第108話 藤かんな東京日記㉑〜父、怒(いか)る〜
私は宗教に入っているのかという疑問
父の母、つまり、私の祖母は、日本の宗教団体『S会』に入っている。この宗教は親が会員ならば子も会員になる。ほぼ必然的に親族は全員、会員になることで有名だ。祖母が会員なため、父も私も会員であって然りなのだが、私はS会には入っていない———
2023年12月17日、小学館でエイトウーマンのイベントがあった。控え室ではつばさ舞ちゃん、八蜜凛ちゃんと一緒だった。
年末年始は何するの、箱根駅伝見るよ、などの話から、S会の話になった。
「私のおばあちゃん、S会やねん」
「ほんなら、かんなちゃんもS会なんや。あの宗教って代々受け継がれるんやろ」
「そうやねんけど・・・・・・」と言いはしたものの、それ以上言葉が出なかった。
やっぱり私ってS会なんかな。
その疑問は昔から抱き続けていた。
父と祖母は仲が悪かった。というより、父が祖母を嫌っていた。祖母の話になると父は不機嫌になった。幼い頃の私は、なぜ父が祖母を嫌うのか理由が分からなかった。ただ父はよく言った。
「お袋はいつも他力本願やから好かんのや」
タリキホンガン。父がそう言うと、母は悲しい顔をする。言葉の意味を聞ける空気ではなくなる。もちろん祖母を嫌う理由も聞けないまま、触れてはいけない案件として、蓋をするしかなかった。
大学生になり、世の中のことが分かってくると、父が祖母を嫌う理由が分かり始めた。大学にS会に入っている友人がいた。彼女に私の祖母も会員であることを言うと、「じゃあ、かんなちゃんもS会なんや」と言われた。
「それ、どういうこと?」
「だっておばあちゃんがS会なら、お父さんお母さんはS会でしょ? じゃあ、かんなちゃんもS会じゃん」
その友人からS会の仕組みについて簡単に教えてもらった。それをきっかけに、大学の図書館で、S会についての本をたくさん読んだ。歴史や理念、なぜお経を唱えるのか、そしてS会が世間からどう見られているのか、などなど。
結果、S会を良いとも悪いとも思わなかったが、父の嫌いそうな団体だと感じた。だから熱心な信者である祖母のことを嫌っていたのか、と。
しかしそれ以上に気に懸かったのは、友人の言葉。両親がS会ならば、その子供もS会になるということだ。
実は私もS会に入っているのだろうか。
自分の知らないもう一人の自分がいるような、薄ら寒さを覚えた。
我が家とS会の真相
ずっと触れられずにいた、我が家とS会の関係だが、それを明確にできたのは2023年の年末。実家に帰省した時のことだ。
この年の11月、S会の長が亡くなり、祖母は大きく落胆しているという話を母から聞いていた。祖母の体調を伺う流れで、母に我が家とS会の関係を聞いた。
「おばあちゃん、体調、大丈夫なん?」
台所で夕飯の支度をしていた母は、「まあ、おばあちゃんも歳やしなあ」と、曖昧な返事をする。やはり祖母の話をすると、その場の温度が少し下がる。
「あのさ、私ってS会なん?」
母は一瞬、不思議なものを見るような目で私を見て、「違うよ」と笑った。
「でもおばあちゃん、S会やん。あの宗教って家族みんな会員になるんやろ。お父さんはどこかで退会したん?」
「正式にいつ退会したんかは知らんけど、あんたが生まれた頃はもうS会じゃなかったよ。あ、でもな。お兄ちゃんが生まれた時は、宗教絡みでちょっと揉めたわ。S会の方にも顔出さなかあかんかったりして・・・・・・お父さんに直接聞いてみいや。気を遣ってるみたいやけど、別に聞いたらあかんことちゃうで」
母には私がずっと聞けずにいたこともお見通しだった。
ちょうどその時、風呂上がりの父が、お茶を飲みに台所へやってきた。母は「好きにしたら良いよ」という顔で、再び夕飯の支度を始める。父は冷蔵庫を覗きながら「コーラ、あるで」と私に言い、お茶を持って台所から出て行こうとする。チャンスは今なのだろう。
「あのさ、お父さんはS会、いつやめたん?」
父の背中に話しかけた。父は振り向く。特に感情のない表情。少しの沈黙。包丁がまな板を叩く音だけが聞こえる。やっぱり聞かんかったら良かったかな。
「お母さんが入院して、命が危ないって時やったかな———」
父は昔のことを語り始めた。
両親が結婚してすぐ、母はB型肝炎になり入院した。症状は重く、医師からは「もしかすると命が危ない」と告げられた。その時、父は思ったそうだ。
「お祈りなんかしても助けてくれへんやないか。今、俺の大事な人が目の前で死にそうになってるやないか」
父は怒った。これまで溜め込んできた負の感情が、一気に沸き起こってきた。
子供の頃からS会に入っていた父は、その宗教に対して何度も違和感を覚えていたらしい。修学旅行でみんなと同じように鳥居をくぐれない。週末は集会に連れて行かれる。規則を守らないとバチが当たると言われて怖かった。本当は友達と遊びたかった。それでも言われた通り、お祈りをし続けてきた。祈りをしていれば、「救われる」と言われてきたから。
でも、でも、でも。
そんなはずないやろ。お祈りをして救われるんやったら、今すぐに目の前で死にかけている僕の大事な人を救ってくれ。神様仏様が救ってくれる? 何を言うてんねん。自分を救うのは、これまでの自分の努力に決まってるやろ。自分以外の誰かが救ってくれるなんて、そんな他力本願な考え、おかしいと思ってたんや! あほらしい!
そうして父は祖母と半ば縁を切って宗教を辞めた。
父が怒る理由
「———お父さんは自分の子供に、自分と同じ思いさせたくなかったからな。でもほんまに、お母さんが生きてくれて良かった。お母さんがいなかったら、お前にも会われへんかった」
父は私を見て言ったが、なんだか照れ臭くて、「そうやったんや」と父の奥のテレビに視線を逸らせた。
「お母さんがB型肝炎で死にかけてた時、お父さん大変やったんよ。もうね、ずっと怒ってた」
母は他人事のように笑った。
父は昔から私が熱を出したり、怪我をすると怒った。
高熱を出し、激しく嘔吐している私を見て、「チッ」と舌打ちをし、ドアを勢いよく閉めて出て行った。一輪車でこけて顔をずるむいた時は「なんで顔からこけるねん!」と怒り、痛くて泣いている私をさらに泣かせた。
「お父さんはね、あんたが苦しんでるのを見るのが辛くて、自分に怒ってるんよ。気にせんで良いからね」
母はそう解説してくれた。でも当時の私は父の気持ちなど分からなかった。苦しんでるのは私やのに、なんで怒られなあかんねん。そう不貞腐れていた。
しかしこの日、父の話を聞いて、なぜ彼はこれほどまでに怒るのかが分かった気がした。父は、母や私たち子供を、自分の母親と縁を切ってまでも守ろうとしてきたのだ。人一倍自責の念が強い父だ。守りたいものを守れない不甲斐なさ。これに腹立たしいほど悔しく思うことが、何度もあったのではないだろうか。
父はよく、テレビで10代20代の若者が自殺したニュースが流れると、私に言った。
「死ぬのだけは絶対に許さへんからな。死ぬ勇気があるなら、なんでもできる。お父さんは何があってもお前の味方やけど、最後に自分を救うのは、自分でしかないからな」
その時も父は怒っていた。当時は、なんで説教されなあかんねん、と反抗的な気持ちを抱いた。しかし、今ならそれを言った父の気持ちが、少しは分かる気がする。父にとって私は自分であり、何よりも守りたい存在だったのだろう。だがしかし完全には守りきれない、そのままならなさも腹立たしいほどに分かっていたのだろう。
父が今の私の仕事を知ると、どう思うだろう。だがAV女優になった事実は変えられない。変えられないことを気に病んでも仕方がない。だって最後に自分を守るのは自分でしかないのだからな。