福岡には二人で行った。思い出の写真には風景と食べ物ばかりが残されている。
note。独り言をボソボソと投げるのも楽しいのだが、動かしてみたからにはコンテストのようなもの(というか、コンテストなのだろうか)に参加するのもいいじゃない。と思い立ち、本日二度目の筆をとる。ただ、そんなに大真面目に賞を狙うつもりは無い。「忘れられない旅」というテーマに私が惹かれただけだ。思いついて綴るだけにしては長くなるが、お暇な方はお付き合い願いたい。
私の人生は、おおよそ旅人と言って差し支えないだろう。あるいは浮浪人か、世捨て人か、何でも構わないが、地に足をつけて生活を営んだ記憶は今のところない。
私の好きな曲に「1925」という、とみー氏の作品がある。その一節が非常に興味深い。
『人生はコウカイという名の船旅だ』
これに続けて、初音ミクが「行け」と言っているようにも聞こえる叫びをあげる。
なにも、私はこれに勇気づけられたのだとか紹介したいわけではないが、ただ聞く度に、しみじみと、そうだなぁ。など思うのである。
船旅では無いが、コロナ前、仲のいい友人と二人で福岡に行く機会があった。不慣れな飛行機を取り、当時まだ高校生だった二人は、羽田に行くために蒲田で泊まり、朝の羽田行きのバスがどれだか分からず白んだ夜明けを彷徨い、空港に着いてもどこに行けばいいのか分からず無機質な床の矢印に翻弄されてひたすら歩き、やっとのことで着いた機内ではそのほとんどを寝て過ごすほど疲れ果てたものだ。面白いのは、お互い少しばかり起きていたタイミングがあって、示し合わせたように寝顔を撮影していたことだろうか。この友人とは今でもそうなのだが、何をしていても楽しく、ただ隣で寝ている、一緒にどこかへ出かけているという事実がどうしようもなく嬉しいような間柄だったので、そういった些細な行動の一致を心の裏で喜んだものだ。
ややあって、福岡に着く。朝方、8:00か、9:00頃だったと思う。空港内でも開いている店舗はコンビニかおにぎり屋くらいのもので、ここでも私たちは少し彷徨った。ホテルに行きたいが、電車も分からず、土地勘もなく、とりあえず目に着いた和食屋に入る。卵かけご飯の定食が身に染みるおいしさで、これは未だに福岡の味として舌が覚えている。同じタレを使っても、卵を使っても、その時味わったほどの感動はもう起こらない。
その後、どうにかしてホテルに辿り着いた。早めのチェックインをさせてくれたのが有難かったと今になって思う。地域としては博多になるのか、少なくとも街並みは見慣れた横浜とそこまで変わらず、あまり福岡に来た感じを覚えなかった。今考えれば、大した知識もないのに見てわかるほど街並みが違うわけがないのだが、何せ小さな世界で育ってきたいち高校生としては、ほとんど初めての単独旅行で異国情緒を味わってみたい、と夢見がちになる部分があったのだろう。現に、荷物を置いて直ぐにわけも分からず家電量販店を一周してみたり、用もないのにドラッグストアに入って見慣れないのど飴を買ってみたりしたのだから。書いていて思い出したが、こんなに当てもなくフラフラしていた二人でも、デパ地下では中々博多らしさを楽しむことが出来た。鶏料理だったり、刺身だったり、郷土料理だったり、ミーハーが思いつく限りのその土地らしさがとにかく広い地下を満遍なく覆い尽くしていて、試食販売員の方々に声を掛けられながらその中を何周かする。結局、迷いに迷って時間が迫り、私たちはあまおうの苺大福と、少し高級そうなフルーツサンドを買ってホテルに戻った。冷蔵品はすぐしまわなければならないという知恵を持つふたりだからだ。
福岡には、友人の誘いで突発的に行くことになった。元々友人の好きなアーティストがヤフオクドームでライブをするという話を聞いていて、福岡いいなぁ、美味しいものとか色々ありそうなんて話を百均で物色しながらしていたところ、突然、来る?と聞かれたのである。行く。と答えた。若さはすごい。
それなので、ホテルに諸々の荷物を置いたあと、友人はライブを見にドームへ向かった。私もそれについて行き、入口手前まで見送って、記念写真を何枚か撮影する。元々、半地下くらいの狭いライブハウスでパフォーマンスをしていたアーティストが好きで、そこ由来で知り合った友人なのだが、この日ばかりは自分がちっぽけに感じられるほど大きなドームを背に、ペンライトを掲げてレンズに収まる友人を見て、なんだか不思議な、私の知らない姿を見ているような、そんな気を持ったのを覚えている。
友人がライブを楽しんでいる数時間、私は一人の時間となった。
その頃から歴史が好きだったこともあり、まわる箇所は事前に検討をつけていたのだとおもう。神社仏閣や、その周辺の、石造りで重みを感じさせられる建造物、パネルに書かれた誰とも知らない人の名前、大衆劇場、木版に右側から屋号の書かれた老舗風体の和菓子屋なんかを見て回った記憶がある。カステラを買ったような、試食だけしたのだったか、忘れたけど、石畳のT字路に和三盆の甘みがよく似合っていた。
ライブは夜までかかるので、私はその後一人博多の繁華街に足を運んだ。ネオンに囲まれた美男だか美女だか熟女だが、やおら高校生に縁のない世界に少々萎縮しつつ、好奇心だけでその世界へ赴いた。当時は、というか今も、見た目に頓着しないせいでやたら幼く見られるので、繁華街に居ても特に誰からも声をかけられることはなく、気楽なものだった。私はただ、道行く人々の色気づいたやり取りを他人事のように観察し、身なりの異なる様々な人間模様をただ面白く消費したのみである。下水道にネズミがいて、中華街を思い出した。
繁華街を抜けると、カービィカフェだったか、ポケモンカフェだったか、とにかくキャラクター物のコラボカフェがあった。一人だったので立ち寄ることはしなかったが、それを境に街並みは若返り、どこか空想めいた若者のトレンドがそこかしこに立ち並ぶ商店街へと差し掛かった。あまりハッキリ隔たれているので、それが愉快な気さえした。観光客向けに開かれている土産屋をつまみ食いしつつ、観光客然とした私は、しばらくの時間をそこでフラフラと過ごし、早い店ではシャッターも見え始めたころにようやくヤフオクドーム行きのバスに乗り込んだ。これはどういう経緯か忘れてしまったが、窓越しに博多湾を一望できる素敵な路線バスだ。横浜に馴染みがあるとはいえ、普段は海をしげしげと見ることもない私は、焦げた太陽を受けて絵画のように波打つ海面をやたら感動的に、しかしどこか、これを毎日通学で見ていたら見向きもしなくなるんだろうな、と現実的に眺めて帰路に着いたのだった。
ヤフオクドームは、それはそれは熱気に包まれており、友人と合流できたのは、蜃気楼よりも上気めいた人々が疎らになってようやくの事だった。
お互い、話したいことは色々出来ていただろうが、まずご飯を食べに行かなければ話にならないと、水炊きの店に駆け込んだ。勧められたメニューをそのまま頼み、本当に二人前なのか疑いたくなるほど山盛りの鍋を慎重に崩して、くつくつと煮立つ小さな音を聞いて初めて一日の話をすることが出来る。
何を話したのか、それは全く覚えていない。水炊きが美味しくて、モツも美味しくて、これをまた食べに来ようだとか、何を見に行こうだとか、この後どうしようだとか、とにかく楽しい話を鍋がなくなるまで目一杯したのだろう。そしてホテルに戻って、昼前に買った苺大福とフルーツサンドをデザート代わりに食べたあと、眠るのも惜しい気がして、テレビをつけながらまたグダグダと話をしていたはずだ。
翌朝、私たちは昼に出発する飛行機に合わせて、近くのスーパーで土産物探しをして、またこの後の話をした。
というのも、その日は夜から東京で、先程少し触れたが、半地下のライブハウスでパフォーマンスをするアーティストのライブがあったのだ。これに行くか、行かないか、行くなら土産物をどうするか、という話をしていたのだと思う。ちなみに、土産物をどうしようなんて言い始めた時点で行かない選択肢はないのだが、この際それは野暮だろう。お互い、口にはしなかったが、東京に帰ってそのまま解散するのは余韻に欠けるとどこかで思っていたんじゃないだろうか。少なくとも、私はそうだ。この友人と会う時はいつだって帰りたくなくて、何かと都合をつけては帰るまでの時間を先延ばしにしてしまう。
東京行きの飛行機のことはあまり覚えていない。なんだかギリギリになってしまってすごく焦った記憶はあるが、それが福岡の時の事だったかどうか、定かでは無いので割愛する。
ざっと読み返すと、忘れられない旅というよりただの惚気話とも思える内容だが、この旅もはや4年は前のことになると思うと、よくここまで覚えているな、と我ながら感心したものだ。
写真の類はあまり見返さないのだが、折角こんな話を書いたので、あの時撮った写真を遡って確認してみた。するとまぁ驚いたことに、私や友人が写っている写真は全体の1~2割程度で、残りはほとんど食べ物か、風景か、時刻表かに分類できてしまったのだ。
たしかに、二人揃って普段から自撮り写真なんかを頻繁に撮る方ではない。とはいえ、ここまで鮮明に覚えているものが、写真に残っていないというのはなんだか強烈な違和感となって襲ってくるのだ。表情も仕草も、なんなら喋った内容も、私はほとんどホームビデオのように記憶しているのに、これがデジタル機器の中には残っていないということ。
その時写真を撮らなかったことを、今になって少し後悔している。この旅の内容は、読んでいただいた方にはあまりに普遍的で、特別性もなく、独自の観点や、学習もないだろう。言葉は悪いが、友人と友人である限り何度だって体験できるような旅だ。
それでも、この福岡の旅は私にとって忘れがたい経験となっているし、今後も忘れたくない記憶に違いない。初めて宿泊を伴う外出をしたとか、初めて地方を超えた旅をしたとか、そういう訳でもないのだが、それでも何故か、どこか特別幸せな記憶としてこれは残っている。
『人生はコウカイという名の船旅だ』
船旅、というのがこの歌詞のなんとも素晴らしい所である。後悔と航海を掛けているわけだが、船旅というものは、なにか掴み損ねてしまったら同じものはもう二度と手に入らないような不可逆性を強く感じさせられる。進みゆく時の中で不変のものはそうそうないので、単に私の感覚の問題でもあるのだが、陸路よりも空路よりもたしかに海路の方が失う恐ろしさを密に伴っているような気がするわけだ。
福岡の旅には、そんな不可逆性が幾つも秘められていたのだと、振り返って思う。
写真はもう撮ることは出来ない。いちど忘れてしまったら、その時にはきっと今以上に思い出すことは出来ないだろう。そんなことをしていたら遭難してしまう。
この福岡の旅は、私にとって忘れられない、忘れることの出来ない旅なのである。
見切り発車で書いてしまったが、さてはて、これはエッセイなのか、なんなのか、なんなのだろうか?聞かれても困ってしまう。
旅行はどこに行くにしたって毎回特別な経験となる。それは行く人数に関わらず、人間関係に関わらず、誰しも大概そう言うものだろう。気を許した相手と行く旅行ほど楽しいものもないが、一人旅だって気ままでいいものだ。
願わくば、いくつになってもこんな些細な思い出を大切に思い出せる人間でありたいと思う。
では、良い夢を。