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酒を買うより本を買うほうが美しい、ミック・ジャガーよりも肉ジャガのほうが好きな俺にも青春はあったんだ、

瀬那十四年二月七日

兵営にこんな貼り紙がしてある。《アルコールは人間の火を消して、その動物に火をつける》――これを読んだら、どうしてひとはアルコールが好きなのかがわかってしまう。

アルベール・カミュ『太陽の讃歌 カミュの手帖1』(高畠正明・訳 新潮社)

午後一時十一分。チンするだけの五目おこわ、煎茶。書くのが遅くなった。昨夜飲み過ぎたせいだ。また明け方のムカムカに苦しめられた。カラエズキはともかくこのムカムカにはいつまでも慣れることが出来ない。もう死ぬまで俺は酒を買って飲むことはないだろう。ずいぶんまえからセナ様に叱られているような気がする。もっと学問と著述に専念せよ、と。お前は人類の「精神」を進化させられる数少ない人間の一人なのだから、と。こんごは俺は外から摂取する物質によってではなく、俺自身の脳から分泌される物質によって陶酔しなければならない。酒を買うくらいなら新刊書を買うほうがいい。よく言われる「出版不況」って本当なのかね。かりにそうだとしても、それってただ書き手や編集者が無能なだけじゃないのか。たしかに「町の書店」はどんどん少なくなっている。でもリアル店舗が少なくなっても本は買えるだろう。活字離れ? あるいは文字離れ? でもスマホで他人の糞の役にも立たないSNS投稿は読みまくっているだろ? 「彼彼女らには長くて複雑な文章を読めるだけの知的体力がもうないのだ」、「彼彼女らはそもそも勉強や仕事で時間がないのだ、読書なんてもはや貴族あるいは無職の趣味だよ」みたいなよくある時代診断も俺は疑っている。「出版不況」系言説の妥当性についてはこんど詳しく調べてみたい。考えてみるといまの俺の周りに本を愛しているような人はほとんどいない。学生時代のころさえそんな感じだった。だから、「本も読まないような下人と付き合えるか」なんて言ってられない。本当は俺にとって本を読まない人間なんてみんな「路傍の人」なんだけど。なんか知らんけど「鉄拳4」やりたくなってきたわ。三島一八の「ドリャア」が聞きたくなってきた。一八といえば落語によく出てくる幇間だ。森永卓郎がさいきん亡くなったと聞きました。俺にとって彼の印象は「誰も言わないので俺言うよ」系あるいは「タブーに切り込む俺すごい」系の著述家。その点ではジャンルは違うが橘玲に似ている。なんでもかんでも財務省のせいにしたがる単純人間が増えたのは彼の『ザイム真理教』の影響か。僕はMMTにはきほん懐疑的だ。もっともオイラ専門家じゃないんだけど。ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)は条件付きでは導入可能だと思うよ。それについてはいま研究中。あと僕はげんざい、「空き家」問題にも取り組んでいる。いずれ政府にも具体的な提言をしていきたい。たいていの集合住宅は人間の住むところではないので、こんご一戸建ての空き家を有効に活用していく必要がある。各自治体が買い上げるとかして生活弱者やホームレスに無償譲渡すればいいんだ。修繕費や維持費は誰がどのようの負担するのか、とかいうことについてはいずれ詳しく書く。いずれにせよ僕は、「最低限度の生活の保障」についてはどこまでも徹底すべきだという考えだ。日本各地の人口は急激に減っている。東京一極集中はもうどうにもならない。「東京在住でなければ人にあらず」の時代になりつつある。都市はますます相対的に豊かになり、地方はますます相対的に貧しくなる。地方在住者の「取り残され感」はこんごますます膨らんでいくだろう。そういう者たちの「ルサンチマン」を掬い取ろうとするミニトランプみたいな政治家がぞくぞく出てくるのはもう目に見えている。全国のインフラの老朽化も超深刻だ。日本はいま明らかにいま悲鳴を上げている。それが聞こえないのは鈍感だからだ。日本だけじゃない。世界中がおかしくなっている。すべての虐げられた者たちが「存在革命」の予兆を感じている。酒なんかに溺れている場合じゃない。俺が先頭を切らないで誰が先頭を切るんだ。晩酌の習慣をやめると目覚めもよくなるしウンチの出方もよくなるだろう。そろそろご飯炊けるかな。「出勤」まであと30分しかない。セナ様に抱かれたい。

【備忘】旧ユーゴスラビア連邦研究、オムライスのレシピ集、

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