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100倍、身につく国語力(214) 作品篇
❤小~高校生と、母親向けのレッスン
(1年間で国語力の悩みが解決できる!)
杉みき子の作品について (14)
さて、お寺の一角の近くに「歓喜橋」
というのがある。これは『小さな町の
風景』に「よろこびの橋」として出て
くるが、私たちが実際に現場で見た朱
塗りの橋の欄干下には多量の水が早い
速度で流れていた。ここは、ある老女
が戦争で亡くなった息子を想い、折鶴
を流したという「祈りの橋」なので
しょうか。
今、『小さな町の風景』の7章の
「よろこびの橋」は、筆者がはじめて
読んだときに、「人が喜んで渡る橋だ」
と誤解していたが、彼女の話では以下
のような内容なのだと知って、正直驚
いた記憶があります。
町の小川に歓喜橋という橋があった。
その橋の名前は橋をかけたときの人々
の気持ちだった。子どもだった私は、
歓喜というのは喜ぶということだと教
えられた日から、渡れるのは喜んで
いる人だけだと思い込んでいた。そし
て、その橋を渡って喜ぼうとしたが、
それはどうしてもできなませんせした。
![](https://assets.st-note.com/img/1726178536-owXuh6SQkxf7qFH5J8dp9UBl.jpg?width=1200)
ある日、わたしが道を歩いて
いると、キンモクセイの香で
すっかりうれしくなり、ちょう
どあの歓喜橋のことを思い出
した。そのとき、よろこびの
橋はよろこぶ人が渡る橋では
なく、渡った人がよろこぶ橋
だと気づいた。
この橋は何の変哲もない小さなもの
だが、筆者が少女時代にとても大きな
存在として目の前に存在していたよう
だ。しかし、秋のある日、キンモクセ
イの香りに誘われて嬉しくなり、つい
に渡ることができたことの喜びを素直
に語っているのである。
ついでながら、この話での少女は、
筆者自身を指していることを明記して
いるので、非常に珍しいケースだと
いえます。これは恐らく杉氏の想い
が強く込められた作品のため、自身
の姿を明確に示したかったのでしょ
う。そして、この橋の道はその先
まっすぐに浄興寺に繋がっており、
お寺の石塔に、山号として“歓喜踊躍
山と刻まれていまし。このお寺は
親鸞聖人が創建されたもので、
『教行信証』を著したところと伝え
られています。杉氏の「歓喜橋」に
込められた純粋な気持ちは、恐らく
こういう背景があったのではないで
しょうか。
7章では、次に「祈りの橋」という
少女と老女の交流が描かれているます
が、それは以下のような内容になって
います。
![](https://assets.st-note.com/img/1726178596-cNgASYIKFa4Gqjpdly0ZTUkf.jpg?width=1200)
少女は毎朝ジョギングをして
いるとき、長い橋の上で月に
一度ほど、ある老女に出会う
ようになった。ある日、少女
は橋の上にいる老女が、紙切
れのような物を投げられない
ようなので、代わりに投げて
あげた。老女は40年ほど前に
息子が遠い南の海で戦死した
ので、毎月経文を書いた紙を
投げて、供養していていると
いうことだった。
それを知った少女は一ヵ月後
に、紙の代わりに平和と書い
た小さな折鶴を橋から投げ
つけた。それは矢のように川
を下り、老女の想いは海に届
けられた。(杉きみ子さん
講演会、『わたしとふるさと
と文学について』)
(2010、12.11)
これは同じ「歓喜橋」の上での出来
事かどうかは定かでないが、この橋が
杉氏の家からの散歩道の途中だとすれ
ば、恐らく同じ場所だと十分考えられ
ます。
![](https://assets.st-note.com/img/1726178642-AyJ7Ovfk4dTeM2aqDSHjhn0p.jpg?width=1200)
❤実際、私たちがこの橋の手
すりに寄りかかり、流れの
早い川面をじっと見ていると、
今にも少女と老女が現れて
くるような幻覚をみるような
気持ちになりました。
アナミズ (2024.09.13)