第120話 藤かんな東京日記〜高須院長、西原理恵子さんから渡されたバトン〜
高須克弥さん、西原理恵子さんと初対面
高須クリニック院長・高須克弥さんと、彼のパートナー・西原理恵子さんの話をしよう。
高須さん、西原さんとは2024年9月20日、『村西とおるトークライブ 第1回男塾祭』で初対面した。2人には、拙著『はだかの白鳥』を献本として送り、高須さんはXで「献本なう」とポストしてくれたのが印象的だった。
高須さんと西原さんは手を繋いで会場に入ってきた。高須さんは御年79歳の全身ガン。この日は体調を考慮して、会場直行で壇上に立ち、トークををし、その後、直帰する流れだった。
「ガンは怖くないんですよ。だって歳をとると共に、ガン細胞も歳をとって弱ってくるんです。みんな、ガンは死ぬって考えるから怖いんですよ」
高須さんは早速自身の体調について話した。全身ガンとは思えないくらい溌剌としている。私は壇上に座っているのも忘れて、彼の姿に魅入ってしまった。
内側から光を放っているというか、もはやちょっと透けて見える。神々しいとは、このことか。
「この人はね、自分の体で人体実験やってるんですよ」
隣に座っていた西原さんが話す。
「未承認の薬でも、個人利用だったらほぼ何でも試せますからね。なかなか面白いもんですよ」
「この人は未承認薬の塊なんです」
高須さんは「あっはっは!」と笑う。
2人の会話は呆気に取られるほどカラリとしていた。きっと高須さんが光って見えたのは、彼の溢れ出す生命力なのだろう。
高須さんは「殿様」、西原さんは「クマ」!?
「ところで、おふたりはそれぞれどんなところに惹かれたんですか?」
村西さんが質問をした。
大人の恋バナ。私もそういうの好き。
高須さんと西原さんは、そうだな、と考え、まず西原さんが話し始めた。
「この人は侍、いや、殿様みたいな人なんです。人にも自分にも嘘がつけない。弱いものいじめが何より嫌い。正直な人。そういうところですね」
「そうするのが楽だから、そうしているだけだよ」
高須さんはまた「あっはっは!」と笑う。
確かに、殿様っぽい。
私はつい口元が綻んだ。
「そんな彼女はね、僕と全く違う。だから面白い」
続いて、高須さんが話し始める。
「何を考えているのか全然分からないことがある。だから、僕はクマか何かだと思っています。クマだったら噛みつかれても、仕方ないなあって思うだけでしょ」
クマって、良い例えなんかな・・・・・・
私は西原さんの顔を覗いた。彼女は「ふふふ」と微笑んだままだった。ここに2人の強い絆を見た気がした。
きっとこれまで山あり谷ありあっただろう。喧嘩もして、お互い折り合いを付け、とことん向き合ってきたのだろう。
私も生涯をかけて誰かと、とことん向き合って見たい。
そう憧れさえ抱いた。
まあ、もしかしたら、高須さんは後で「クマって何よ」と、怒られているかもしれないが。
30分ほど話し、高須さんと西原さんは会場を出た。
「普段ならもう寝てる時間なんですよ」
爽やかな笑顔でそう言いながら。
帰り際、会場のファンが握手やサインを求めるのにも、丁寧に応えていたのが印象的だった。
我が人生、あっぱれなり!
高須さんの背中はやはり「あっはっは!」と笑っていた。
命のバトンを繋いでいる
「高須先生と会うの、これが最後になるかもしれないですね」
イベント終わり。私は控え室で村西さんにそう呟いた。
「あなた、何を縁起の悪いことを言ってるの! だめですよ。生きることだけを考えなさい」
威勢の良いお叱りが飛んだ。
———生きることだけを考える、か。
私はふと昔のことを思い出していた。
高校を卒業して、新生活が始まる前の春休み。同級生の数人で、USJに遊びに行った。卒業旅行というものだ。
120分待ちのジュラシックパークに並んでいる間、誰かの提案で、最近よく聞く音楽を言い合うことになった。
BUMP OF CHICKENや大塚愛、宇多田ヒカルなどの名前が挙がる中、ある男子が、誰も言わなかったロックバンドの名前を挙げた。
「サンボマスター」
彼はきっと「Mr.Children」と言ってくるだろうと思っていた。優しそうな大人しい外見だったからだ。
「サンボマスターってさ、電車男やっけ」
「お前、オタク?」
他の男子たちが茶化す。
しかし彼は珍しく声を張った。
「お前らアホやな。サンボはすごいねんで。むっちゃ元気もらう。『生きよう』って思うで」
生きようって思うなんて、大袈裟やな。
私は思った。しかしそう思った自分に違和感があった。
そのまま話は流れ、私たちはようやくティラノサウルスとご対面。ガオーという大きな鳴き声とともに、車体が急降下し、重力が消える。
その時、あることを思い出した。
——彼は阪神淡路大震災で父親を亡くしていた。
そうか。「生きようって思うで」なんて、大袈裟なことを言ったのは、彼がこの場にいた誰よりも、「生死」に対して敏感だったからだ。
高校の卒業前、彼は友人にこんな話をしていた。
「ほんまはもう1年頑張りたいけど、言われへんかったわ。弟もおるしな」
ここからは私の想像。
彼はおそらく、第一志望の大学には合格しなかった。本当は浪人して、志望校を目指したかった。だが家庭の経済面を考えた。
親に「もう1年頑張って志望大学目指したい」と言えば、させてくれるかもしれない。だが弟もいる。母親への負担は増やしたくない。
結果、親に相談することなく、志望大学を目指すことを諦めたのではないだろうか。高校卒業後、彼がどんな進路を進んだのかは分からない。
私はそれからサンボマスターをよく聴いた。聴くうちに、彼がサンボマスターが好きな理由が分かってきた。
震災で父親を亡くす、受験で落ちる、経済的なことを心配して志望校を諦める。自分ではどうにもできないことに、打ちのめされることがあっただろう。その時に心の拠り所になったのが、サンボマスターだったのだろう。
人は弱い。生きている有難さなんて簡単に忘れて、毎日がずっと続くような気になってしまう。ネット上に悪口を書かれたくらいで、明日なんて来なけりゃ良いのにと考えてしまう。
しかしこの日、高須さん、西原さん、村西さんに会って、ケツを叩かれた気がした。
あんた、精一杯、生きなさい! と。
エイトマン社長はよく言う。
「親や、人生の先輩から何かをしてもらった恩は、返さんで良いねん。次の世代に渡していくねん。これはバトンやから」
今回のイベントでも、しっかりバトンを渡された。命という熱く重たいバトンを。落とさないように全てしっかり抱えて、次の世代に渡していきたいと思う。