第6話 AV女優への決意揺らぐ そしてグラビア
メーカー面接が終わり、日常に戻った。
朝6時半に起きて、会社へ出勤。8時半に始業のチャイムが鳴り、メールチェック、他会社との面談、会議の資料作り・・・。恐ろしいほどいつも通りの日常だった。しかし、仕事には全く身が入らず、私は終業のチャイムとともに、いや、少しフライング気味で退社した。
父が言う「転職は今じゃないぞ」
週末、久々に実家へ帰った。特に用事はないが、なんとなく安心できる場所へ行きたかったのだ。両親は突然の娘の帰宅に、喜んでいるようだった。
「いやー、綺麗な格好してるやん。この服どこで買ったん?」
「いいでしょ。阪急で買ってん」
「阪急?高かったんちゃうの?それよりちゃんと食べてる?」
「食べてるよ。あ、そうそう。また面白い本見つけたで。・・・」
母と私は仲良しだ。私が思春期の頃は、バレエが原因でご飯を食べなくなったり、大学受験の前にイライラしたりと、いつも近くにいてくれた母にとって、私は腫れ物のような存在だったと思う。衝突することも多かったし、たくさん苦労をかけた。しかし、大学で私が家を出てからは、一緒に美味しいものを食べに行ったり、服を買いに行ったり、面白かった本の情報を共有したりと、良き女友達のようになった。
ちなみに、私のバレエや、勉強も『藤かんな』を作っている大事な要素なので、この話もいずれ書こうと思う。
父はあまり多く喋らない人だ。父との関係も母同様、私が思春期の頃は疎遠になったが、今は仲良くやっている。父と私はどうやら気質が似ているようで、何となく馬が合うのだ。
母が晩ご飯の支度をしていて、父と私がテレビを見ていると、父が突然こう聞いてきた。
「最近、仕事どうなんや」
私は少しドキッとしたが、こう答えた。
「んー。ぼちぼちかな」
とても複雑な気分である。天地がひっくり返っても「AV女優になるために、こないだメーカーの面接行ってきた!」なんて、今はまだ言えない。
「そうか。まあ今の会社に固執することはないし、なんでも自由にやったらいいけど、転職は今じゃないぞ」
父は何を思って言ったのだろう。ただ単に、コロナ禍で働き口が減っていることを言いたかったのか、私から何かを感じ取ったのか。私は何も返事ができないまま、ぼんやりとテレビを見ていた。今日のコロナ陽性者は昨日より8人増えたらしい。
私が言う「やっぱりAVは考えさせてください」
それから私は悩んだ。無茶苦茶、悩んだ。寝ても覚めても、これでもかというほどに悩んだ。〈本当にAV女優になるかどうか〉である。
私は小学生の頃から頻繁に日記をつけていて、今も、気持ちの整理をつけたいときは、よく日記を書く。この時期につけていた日記は、かなり浮き沈みが激しい。
「一度きりの人生、やりたいことをやる」
「今ここでやらなければ後悔するはず」
と己を鼓舞することを書いた翌日には、
「バレエ教室を開くためにAVをするって違うよね。じゃあなんで?」
「メーカー面接の時に感じたあの嫌悪感。やめとけってことなんじゃないの?」
と自答のない自問ばかり。まるで日記の中に2人の私がいるようだった。
そしてこの時期、自己分析を何度もやっている。理想とする自分の姿、自分の強み・弱み、やりたいこと・やりたくないこと、など。就活期ばりに分析して、頭の中を整理しよう必死だった。頭が常に何かを考えていて、眠れない日々が続いた。
11月下旬、私は思い切ってエイトマン社長に話しに行った。
「AV女優になるって決めたんですが、やっぱり悩んでるんです」
宣材写真を撮って、メーカー面接も行ったのに、こんなことを言い出して。社長から「はぁ?!何を今更!」と言われるのを覚悟していた。しかし、社長はこう言った。
「何となく分かってたよ。そりゃデカい決断やもんな。正直、顔のきれいな子、胸のデカい子はどんどん出てくるし、AV女優の入れ替わりは激しい。でも、俺はエイトマンに入ってくれた女優は、絶対勝たせるつもりでいる。デカい決断して入ってくれたんやもん、こっちもかなりの覚悟を持って闘う。
AV女優になるって失うものもあるけど、得るものはかなりデカい。俺は15年間、AVプロダクションの社長やってきて、そのことを実際に見てきた。『AV女優なんてなったら人生終わりやー』って、そんなん思ってる奴の方が終わりや。みんな絶対幸せなるねん!本気で闘って、本気でやり続けたら、絶対幸せなるねん」
「ああ、エイトマンの社長は女優たちに、しっかり愛を持って接しているんだな」と感じた。だから、事務所には女優のポスターや写真集が、これでもかというほど飾られているのだろう。
しかし寝ないで自己分析までした私の心は、社長の熱を受けても動くことがなかった。
「『藤かんな』という新しい世界が広がることに、ワクワクしたのは確かです。私の本当に輝ける舞台は、ここなのかなって。でも、やっぱり怖くて・・・。わがまま言ってすみません。AV女優のことは、もう少し考えさせてください」
社長が言う「グラビア決まったよ!小学館!!」
12月初旬、社長から突然連絡がきた。
「グラビア!どう?」
電報のような文章だった。しかし、また社長から連絡が来たことに、少し喜んでいる自分がいた。
詳しく話を聞くと、週刊誌のグラビアに出てみないか、という話だった。私は少し悩んだけれど"やっぱりこのままで終わりたくない"と思い、グラビアに出ることを承諾した。
そして数日後、また社長から連絡が来た。
「グラビア決まったよ!週刊ポスト!小学館!!」
こうして私のグラビア出演が決まった。
12月中旬、小学館の編集長に会いに行くために、再び東京へ行った。小学館へ向かう道中、社長はこのグラビアについて話してくれた。
「週刊誌、普段読まんかも知らんけど、週刊ポストにグラビア載るってむっちゃすごいねん。だって小学館やで?ドラえもんのいる会社やで?そこにこれまでアイドルでもアナウンサーでもない、AVも出てない無名の『藤かんな』が載る。ありえないよね。
今の編集長は賢い人なんや。高学歴でバレエを続けてきて、今は上場企業に勤めてて。そんなエリートお嬢様が脱ぐ決意をした!それがすごいことやって分かる人やねん。
今日はきっと、経歴とか、なんでグラビアするのとか聞かれると思うから、普段の通りでいいけど、熱意だけ伝えて」
小学館編集長に熱意を伝える「なぜグラビアをするのか」
小学館に着いた。入り口にはドラえもんがいた。私は思わずはしゃいで、ドラえもんと写真を撮った。ドラえもんって結構デカい。
応接室に通され、後から男性が2人やってきた。編集長である細身で背の高い中年男性『澤田さん』と、眼鏡でふわふわパーマの若い男性『間宮さん』だ。
少し雑談をして、澤田さんが私にこう聞いた。
「どうしてグラビアしようと思ったんですか?」
「自分の殻を破って、大きなことを成し遂げたかったからです。
私は4歳からバレエを続けていて、大学は関西の国立大の院まで進学させてもらって、今は上場企業の研究職として働いています。きっと周りからは、順風満帆の人生を歩んでいる、幸せなお嬢様と見えると思います。でも、私はそんなに穏やかでハッピーではありませんでした。贅沢ですけどね。ずっと安全なレールの上を走ってきたけれど、本当はもっとはみ出してみたかったんです。
小さい頃から世界で活躍するバレリーナになることが夢だったのに、それを諦めて大学に進学して、安定な企業に就きました。今でも思います『あの時もっと馬鹿になれたらな』って。当時の私にはそんな勇気はなかったし、親が喜ぶことをしたい気持ちがあったんですけど。
私、もうすぐ30になります。最近『このままでいいのな』と考えるようになりました。大きな舞台に立って、たくさんの人に観てもらって、一目置かれたかったんじゃないのかなって。私がもっと輝ける舞台があるんじゃないのかなって。
そしてたくさん考えた結果、グラビアに挑戦したいと思いました」
その後、下着姿の私の写真を撮った。間宮さんが撮ってくれた。
「ほんとだ。服着てたら全然分からなかったけど、とても女性らしい身体してますね」
『おっぱいデカい』と露乙な表現を使わないのが、小学館らしいなと思った。
小学館を後にして、私は社長に聞いた。
「熱意、伝わりましたかね」
「ばっちり」
なにか1歩、踏み出せた気がした。