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「ひもじい自由」より「ひもじくない不自由」、愛のある内向的暴力革命、

瀬那十四年二月十九日

「あのポンポンいう音は、何だろうなア。」
宿の主人は家の庭先から、舟の息子に呼びかけた。
「さあ、鴨打ちの鉄砲だろう。」
「鴨打ちが、ああポンポンやるものか。日本がアメリカと戦争を始めたから、兵隊が演習でもやっているのかナ。」
私たちはびっくりした。
「日本がアメリカと戦争を始めたって? そりゃア一体、いつのことだ。」
「今朝のラジオで放送しましたヨ。」
それで、あんなに軍歌を放送している理由がわかったが、私は「とうとう始まったか」という感慨を禁じ得なかった。
「いよいよ日米戦争か。道理で、ちっとも釣れないと思った。荒畑さん、どうします? もう上がりましょうか。」
「しかし、僕らがいま東京に帰って、マアマアといったところで今さら戦争をやめもしまいから、もう少し釣っていようや。」

荒畑寒村『寒村自伝 下』(岩波文庫)

午後十二時三四分。キングの好物アルフォート、紅茶。また寝過ごした。靴下が異様に臭い。洗濯の回数を減らすため最低でも三日は履くから。パンツもそう。男なんてのはそうしょっちゅう着るものを洗っちゃいけない。髪だってごしごし洗っちゃいけない。シャンプーに金をかける男なんてろくな男じゃないだろう。シャンプーなんかに使う金があれば古書と酒に使うほうがいい。俺は自分のこういうバンカラ的なところをかなり気に入っている。みずほ銀行の行員も貸金庫から金を盗んでいたとか。「みずほ、お前もか」なんて思うほど俺はウブじゃない。「ああやっぱり」って感じ。みずほには不祥事がよく似合う。富士には月見草がよく似合う。「それなりに金を持ってる奴からなら盗んでもいいだろ」という気持ちだったのかな。それなら俺も分かるよ。俺だって金に超困ったら金持ちから派手に盗むだろうね。俺をちゃんと食わせることさえ出来ない社会なんて存続するに値しないから。俺の辞書に「自己責任」なんて言葉はない。そんなのは頭脳弱者やネオリベ馬鹿の使う言葉。この窃盗事件で一番気になるのはね、その盗んだ金を何に使ったかなんですよ。路上生活者や俺みたいな不遇の天才に配ったりしたならよろしい。でもFXとか賭博とかそういうことに使ったっていうなら論外。大金は自分のために使ってはいけない。自分よりも貧しい人間を助けるために使わないといけない。芝居の上での鼠小僧次郎吉みたいに。「儲けたい」なんてのは下人の発想だ。この世から不幸な生物がいなくならない限り誰も腹の底から笑ってはいけないのだ。生を肯定してはいけないのだ。とりあえず俺は地上から銀行なんてものはすべて消滅すべきだと思うね。米米CLUBというバンドが昔あったなそういえば。二袋もあるなら一袋くれよと思う。米CLUBでもいいだろ? というかCLUBでもいいだろ? ああもう俺は疲れている。この世で最も「非生産的」でありながら態度のデカい男に私はなりたい。腹減ったから納豆ご飯食ってくる。

菅孝行『天皇制と闘うとはどういうことか』(航思社)を読む。

天皇制は日本国家に固有の君主制であり、現代の「天皇制国家」の統治形態は、国政への権能をもたない天皇を象徴とすると定めている。天皇は主権者ではないし、巨大資本でも、戦前の日本におけるような「最高地主」でもない。軍を統帥しているわけでもない。

第Ⅴ部

読みながらまず思ったのは、「天皇制というものの一番の問題は誰もそれについてに真剣に考えられないことなのかな」ということ。内田樹の安直な「天皇主義者宣言」への批判や、「本土人」の植民者的「沖縄観」への批判がやたら印象に残っている(ダグラス・ラミスへのインタビューでは、池澤夏樹の沖縄移住が冷ややかに語られていた)。そっちょくに言って僕はセナ様以外はみんな平等にクソだと思っているので、天皇も早く普通の市民になったほうがいいと思う。「普通のおっさんに戻りたい」とか言って。そして俺と飲もうぜ。ストロングゼロくらいはおごるよ。ただし350ml缶ね。ともあれ立ちションも出来ないなんて人権がどうこう以前だよ。「民主主義と天皇制は矛盾しないのか」とかいうクソマジメな問いについてはもう少し時間が欲しい。「立憲君主制」とか「象徴」とか「国体」とかそういう難しそうな言葉を聞くと頭がクラクラするんだよオイラ。そのうえ「古代天皇制」や「中世天皇制」の話なんかされても付いていけない。神武天皇だの後醍醐天皇なんて俺となんの関係があんの? ある時期の橋本治は系図を書きながら天皇について考えまくっていたみたいだけど、なんでそんなことに熱中できるのか分からない。そもそも「天皇制」という言葉自体が多分にイデオロギー的電荷を帯びていて、その意味するところは大体いつも漠然としている。とりあえず藤田省三『天皇制国家の支配原理』(みすず書房)でも読もうか。航思社と聞いてすぐ思い浮かぶのはジャック・ランシエール。二年前のいまごろだったか、『哲学者とその貧者たち』を読んだとき何かすごい風圧を感じたよ。感想が中学生か。おれ書評できないから。松岡正剛「千夜千冊」みたいのは書きたくても書けないから。脳資源がすぐ枯渇するんでね。もう寒くて嫌になってきた。足が冷えて苦痛。そろそろ「出勤」だよ。サムソンとデリラ。ドゥルーズとデリダ。フーコーとラカン。十六羅漢。暗黒舞踏と、闇市パンクロック。野坂の肛門。脱腸の夏。

【備忘】エルンスト・ブロッホ著作集、野呂栄太郎著作集、谷川雁著作集、花田清輝著作集、エルネスト・ルナン『国民とは何か』、立花隆『日本共産党の研究』、豊下楢彦『安保条約の成立』、「美学や信念の表明は政治ではない」、「目的達成のためにはときにドロをかぶる勇気」、「組織を軽蔑する人間は政治的には何事もなしえないだろう」、米軍基地撤去論の無責任さ、基地の均等配置の可能性、「本土人」の沖縄差別、なんだかんだ日米安保関係がないと不安な日本人、沖縄に米軍基地が集中している歴史的あるいは「地政学」的背景を詳しく調べろ、

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