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第115話 藤かんな東京日記〜アジア最大のITイベント『WebX2024』に参加して、夜中まで高校数学を解く〜


「今からイベントに出て」

 2024年8月29日。私は自宅でパソコンに向かっていた。台風10号が九州に上陸し、東京では線状降水帯が発生するとかしないとか。今にも雨が降りそうな鉛色の空だ。
 13時半、社長から電話がかかってきた。
「今日さ———」
 普段から「今日の夜、六本木来れる?」「今から新宿来れる?」などの連絡はよくある。ただこの日は台風が来るからと、内心、油断をしていた。
「今から、イベント出れる?」
「えええ」
 低い地声が出た。なんの冗談?
「えええ。やんな」
 社長は電話口で笑っている。冗談ではないようだ。彼も自分が変化球を投げたのは承知している模様。
「そのイベント、藤井蘭々ちゃんが出るはずやってんけど、今朝、体調わるなって行けなくなってん」
 つまり藤井蘭々の代役か!? それはあまりにも酷じゃありませんかい? どう頑張っても私の容姿は、蘭々ちゃんみたいなリアルバービー人形には、似ても似つきまへんえ。
 しかし行けない理由はない。ひとまず「行きます」と答えた。蘭々ちゃんを目当てに来たイベントの来場者が、がっかりしても知らんからな。
「分かった。先方には、藤かんなは行けますって伝える。先方がオッケー言ってくれるか分からんけど、とりあえず準備しておいて。イベント、14時からやねん」
 私はパソコン上部の時計を見た。現在13時40分。苦笑い。おそらく電話口の社長も苦笑いをしていたことだろう。なんでやんねんを通り越して、可笑しくなってくる。
 それから化粧をし、髪を整え、服を着替えて、マネージャーの山中さんが迎えにきてくれた車に乗った。その時すでに14時半。
 会場は東京タワー近くのプリンスパークタワーホテル。会場へ向かうまでの間、山中さんがイベントの内容を説明してくれた。
 イベントの名前は『WebX2024』。様々な国の企業が、暗号資産やWeb3技術を使った自社製品のブースを出す。そこでITエンジニアや起業家、投資家などが情報交換をし合う。
「藤井蘭々ちゃんメインのイベントではないんです。会場に華を添えるコンパニオン的な役割です。なので正直、うさぎの着ぐるみとかを着てても問題ないです」
 そうなのか、と安心しつつも、改めて自分の服装を確認した。社長が「Tシャツとジーパンで行こうか」と言ったので、私は『はだかの白鳥Tシャツ』と、スキニージーンズという出立ちだ。
 まだ着ぐるみ着てる方が華になるかもな。まあ、しゃーない。
 後部座席のシートに体を沈めた。

『WebX2024』に感化されて、高校数学に挑む

 会場は、まるで就職活動時の合同企業説明会のようだった。各国様々な会社がブースを出し、自社の製品やサービスをPRしている。ブースを見て回っている人々はアジア系が多く、飛び交う言語は英語や中国語、日本語など様々だ。
 私が立つブースは台湾の企業で、『moon ring』という指輪を紹介していた。身に付けるだけで健康管理から資産運用までできる、ハイテクな指輪だ。
 その製品の隣には、ちゃっかり初書籍『はだかの白鳥』と初写真集『白鳥、翔ぶ』を置かせてもらった。山中さん、さすがです。
「アナタノ、書イタ本。内容ハ、何デスカ?」
 同じブースでチラシを配っていたアジア系の男性が、私の本を指しながら、スマホの翻訳機を使って話しかけた。彼は英語と中国語はできるが、日本語は「聞クダケ、少シ、ワカル」らしい。
「私は、AV女優です。私がなぜAV女優になったのかを書きました。私の過去や両親のこと、全てを書きました」
 日本語でゆっくり説明した。彼は「Are you actress? Cool!!」と、口角を上げた。
「あなたの出身は中国ですか?」
 私は聞いた。すると「England」とネイティブな発音で返ってきた。
 予期せぬ国籍に拍子抜けしたが、「オオー、イングランド! イイネ!」と、こちらまでカタコトになって親指を立てた。
 イベントの内容、国籍、言語。全てが私にとっては混沌としていて、自由で、心地良かった。

『WebX2024』の会場にて

 イベントが終わり、家に帰ると、真っ先に本棚を漁りに行った。そして高校の頃に使っていた、数学の問題集を引っ張り出した。イベントで最先端のWeb技術に触れ、無性に数学の問題を解きたくなったのだ。やはりITの根底は数学である。

(問1)6x^2-30y^2+8xy+x+73y-40 を因数分解せよ。

 因数分解なんて、鼻くそほじりながらでもできるわ、と思っていたのに、ペンを持った手はなかなか動かない。エックスとワイが、入り乱れているな。どこから切り込めばいいのだろう。
 まあ、久しぶりやし。とっかかりだけ確認しよう。
 そう思って、別冊の解答集を持ち上げた。するとバラバラと茶色いザラ紙が何枚も落ちてきた。それらは数学の演習プリントや、模試の連絡用紙、時間割表など、ざまざまだった。そして裏面には、手書きのたくさんの数式やブラフ、logやlim、Σなどの数学記号が散らばっていた。
 ———これ、全部、私の文字じゃない。
 日焼けしたザラ紙を持ったまま、そこに書かれた文字から目が離せなくなった。そして小さなため息が出た。
 それは高校の数学の先生の文字だった。
 その先生は、私が大学4年の時に、死んだ。

十数年ぶりに突きつけられた小山先生の死

 先生は小山先生といい、私の高校2年、3年のクラス担任だった。そして52歳で病気で亡くなった。ちなみに、小山先生はnoteの第58話で登場している。(文末リンク参考)

 平日の昼間、大学の研究室。私は50センチくらいの三角フラスコを洗っていた。その時、自席に置いていたスマホから、LINEの着信音が立て続けに鳴った。不審なほどの着信音に、一旦手を止め、スマホを確認する。すると高校同期のグループラインができており、先生の訃報と、葬式の日時、みんなの動揺が届いていた。
 葬式はLINEの届いたその夜に行われた。そのため、参列できない同級生も多く、式で会った同級生とも、お互い「久しぶり」なんて言葉を交わす余裕はなかった。
 人の死というのは、こんなにも突然で、あっけないものなのか。お焼香をあげる時も、今ここで何が起きているのか、理解できない自分がいた。

 葬式会場を出る時、喪服を着た三十代半ばの女性と、五歳くらいの車椅子に乗った少年が、出入り口にいた。おそらく奥さんと息子さんだ。
 それを見て、どうしよう、と思った。先生の残していった家族2人が、あまりにも儚く見えたのだと思う。私が「どうしよう」など思っても仕方がない。それにそう思うべきでないのかもしれない。しかしその時の感情は「どうしよう」の言葉が一番しっくりくる。きっと人の人生を勝手に想像して、途方に暮れてしまったのだ。
 小山先生はおそらく、歳の離れた奥さんと結婚して、年齢の割には遅くに子供を授かったのだろう。まだまだこれから家族との時間を楽しむはずだった。それなのに若干52歳で、この世からいなくなった。大切な2人を残して。安心して天に昇れやしないだろう。
 ———小山先生、あまりにも、運がなさすぎるで。
 涙なんて出なかった。

 小山先生は数学の授業中、受験を目前にしている私たちに、こんな話をしたことがある。
「努力が報われるなんてな、ありえへん。世の中は運に左右されることが非常に多いんですよ。特に受験は運や。それでも君たちは志望校に受かる確率を上げるために、ギリギリまでお勉強をしなさい。で、後は、ゴミ拾いでもしておけ」
 夢と希望たっぷりで日々奮闘している私たちに、よくそんなこと言うな、と少々呆れた。
 だがこの話には続きがある。先生は受験生時代に2年間、浪人をし、それでも第一志望の大学には合格できなかった、と話した。「まあ僕は運がなかったんですね」と笑いながら。
「人生に無駄はないって言うやろ。その通りや。浪人して志望校を目指すのは素晴らしい。でもな、できれば浪人はするべきではないと、僕は思いますよ。だってしんどいもん」
 今、思い返すと、小山先生は偽善を言わない人だったのだと思う。世間知らずな学生は、夢とか希望とか、実体のないキラキラしたものに、ほだされやすい。そんな私たちにしっかりと、残酷なまでに現実を突きつけてくれていた。
 先生は正しい人であったからこそ、きっと早々に神様に連れて行かれたのだろう。
 ——貴方はもうこの世で、人間の合格ラインに達しました。なので、次のステージに行きなさい——と。でも神様、ちょっとやりすぎだと、私は思いますよ。

 イベントから帰ったその夜、私は朝日を見るまで数学の問題を解き続けた。

「お前は残念ながら、数学ができる頭じゃない。数学の天才は本当にひらめくんや。でもそんな奴はほんの一握りしかいない。したがって、その他に含まれるお前は、泥臭くお勉強するしかないんですね」

「ちゃんと途中式を書けえ。省くなあ。そんなことするから、途中のボンミスに気付けないんですよ」

「数学に近道はない。解き続けて覚えろ。何事も効率良くできたらええけどな。受験勉強だけは質より量なんですよ。苦しいことに」

「またお前か。僕はお前のお勉強に付きっきりになれるほど、暇じゃないんですよ。ちょっとは自分の頭で考えろ。質問しに来る前にとことん手を動かせえ」

 問題を解きながら、先生の言った言葉がポロポロと蘇ってきた。
 ポロポロ、ポロポロ、ポロポロと。
 葬式の時に思い出せなかった記憶、湧いてこなかった感情、そして目から出なかったものが、ポロポロと止まらなかった。

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