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第111話 14歳の私、父を訪ねて北九州に行く〜前編〜


 2024年7月27日、19時。分厚い雲の向こうから、ドーン、ドーンと太鼓のような音が響いていた。雨でも降るのかなとスマホを開くと、Xのトレンド欄に「#隅田川花火大会」が1番上に出てきた。
 ああ、今日は花火大会なのか。
 花火大会———この言葉は私にいつも、父と見た福岡県・門司港の花火大会を思い出させる。

「1人で九州行っといで」

 あれは中学2年生、期末テストが終わり、夏休みを目前に浮かれた空気が漂い始めた頃だった。試験勉強から解放された私は、毎晩プレーステーションゲームの『ぼくのなつやすみ2』に没入していた。
 この日も夕食後に、リビングのテレビを独占し『ぼくのなつやすみ2』をしていた。
「夏休み、お父さんのとこ、遊びにいくか?」
 夕飯の片付けをしながら、母が言った。
「うーん」と、生返事をする。今はそれどころではない。ボク君を早く家に帰さないと、ラジオ体操の皆勤賞を逃してしまうんだ。あ、これはゲームの話。
「お父さんと話しててん。お兄ちゃんは受験勉強あるから遊びに行かれへんし、お母さんは勉強してるお兄ちゃん放って行かれへんし。彩、1人で九州行っといで」
「うーん・・・・・・え、ひとりで!?」
 ゲームのポーズボタンを押して、母を顧みた。母は「お父さんに言っとくわな」と食器を洗っていて、もうこちらは見ていない。
 父は昨年から単身赴任で、北九州の小倉に住んでいる。そのため、その父の元へ1人で行って、父と小倉で夏休みを満喫しておいでということだ。ちなみに兄は高校3年生で、大学受験勉強真っ只中。夏休みどころではない。
 九州。1人で。しかもお父さんと2人きり・・・・・・。
 1人でそんな遠くまで行けるのかという不安と、父とどう過ごせば良いのかの不安が、一度にない交ぜになった———
 父は私が幼い頃から、家にほとんどいない人だった。メーカーの営業マンで、朝は私が起きると同時に出勤し、夜は私が寝た後に帰ってきた。週末はキャンプだ、スキーだと、色々な場所に連れて行ってくれたが、父とゆっくり会話をした記憶はあまりなかった。そのため2人きりでの過ごし方なんて、皆目見当がつかなかった。
 しかしこの不安は、母には言えない。そんなこと言えば絶対に悲しむに決まっている。もう流れに任せて、1人で九州へ行くことを受け入れるしかなかった。

初めて1人で乗る新幹線

 2005年、8月12日、昼過ぎ。母に新大阪の駅まで車で送ってもらった。
「乗り換えんで良いからな。乗ってたら、小倉に着くから」
 母は新幹線の切符を渡し、心配そうに改札前で手を振っていた。赤色の大きなリュックを背負い、カラフルなボーダーのタンクトップとジーンズという服装で、博多行きの新幹線に乗った。
 切符は指定席を買ってもらった。Cの8番、窓際。通路側の席にはでっぷりとお腹の出た中年のおじさんが座っている。「すいません」と小声でおじさんの前を通り、奥の席に座る。息をつく。ここまで来ればきっと大丈夫。
 リュックはこのまま膝の上に置いておくしかないのだろうか。みんな荷物はどうしているのだろうと、隣のおじさんを横目で見る。プシュという音とともに、おじさんは豪快にビールを飲み始めた。そして足元に置いてある、黒くて大きな四角いカバンの中から、柿の種とイカの燻製を取り出し、全て開けた。たくさんの匂いが混ざる。「ごふっ」とおじさんの腹が脈打ち、ため息のような息を吐く。
 おぞましいモノを見てしまった気がして、慌てて窓の外へ目をやった。まだ明るい窓に、妖怪のようなおじさんがうっすら映っている。膝の上のリュックをぎゅっと抱きしめたまま、窓から目を逸らすことができなかった。
 新幹線は小倉駅に着いた。当時はまだ携帯電話など持っていない。父が迎えにきてくれているはずだが、いなかったらどうしよう。リュックの肩を両手で握りしめ、改札への階段を降りた。
「彩!!!」
 改札すぐ外に父が立っていた。大きく手を振っている。それを見た瞬間、鼻の奥が少し痛くなった。そしてすぐに恥ずかしくなった。父は周囲の人に構いもせず、改札のど真ん中に立っている。すれ違う人たちは怪訝そうに父を見ているではないか。しかも大きな声で私の名前を呼ぶから、みんなが私のことを見てくる。リュックの肩を握り直し早足で改札を出た。
「良かった! よく来られたな。緊張したやろ」
「乗ってるだけやったで」
 1人で新幹線に乗るのが不安だったとばれたくなくて、そっけない返事をした。でも父は「良かった良かった」と、とても嬉しそう。
「一旦荷物置きに帰ろう」
 父は駅前に止めてあった自転車の鍵を外しながら言った。そして自転車に跨り、「後ろ、乗り」と促す。
「自転車のニケツってして良いん?」
「ここは小倉や。それに彩とお父さんは大阪からの他所モンや。治外法権やで」
「治外法権ってこないだのテストに出てきたばっかやわ」
「そうか。どんどんかしこなるな」
 父と話すのはひどく久しぶりな気がした。私は荷台に乗り、父の背中に腕を回す。父の背中は私が覚えていたものより薄かった。そう感じた時、ふと心細くなった。
「駅降りて思ったけどさ、なんかすごい匂いするな」
 2人乗りの罪悪感や恥ずかしさ、父の背中に感じた心細さなど、色々な気持ちを払拭しようと、話題を探した。
「あれが九州のとんこつラーメンの匂いやで」
「雨の日の濡れた犬の匂いみたいや」
 父は何も言わなかった。大きなアクリル板が父と私の間にあるような、もどかしい居心地の悪さが私たちの間にいる。父の背中を握る手を少し緩めた。

父と2人きりの時間が始まる

 マンションに着き、荷物を置く。「お茶飲むか」と父は冷蔵庫を開ける。
「プリンもあるで」
 そこにはコンビニやスーパーで売っている、表面に生クリームが乗った大きなプリンが2つ入っていた。
「うーん、今はええわ」
「そうか」
 このやりとりを母と何度してきただろう。最近の母は「ええわ」と断る私に、明らかな落胆を示すようになった。
「あんたはほんまに、せえないな。お母さんは食べさせたくてたまらんのに、なんでも『ええわ』『いらん』って。ご飯も作り甲斐いないわ」
 この頃の私は身長150センチ、体重は20キロ後半。モノを食べるのが怖くて、痩せすぎてしまっている時期だった。原因は4歳の頃から続けていたバレエ。この詳細は拙著『はだかの白鳥』(飛鳥新社)に書いているので、興味があれば読んでみてほしい。
 母が私を1人で父の元へ行かせた理由は、薄々分かっていた。おそらく母は私に疲れていたのだろう。受験期の兄、食事を摂ろうとしない私。その2人のそばにいなければいけないことに、限界を感じていたのだろう。それが理由の全てではないにしても、何割かは当たっていると思う。
 そして私は相変わらず、父の前でも「せえない」ことを言った。父は寂しそうな顔をする。いや、彼は小倉駅で会った時から、どことなく寂しそうな空気を漂わせていた。
 お父さん、なんで九州に行ったん。お母さん、むっちゃしんどそうにしてるねん。でもみんななんでなんか、何も教えてくれへん。今、家族の中で何が起きてるの。みんな何に苦しんでるの。私、どうしたら良いんか分からへんねん。
 陽が傾き始め、薄暗い部屋の中、冷蔵庫内の光だけがぼーっと光っていた。何も言えないまま、父との間の黒い沈黙の影をただ見つめるしなかった。

「彩、馬刺し、食べたことないやろ」
 沈黙を破ったのは父だった。夕飯は外で食べようと、再び自転車の荷台に乗り、2人乗りでマンションから少し離れた商店街に行った。もう閉まっている店も多かったが、まるで時代が20年ほど遡ったような商店街だった。魚の生臭さ、何かを甘辛く煮込んだ匂い、そして必ずどこかを漂っているとんこつラーメン。
「旦過市場っていうねん。見てるだけで楽しいやろ」
 あんまりここで何かを買ったことはないけどな、と言いながら、父は近くの居酒屋に入って行った。
 私はこの時、居酒屋というものに初めて入った。父は酒が飲めない。そのため母も飲まない。兄と私は未成年なので、私たち家族にとって、居酒屋には縁がなかった。それなのに父は当たり前のように居酒屋に入っていく。その背中は、誰か知らない人のものに見えた。
 店内の壁は木造で、カウンターとテーブル席が3つに座敷が3つ。私たちはテーブル席に案内され、水とおしぼりが出された。店の奥の角には小さなテレビがあり、天井近くの壁にはメニューを書いた短冊がたくさん貼られている。客は中年男性が多く、賑わっている。電球のせいだろうか、全体的にオレンジ色で暖かい空気に包まれていた。
「明日お腹壊すの覚悟で、馬刺しを頼もう。九州は馬刺しが有名なんや」
 父はすぐ腹を壊す。そして私もすぐに腹を壊す。胃腸が強くないのは遺伝してしまったようだ。しかし父は構いもせず、馬刺し、刺身盛り合わせ、そして豚足を注文した。
 先に豚足が運ばれてきた。父は「千と千尋の映画みたいやろ」と言いながら豚足を手で掴み、かぶりついた。私にとっては初めての豚足だ。見た目が名前の通りすぎて、気味が悪かった。父を真似して同じようにかぶりついた。が、味はともかく、ブニブニした食感は若干14歳の私にはまだ早かった。 
「美味しいものをな、ちょっとずつ食べたら良い」
 父はそう言って、運ばれてきた馬刺しに醤油とニンニクをつけて食べた。私も真似してニンニクを乗せ、醤油をつけて食べた、初めて食べる馬刺しは、少し甘い醤油の味しかしなかった。

(後編へ続く)

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