。娘が苦しんでいるのに何もできない自分に怒るのだ。
「もし、今回の書籍と写真集が出て、ご両親にバレたとしても、かんなちゃんの本を読んだら受け入れてくれるんじゃない? だってあんなの書かれたら怒るに怒れないよ」
 淳さんは「かんなちゃんのお父さんに惚れたわ」と唸っていた。
<泣きなさいー、笑いなさいー>
 艶のある綺麗な声が部屋中にしんみりと響いていた。

昼休みの瀬戸内寂聴

 青いシースルーのドレスを着させてもらい、軽く準備運動をして、5階の屋上で翔んだ。西田さん曰く「バレエの大きく飛ぶやつ」を何度もやった。
 屋上はとても開放的で、周囲には空と海と森しかなかった。
「絶対落ちないようにしてよ!」
 西田さんはカメラを構えて言う。床は木製でしなりがあり、とても飛びやすい。昨日はよく寝られたから、体も軽い。そういえば、空は雲ひとつない快晴ではないか。さすが西田さんパワーである。

 屋上での撮影の後は、室内でトウシューズを履き、全裸になった。たくさん翔んだから、筋肉が良い感じに温まっている。どんな動きでもできそうだった。
「ちょっとそこに挟まってみて」
 西田さんが、30センチほど開いている黒い大きな扉の方を指した。私はその隙間で、左足のつま先で立ち、右足は頭の横まで持ち上げて、扉の端に沿わせた。つまり、立ったまま脚を開脚させる格好だ。
 それを見ていた橋本さんは「うわっ、まじか」と驚きの声をあげた。西田さんは何も言わずに、素早くシャッターを切り続けた。 

 その後も裸トウシューズのまま、色々なポーズで撮ってもらった。背中からお尻、ハムストリングスにかけて、何度かつりそうになった。踊っている時とは違って、動きを静止し続けるのは、やはりかなり力むようだ。
 そして撮ってもらった写真を見た。
 私の筋肉、かっこ良いやん・・・・・・。
 自分の筋肉や骨格の全容を見たのは、初めてだったかもしれない。ただ、そうやって「かっこ良い」と思えたのは、西田さん写真の光と影のバランスが素晴らしかったからに違いない。
 背中、鍛えてて良かった。年齢は背中に出てくるらしいからな。

 お昼休憩、みんなで弁当を食べていると、作家・瀬戸内寂聴さんの話になった。
「あの人の本で、あれ読んだよ。『夏の終り』」
 西田さんがそう言った時、私は唸った。まさかその本のタイトルが出てくるとは。
 社会人2年目、『夏の終り』を読んで、あるフレーズが強烈に心に刺さった。主人公の智子が、だらだらと関係を続ける年下の男から「僕のことは何だ、浮気か」と感情的に問い詰められた時に、こう言い放つのだ。
「憐憫よ」
 レ・ン・ビ・ン・・・・・・! なんやそれ!
 急いでスマホで言葉の意味を検索した。意味は<ふびんに思うこと。あわれみの気持>らしい。
 こんなかっこ良い言葉に初めて出会った。いつか私も使ってみたい。
 そう強く思い、日記帳に「憐憫」の文字を、何度も何度も書き綴った。まるで呪文のように。
 あれから数年。今も「憐憫」を使うチャンスに目を光らせているが、まだ使えたことはない。秘蔵の爆弾として温め続けている。
 そんな話をつい勢いでしてしまった。特にオチもなく、「だから何?」と思われても仕方のない話だ。瀬戸内寂聴さんのファンでない限り、ちっとも面白くないだろう。
 話した後、やはりみんな「(へー)」という顔になり、私も、ヤッテシマッタ、と後悔した。ただこの話をできたことは無性に嬉しかった。私は自分の本当に好きなものや感動したものを、文字に書くばかりで、あまり人に話して来なかったように思う。だからこの日、話せたのはとても新鮮で、心ときめくものだった。ただ、やはりオチのない話は後味が悪い。

チョーカーで思い出すダンゴムシ収集癖

 その後の撮影は淡々と進んでいった。半裸でコルセットを付けた。自分で言うのも何だが、なかなか似合っている。特に首に巻いたレースのチョーカーが似合う。薄々感じていたことだが。私は首が長いのだ。
「こういうの、普段でも付けておいたら」
 社長が私の首元を指して言った。

 そういえば小学生の頃、チョーカーが流行っていた。タトゥーチョーカーというもので、細いテグスをぐるぐると規則正しく編んだものだ。
 私は付けもしないのに、そのチョーカーをたくさん集めていた。幼い頃、小さくて丸いものを集める癖があった。石やビーズなど。中にはタチの悪いものもあった。それはダンゴムシだ。
 小学生1、2年生の2年間。朝、学校へ行く道端にいるダンゴムシを拾い、それをポケットに入れて登校していた。学校に着くと体育館の裏へ行き、登校中に集めた手のひら山盛りのダンゴムシを放つ。「また、帰りに迎えに来るな」と言って。
 下校前にはまた体育館裏へ行って、ダンゴムシを拾い集め、ポケットに詰める。もちろん登校前に放したダンゴムシたちとは違うダンゴムシだ。しかしそこに問題なかった。ダンゴムシを集めることに意味があったのだ。
 家に帰ると、勝手口の横の木の下に放す。そしてまた次の日、登校中に地面を歩いているダンゴムシを拾い、ポケットに詰める。それを繰り返していた。もちろん母には内緒で。
 社会人になって、母にその話をすると、「知ってたで」と言われた。母は娘の奇行に気付いていたが、何も言わずにそっとしておいたらしい。
「勝手口にダンゴムシが大量発生してたもん。はじめは気持ち悪かったわあ。あんたは小さい丸いものを集めたがる子やったんよ。でもそれが楽しかったんやろうし、止めることでもないから、ええかなって放っておいてん」
 母はやはり偉大だった。

撮影後のバスの中で思うのは「これから」のこと

 16時過ぎ、沖縄でのグラビア撮影が終わった。
 服を着替え、バスに乗り、空港までの道中、みんなで「お疲れ様でした」と乾杯をした。私はもちろんコーラ。しかもゼロカロリーじゃないやつ。最高に美味い、普通のコーラだった。

 2年半前、西田さんにグラビアを撮ってもらったことから、藤かんなとしての人生は始まった。そしてまたこうして西田さんに撮ってもらえた。5月末には、初の紙媒体の写真集として発売される。それと同時に初の自著『はだかの白鳥』が発売される。
 この2冊が出れば、両親は私の仕事に気付くだろうか。
 そのことは何度も考えた。周囲からも何度も言われた。しかし、きっと何とかなるのだろう。これまでもAVが会社にバレて、バレエ教室にバレてきた。そしてそれをXやnoteに書いてきた。そのおかげで、今こうして写真集と自著が出せることになった。もしも親にバレたら———そのことは考えたくもないけれど、きっとまた、社長は言うのだろう。
「この経験は全て藤かんなの闘いやから、とにかく書け!」
 そして人生という映画の1シーンとして昇華されていくように思う。

 空港へ向かうバスの中、コーラやおにぎりをモリモリと食しながら、窓の外を見た。雲の隙間から、幾筋もの光が海に降り注いでいた。水平線は淡いピンク色の線となり、くっきりと空との境を主張している。
 これまでと、今と、これからに、手を合わせたい気持ちになった。感謝の合掌だ。


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