Wikipedia「曹操」で歴史修正されていること
まえの話のつづきです。
三国志の世界は歴史修正パラダイスで、史実と正反対の話が大声で叫ばれていることは書きました。
なんとあのWikipediaでも歴史修正の活動が大々的に行われているみたいです。
Wikipediaで行われた歴史修正運動
今まで史書に記録されている曹操の史実はずっとWikipediaに書かれないで来ました。
とくに虐殺や粛清の記録は徹底的に省かれていました。
これだけで普通に歴史修正ですよね??
Wikipediaの記事でその人物に都合の悪い史実だけを省いて、都合の良い“説”だけを書いてるなんて。
でも最近になって曹操の史実が書き込まれて、やっとWikipediaの「曹操」記事も健全に近付いたそうです。
なのに……
“歴史修正団”が大集合!!
「Wikipediaには史実を書いてはいけない」
「殺戮事件はよくあることだから削除すべき」
とかの謎ルールを主張して、曹操にとっての都合の悪い史実を削除し始めました。
しばらく史実を書き込んだ人が抵抗して修正合戦になったんですけど、一人を集団リンチするみたいな状況になって。
最後には史実を書いてた人が折れて撤退したらしい。
それで今週中にはWikipedia「曹操」の記事から史実が削除されて、中国共産党系の研究者の“説”、つまり歴史修正フィクション文100%になってしまうらしいです。
あの……そもそもWikipediaって「史実書いたらダメ」ってルールありましたっけ??
「自分たちお気に入りの研究者の説だけ書く」、って許されましたっけ??
だとしたらWikipediaって何の意味があるの。
て、思いますけど。
とにかく集まった歴史修正団体の“多数の権力”に押し切られて、また曹操ページから都合の悪い史実が削除されるってことに決まったらしい。
これって歴史修正主義でしょ。ナチスとかの。
しかも変更履歴とかに歴史修正主義者の言い分は全て記録されてるのに、よくやるよね~。
だけどWikipediaのシステム上、大人数が徒党を組んで押しかけると勝てないみたい。
真実よりも結束した工作員が有利ってこと。
こんな犯罪って許されていいのか?って怒りと、また消されてしまう史実をなんとか残したいって気持ちでここに貼ることにしました。
ここまでの経緯と、Wiki原文はこちらのツイートまとめが参考になりました。
つづきます。
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