近況報告
1.近況報告
画像にもある通り、退職しました。
ただ、喧嘩別れとかではなく致し方ないものでした。
その退職の原因となった病気にかかったからです。
まず、退職の経緯について書いていこうと思います。
2.退職の経緯
キッカケからです。
三月末日、母親のスマホに一本の連絡が。連絡先は青森県警から。
内容は祖母が孤独死したといったものでした。
祖母は10年前から一人で生活していましたが、近所の卓球会に参加したり食品(海鮮やラーメン)等を定期的に送ったりと精力的に生活している印象があり元気そのものでした。
そんな祖母が亡くなり、聞いたときは唖然として受け止められませんでした。以前から復職の慣れも見えたことのきっかけとして突如伝えられた異動などで精神が不安定になっていましたが、その情報は以前から抱えていた不安をある病気へ突き落す止めとなりました。
兎にも角にも、葬儀や警察に行って現場の状況を聞かないといけないため、仕事を休む連絡を入れ、母親と共に祖母の住む地域へ移動しました。
遺体の回収、葬儀会社や口座の取引の為に銀行に連絡と、数日は気が休む時間帯もなく母と共に動き回りました。その甲斐もあり葬儀もすぐに済ますことができ、しっかりとしたお別れができました。
4月初頭に葬儀をしたことや母親はまだやることがあるため現地に残ることになるため、一足先に東京へ帰り翌日仕事の準備をし就寝することになりました。
問題はここからです。翌朝セットした目覚ましを止め支度に取り掛かろうとしたのですが、力が入らないと同時に脳内のもやもやが止まらないのです。違和感を感じあんなこともあったので疲れていると思い、勤務先に連絡しお休みをいただきました。すぐ治るだろうとその時は思ってました。
しかし、その症状は土曜日も日曜日も何も解決せずむしろ悪化していき、何より表情が出せず言葉も出にくくなっていました。日に日に悪化していったので、通っているメンタルクリニックに行くことにしました。症状を伝えたところ、はっきりと「それは鬱病だね」との診断。先程書いた違和感は鬱病の典型的な症状だったのです。
診断書を貰い勤務先に連絡。そして診断書を送付し休職の手続きをしましたが、その休職は受け入れられませんでした。人事から連絡があり理由としては、一回休職した人は最低でも8か月は出勤する必要があること、適応障害と鬱は同じ括りであるため同じ病気での休職は受け入れていないとのことでした。
また、4月からの有休はどうやら無いみたいで、葬儀の為に動いた期間は忌引きに該当しないとのこともわかりました。
その後、職場の産業医との相談も幾度と重ねましたが、認識が変わることはなく5月付で退職となりました。
3.その後と現在
結果からして現在も鬱病は治っていません。ただ、以前に比べ笑うことや外出することができるようになり改善の兆しは見えているのが現状です。
退職後にしたこととして、まず1つは祖母の家の片付けと解体作業です。急死であったため、家の道具もそのまま。そのため定期的に母と青森に通い作業を行っていましたが、親戚の方の助けもあり解体も含めて9月に完了しました。
2つめは区役所に行っての保健証や年金や健康保険の手続きです。退職して一番大変な作業はこれでした。退職するとこれらがすべてリセットされます。それらの知識が皆無で体を動かすのもしんどい私にとってとにかく苦行でした。「年金がー」「都民税がー」など頭が狂いそうになる毎日ですが、今は何とかなっています。学びとしては鬱の人にとってこれといったサービスとかはありませんでした。そう簡単にも行きませんよね。
4.最後に
本当はこの記事も7月に書こうとしていましたが、10月になってしまいました。もっと早めに書くべきでしたね。
因みにですが、鬱になったあと中々家族からの認識も厳しいです。四捨五入したら100になる父方の祖母は特に理解してくれる様子もなく根性論の電話が良く来ます。戦前の方でもあるので中々理解しがたい病気なんでしょうと諦めています。
一生向き合っていく病気という認識なので、これから仕事できるかどうかわかりませんが、気が向いたらまた投稿しようと思います。
もし似たような体験をされている方がいましたら、空いた時間でなにをしていたか教えていただけると幸いです。参考にしたいです。
では。