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第2話 エイトマンの面接、『藤かんな』の誕生


エイトマン社長との出会い

 9月中旬、14時、面接3社目、エイトマンである。
 場所はエイトマンの大阪事務所だった。面接官とどこかで待ち合わせることはなく、直接、事務所へ行った。この日の私の服装は、ノースリーブのニットセーターに、スキニージーンズ。クールめデート服だ。

 事務所に入ると、男性が出てきた。
「そこ座って、机の上の履歴書、書いて待ってて」
 私は履歴書を書いた。3回目の履歴書なので早々に書き終わり、男性が戻るまでの間、事務所の様子を観察した。

 エイトマン事務所には女優の写真集やポスターが、これでもかというほど飾られていた。そしてどれも美しかった。ずっと見ていられた。いや、ずっと見ていたかった。そこはAV事務所というより、モデル事務所のようだった。この時”あぁ、私もこんな風に撮られたいな”と思ったことを覚えている。

 男性が戻ってきて面接が始まった。この男性は今現在、大変お世話になっているエイトマンの社長である。彼に感じた第一印象は『怖い』だった。顔が怖いとか、言葉遣いが怖いなどの単純なものではなく、目に見えない何か、彼から感じるものが『怖い』のだ。私の全てを見透かされているような怖さとでも表現しようか、彼は圧倒的に私より大きいものを持っている感じがした。

 しかし私は知っている。この『怖い』という印象は私にとって、とても良い直感なのだ。この直感を感じた人と一緒にいると、大抵良いことがある。ただその人のことは怖いので、いち早くその人の前から逃げたいと思うのだが。ただ、それを我慢すれば私に幸運をもたらせてくれる。

 面接では志望動機や、身バレの可能性があるけれど大丈夫なのか、などを聞かれた。私はこれまでの2社同様、サラッとしか返答しなかった。そして最後に「何か聞きたいことある?」と聞かれ、私はすかさず聞いた。

「エイトマンはなぜ大阪に本社を置いているのですか?」

 それからの社長の話はとても熱かった。彼が幼少期に感じていたことや、エイトマンを立ち上げる前の仕事の話、立ち上げた後の話、人と人の繋がりの話、そして女優に対する想い。

「みんなと同じことしてもおもろないし、勝たれへん。みんなと違うこと、みんながしないことをするから意味があるねん。みんながしないことを本気でするから勝てる。
 ワクワクしたいもん。ワクワクすることしてたら、それは相手にも伝わる。それについてきてくれる人は絶対いるし、そういう人ばっかりが集まったら、どんどんすごいことができるようになる。
 正直、大阪に事務所おくメリットはほとんどないよ。でも大阪のAV事務所が、東京のでっかいAV事務所を差し置いて日本一なったら、むっちゃかっこよくない?むっちゃワクワクするやん」

 ”私、この人と仕事したい”
そう思った。彼の熱さが私をとてもワクワクさせた。この人を『怖い』と思った直感はやはり間違ってなさそうだ。

「エイトマン来てくれたら嬉しいよ。でも他の事務所も見てるんやったら1度考えたらいいし。また連絡ちょうだい」

 最後に社長がこう言って、面接が終わった。
 私が事務所を出て、エレベーターを待っていると、社長は事務所の入り口に敷いているカーペットに、コロコロをかけていた。
 こう見ると普通のおじさんなんだけど、むちゃくちゃ熱かったな・・・。

 これは余談だが、私の面接中に、胸の大きくて背の高い女性が事務所に入ってきた。今思うとあれは『つばさ舞ちゃん』だった気がする。私はAV女優になってから、舞ちゃんとYouTubeやグラビアで共演をさせてもらった。もしこの面接の時にも会っていたなら、彼女とは縁がある気がしてならない。

エイトマンに決断。早速不安な日々

 エイトマン社長の熱を感じた時点で、私の心は決まっていた。なので面接が終わって2日後には「エイトマンで頑張らせてください」と連絡した。社長からは「ありがとう(にっこり絵文字付き)」と返ってきた。 
 翌日、再びエイトマン事務所へ行き、契約書を書いた。この日は事務の人が対応してくれ、社長と会うことはなかった。

 数日後、社長から「宣材写真を撮るから。日程はまた連絡する」と連絡がきた。そして1日待ち、3日待ち・・・、社長からの連絡はなかなか来なかった。”不採用になったのかな”、”AV業界ってこういうのルーズなのかな”など、不安と不信感が募り始めた。

 1週間待った頃、”もしかして、私のやる気を試されてるのかな?!”と思い、勇気を出して社長に連絡した。
「お世話になっております。宣材写真を撮る日程ですが、いつごろになりそうでしょうか?いつでも構わないですが、もしかしたら、私のやる気を試されているのではと思い、こちらから連絡させていただきました。この通り、やる気はあります。もしお忙しい時期でしたらすみません。お時間ある時にお返事ください。どうぞよろしくお願いします」

 同日、社長から「日程もうちょっと待って、ごめん!」と返ってきた。そして翌日、日程候補が送られてきて、宣材写真を撮る日が決まった。私のやる気を試されていたのではなかった・・・のかな?

宣材写真の撮影

 10月初旬、13時、宣材写真撮影。
 この日もまた有休を取った。特に持ち物を聞かされていなかったので、とりあえず綺麗めの下着をつけて、体の線がわかる服装、濃いめのメイクをした。社長から「芸名を決めるからいくつか考えてきて」と言われていたので、芸名候補をたくさん書いたメモを持って、宣材写真の撮影に出かけた。

 撮影スタジオは大阪だった。スタジオ前で社長と待ち合わせ、中に入った。宣材写真の撮影なんて初めてだったので、不安と緊張でドキドキしていたが、少しワクワクもしていた。
 スタジオに入って早速、撮影が始まった。カメラマンは親切な人で、
「これからたくさん写真撮ると思うから、どういうポーズ取ったらいいのか、ここで少し覚えておくといいよ」
と言い、ポーズの指示を丁寧にしてくれた。

 撮影は楽しかった。自分だけにカメラが向けられているのは気持ちがいい。そして「体幹があるね」や「笑顔いいよ」など褒められ、さらに気持ちよくなった。
 着衣の状態でしばらく撮った後、裸を撮ることになった。私はためらった。しかし、ためらっていることがバレるのは嫌だったので、思い切って脱いだ。

 私の胸を見て、スタジオにいるみんなが驚いたのを感じた。この感じ、これまで何度か経験している。
「服着てると分からなかったけど、胸大きいね!」
そうなのだ。服を着ていると、私はチビの貧乳に見えるようなのだ。そしてみんな私の裸を見て驚く。
「おっぱいもそうだけど、乳首の色、形もすごくいいね!いいおっぱいしてるよ!!」

薄々気付いていたが、どうやら私は、いいおっぱいを持っているようだ。バレエに一生懸命だった頃は、憎んで恨んだおっぱいだったけれど、場所が変われば、このおっぱいは褒められ、私の自信になる。・・・皮肉なものだ。 
 バレエと私のおっぱいの葛藤は、また別の機会で書いていこうと思う。

 おっぱいを褒められている時、社長がスタジオの後ろの方で、小さくガッツポーズをしたのを私は見逃していない。あとで話を聞くと、社長も私のことを「胸のない子」と思っていたらしい。

「顔のいい子は結構な確率で胸ないねん。でも50人に1人のいいおっぱいやで!」
と社長は言った。
「50人ってちょっと少なくないですか?」
と私が言い返すと、
「ほら、この仕事してたら、すっごいおっぱいいっぱい見てるからさ。でも100人に1人のいいおっぱいやで!」
と訂正してもらった。すっごいおっぱいいっぱい。

『藤かんな』の誕生

 宣材写真の撮影が無事終わり、社長と近くの喫茶店で芸名を相談した。
「私、目元が橋本環奈に似てるってずっと言われていて、『かんな』って呼ばれることが多かったんです。なので下の名前は『かんな』がいいかなと思います」
こうして下の名前が『かんな』に決定した。 

 次は上の名前である。私の持ってきた芸名候補を見て、「この苗字の子はおるな」とか「これは下の名前と合わないですね」などを言い合い、ついに私はひらめいた。
「私の誕生日花「藤」なんです。社長の苗字にも「藤」入ってるし、『藤かんな』はどうですか?」
「藤かんな、藤かんな・・・。いいね。なんか渋いし、言いやすい。何より覚えやすい!これにしよ『藤かんな』!!」

こうして『藤かんな』は誕生した。

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藤かんな
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