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シックスパックと酒は両立する、それゆえ酒は善であり、人類に不可欠の抗不安薬である、年下の男がこわい、

六月二四日

(母は私が本を読んでいるのを見ると、よく「外へ出て元気になさい!」と言ったものである。まるで私のこの黙した行為が、元気であると彼女が考える姿と全く矛盾しているかのように。)本を読む人が、書物のページに埋もれながらやっていることへの警戒心は、女性が身体の隠された部位で何をしているのかについて永遠に男性が抱く恐れ、あるいは魔女と錬金術師が鍵の掛かった扉の背後でしていることへの恐れに似たものである。

アルベルト・マングェル『読書の歴史(あるいは読者の歴史)』(原田範行・訳 柏書房)

正午ジャスト。紅茶、うずらエッグ。休館日。やや二日酔い。夜更かしのせいもある。カティサークを買った。ブレンデッドウイスキー。1100円くらいだったかな。これがうまいのよ。冷水で割るのがもったいないくらい。しばらく空の雨降りハラスメントが続いて夜の時間が長くなりそうなので酒くらいはいいよね。シックスパックは大事だけど、目先の欲望に忠実であることはもっと大事。明日死ぬかもしれないのに禁欲なんて馬鹿馬鹿しい。努力と我慢は凡人の悪癖である。

久しぶりに飲んだ元気前借りドリンク、ぜんぶ原液で飲みたい、

ちかごろやたら「性欲」が強い。気が付けばずっとチンコをいじってる。梅雨の時期は蒸し暑さが加わるぶん花粉の時期以上に気が滅入る。室内に長くいると人はろくなことを考えない。裸で一緒に寝てくれる男を探した方がいいのかな。「性愛活動」ってのは理不尽でしんどいことばかりだから本当はそんなものとは一定の距離を置いて生活したいんだけどね。俺みたいな「ガラスの肥大性自己愛」を持て余しているような人間にはどう考えても向いていない。というかほとんどの人間は「性愛活動」なんかには向いてないんだ。「タフな演技性自己愛」にそうとうに恵まれていないと「性愛活動」なんか出来ない。困ったことに俺が好きになるのはみんな若い男なんだよな。敢えて古い言葉でいうなら「若専」なのね俺。日本の古典文学で「花」と出てきたらだいたいそれは桜のこと、なんてよく言われるけど、俺のいう「男」というのは生物学的な意味での男のことじゃなくて十代後半から二十代後半までのあるていど綺麗な男のことなのね。そういう男はたぶん俺みたいな金のない三十代半ばの男には抱かれたくないと思うの。いくら俺の料理の腕が一流で、趣味は洗練されていて、教養も豊かで、話し上手で聞き上手で、そこそこ立派な道具を持っていても、やっぱりアウト・オブ・眼中だと思うのね。「見た目」からしてもう論外なのよ。思えばいままで裸で抱き合ったことのある男はみんな年上か、せいぜい同い年だった。自分より若い男は一人もいなかった。会って話したことは何度かあるけど一緒に寝るまでには至らなかった。やっぱり「どう思われているか」が気になって緊張するの。あと「慣習」上、相手が若い男だと飯をおごったりしないとダメでしょう。こういう「年上としての作法」が苦手なのよ私。金があっても苦手なのよ。「人生の先輩面」できる無神経さが欠けているのね。「生きていてすみません」モードだから基本は。もっとも俺の「人生経験」(嫌な言葉だ)なんて高が知れたものなんだけど。ああ恥の多い人生を送ってきました。さあ昼食。冷凍ごはんチンするか。世界の中心でボールペンを分解したい乙女心がお前には理解できるか。夏が来るいつも夏は来る両手広げて待っている。マスター、コイキングの刺身。

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