第94話 吉高寧々 独占インタビュー②〜AV女優になった理由が『#寧々密会』にある〜
『AV OPEN2017』の表彰式で泣かなかった理由
吉高寧々さんは2017年、『AV OPEN〜あなたが決める! セルアダルトビデオ日本一決定戦〜』というコンテストで、グランプリを獲得した。その表彰式の直前、彼女はエイトマン社長に「壇上で泣くな」と言われた。
「もしグランプリを取れたとしても、それは吉高寧々の力だけじゃない。デビューしたての吉高寧々には、まだ実力も実績もないんやから。壇上で泣いて自己陶酔なんかせず、この作品を購入してくれたユーザー、エントリーさせてくれたメーカー、イベントを企画してくれた主催者にしっかり感謝を伝えて」
彼女はそう言われて、本当に泣かなかった。彼女の泣かない姿を「かっこ良い」と称賛してくれる人もいれば、「ファンへの感謝がない」と批判する人もいたらしい。
寧々:「泣くな」って言われた時は、正直ムカついたよね(笑)。表彰式くらい自分の感情を出させてくれよって思った。エイトマンに入って、「感情出したらダメだ」って言われ続けてる気がして、ずっと辛かった。私はエイトマンが理想とする私を演じないといけないんだ、って思ってた。今あの表彰式のことを振り返ると、社長の言うことに納得もしてたから、泣かなかったのかもしれない。ただデビュー当時はそんなん分からんやん。『AV OPEN』の時、泣かせてくれなかったことは、まだ根に持ってるよ(笑)。
それを言われ、社長は「そうやんな」と、笑っていた。だが私はそう会話する2人を見て、嬉しく感じた。思っていたことをぶつけられて、過去を笑い話にできる関係に、揺るがない絆を感じたからだ。表彰式で「泣くな」と言われたことは、当時の彼女にとって、不満でしかなかっただろう。しかしその感情を殺せる逞しさは、間違いなく今の寧々さんの魅力になっている。少なくとも私はその話を聞いて、吉高寧々カッコええな、と思った。
エイトマンの船にようやく乗れた今
寧々:私は集団行動が苦手だったから、エイトウーマンの企画をしんどく感じる時もあった。でも今回、私1人で写真展をやるとなって、心細く感じた。エイトウーマン写真展では、他のエイトウーマン達に支えられてたんだなって気付いた。
私の好きな言葉で「早く行きたければ一人で行け。遠くへ行きたければみんなで行け」ってあるのね。まさにエイトウーマンは、その言葉を体感できるものやったと思ってる。みんながいたから遠くに行けた。ありがとうって心から思う。
私はずっとエイトマンという船に乗り切れていなかった。社長とはよく喧嘩しててん。それこそ『AV OPEN 2017』の表彰式で「泣くな」って言われたこととか、そういう不満が心の中に積もってた。私の個性は必要ないのかな、とか、求められる吉高寧々でいなきゃ、って考えすぎてしんどくて、逆に社長に対する反発心が生まれていった。でも去年のエイトウーマン写真展の最終日に、「みんなで集合写真撮ろう」って会場に呼んでもらえた時、エイトマンの船に乗れた気がした。私は反発しながらも、この船に乗りたかったんやって気付いた。
あの日、寧々さんと葵つかささんが、ツーショットを撮っていたのを、よく覚えている。それを見て、この2人がエイトマンを引っ張ってきたのだなと感じた。
去年の写真展で、寧々さんに「なんでAV女優になったの?」と聞いたことがあった。その時に彼女は、「ホリエモンの『何者かになれ』という言葉がきっかけになった」と話してくれた。エイトウーマン写真展の最終日、彼女は自分が築き上げてきた功績を、実感できた日だったのかもしれない。吉高寧々という何者かになれた。だからエイトマンの船に乗ることができたのではないだろうか。
寧々:「何者かになれ」って言葉は、ホリエモンとウシジマくんがコラボしてた本に書いてあってん。私はずっと無難な生き方をする人間だったから、あの本を読んでなかったら、AV女優にはなってなかった。そんな勇気はなかった。でもあの本読んで、人生1回しかないから、何も気にせずに、やりたいことやれば良いんだって思えた。だからAV女優になった。
7年間、吉高寧々として、ちょっとは頑張れたかなと思ってるけど、レジェンドとか言われるまでには、全然足りないなと思う。何者かになるって一生の課題。ゴールだと思ってた所にたどり着くと、またその先を目指したくなってしまう。きっと目指さなくなった瞬間、終わってしまうんだなとも思ってる。
吉高寧々はパーティーに行かない人
寧々さんは、昨年私が書いた『エイトウーマン写真展2023』の記事の中で、「寧々ちゃんは笑うけど、あまり喋らない」と書かれているのを読んで、痛いところ突かれた、と思ったらしい。
寧々:AV女優になるきっかけはホリエモンの言葉だけど、それ以前に人と喋りたくなかったから、この業界を選んだのね。自分の意思伝えるとか、人と喋るのが苦手やった。昔から透明人間で生きていきたいと思ってた。でもこの業界に来て、ファンの人とか、他の女優さんと話していると、もっと私のこと伝えたいなと思うようになった。今は人と喋るのが楽しい。
でも今も目的のない飲み会とかパーティーは、嫌いやねん。仕事の話するとかの目的があるからごはんに行く。そういうのは楽しい。先月、業界の人と仕事の話をしに食事に行ったんやけど、その時は話したいことを紙に書いて持っていった。しかも半紙に筆ペンで書いて、巻物みたいにして(笑)。それは沖縄で書いたんよ。最近、初めて1人で沖縄旅行に行ってん。それまで体調が良くなくて、遠出するのが怖かった。
それから彼女は体調を崩した時の話をしてくれた。
AVデビュー後、『AV OPEN 2017』でデビュー作がグランプリを含む3冠を受賞した。そしてその直後に開催された『FANZAアダルトアワード 2018』では新人賞に、『FANZAアダルトアワード 2019』では女優賞にノミネートされるが、どちらもグランプリは逃してしまった。
彼女は2年連続賞を獲れなかったことで、応援してくれたファンの人への申し訳なさを感じたらしい。さらに、私は何者かになると意気込んでAV女優になったのに、何者にもなれてないじゃないか、と考え込むようになったそうだ。
その後、彼女は体調を崩した。突発性難聴とメニエール病が一度に襲いかかってきた。家から出ることすら困難になった。でもグラビア撮影やAV撮影の仕事はやってくる。体調を崩していられないプレッシャーと、いつ体調が崩れるか分からない不安から、パニック障害も起こしてしまった。
それでも彼女は「外に出たい、負けたくない」という気持ちが強かった。徐々に病気と上手く付き合えるようになり、2021年から2023年に行われたエイトウーマン企画では、堂々とセンター的存在を務めた。そして今年は、彼女が終活だと称する『#寧々密会』を開催する。
寧々:体調不良の時期は本当に辛かった。AV女優って、毎日仕事があるわけじゃないから、1人で考え込む時間もたくさんあって、気持ちのバランスを保っていくのが大変だったりする。でも今は病気を克服して、というか、うまく付き合えるようになって、割と自分が最強の状態になってる気がする。負の部分を全部回収できた感じ。最近は生き生き伸び伸び、過ごせてるかな。
最強の状態になる一環で、寧々さんは沖縄へ一人旅をした。綺麗な景色を見たり、美味しいもの食べたり、ただ観光をしに行ったのではない。一人旅は、遠出をする挑戦のためであり、自分に向き合い集中するためだったのだろう。なんたって彼女は、目的のないパーティーには行かない人だから。
【終活】のその後は?
今「AV女優としての【終活】に入ってきている」と言う吉高寧々さん。【終活】の先にどんな未来を描いているのか聞いてみた。
寧々:正直、この先どうなりたいとかはないねん。AV女優を続けられるなら、ずっと続けていきたい。【終活】って言ってるけど、本当は誰よりもこの仕事を辞めたくないと思ってるし、誰よりも執着してると思う。いつか終わることへの不安と覚悟が、今、一緒にいる。
ずっと何者にもなれてない私だったけど、笠井さんの写真集『東京の恋人』を見て、笠井さんに撮ってもらいたいって自我が生まれて、そして今、2年4ヶ月の私を写真集にしてもらう。笠井さんの存在は私にとって、とても大きなものだった。エイトマンの人たちは喋りやすいけど、距離感が近すぎて喋りにくいこともある。その部分をよく笠井さんに聞いてもらってた。笠井さんはこの業界のことも分かってる人だから、すごく話しやすかった。笠井さんとの時間はとても良い時間やったなと思ってる。
寧々さんは「こんな話してたら、笠井さんが死んだみたいやな」と笑っていた。この寧々密会が終われば、寧々さんと笠井さんとの関係も終わってしまうのだろうか・・・・・・。
寧々:『#寧々密会』写真集のための最後の撮影の時に、笠井さんが「これからも撮り続けていきたいね」って言ってくれた。それはすごく嬉しくて、ホッとした。だから、笠井さんとの撮影は、この写真展が終わっても続いていく。
何事にも終わりはあると気付いて、それを覚悟した逞しさ。一方で、吉高寧々であり続けたいと思う執着心や不安。その両方を待ち合わせてしまったから、先のことは考えないで今できることをやり続ける。彼女は何かが吹っ切れたように清々しく笑っていた。そしてその笑顔には、可愛さだけではなく、厚みと深みが増しているように感じた。(完)