生から残酷さと虚しさを引いたら何も残らない、と二五歳で縊死を決めた君は言った、愛はかつ丼、天井サジキの二つ目小僧、「男の腐ったような」、さだめしおさみしいことでしょう、
九月十四日
午後十二時十五分。しっとりやわらかふわふわわっふる、紅茶。いつになったら涼しくなるんだ、とタンクトップ男子を愛する俺もそろそろ言いたくなるよ。やや内臓が焼けている感じがする。700mlのトリスクラシックを買って飲んだ。トップバリュ系の安過ぎるやつは悪酔いしやすい。せめてブラックニッカかトリスじゃないと毎晩気分よく飲めない。本当はカティサークかジムビームのほうがいい。ビーフィーターだったらもっといい。ボエン・ビエールだったらもっといい。「飲まないのが一番いい」。うるせえ。酒は涙か溜息か。自民党総裁選の告示があった。九人も立候補したって。立候補者の簡単な経歴がまとめられているのを見たら、「米ハーバード大院」を修了したのが四人もいて面白かった。あと「米コロンビア大院」と「米ジョージタウン大」の人もいる。こういうのを見たら誰でも、ハーバード大院なんて大したところじゃないんだな、と思うに決まってる。「エリート」が経歴に箔をつけるために金を払って行くところなのか、と思わないほうがおかしい。ほとんどの大学ってもう「ディプロマ・ミル」化してない? ところで「選択的夫婦別姓」導入の是非なんかが論点の一つになってしまう日本って何なんだろうね。腐れオヤジ国家なのか。おしなべて「伝統」とか言いたがる奴ほど「伝統」について何も考えたことがない。もっとも「婚姻制度」になんの違和感も持たずに結婚するバカどもが同じ性を名乗ろうが別々の姓を名乗ろうがどうでもいいのだけど。橋下徹の初体験の話くらい糞どうでもいい。だいたい姓なんて無い方がいいでしょ。もちろん名前も。なんで人々は他人に与えられた名前をそんな後生大事にしているんだろう。こういう愚鈍さなんだよな、俺の敵は。日常というこの愚鈍地獄。経済というのは嫌なもんだ。誰もが経済に浸り切っている。「たかが経済」じゃないか。なんでもすぐに「政治の問題」や「国の問題」として考えることが出来ない。「地方自治体」や「町内」でさえ私には大きすぎる。どこまでも私は「個人」として存在し続けたい。「国家システム」とか「経済システム」に絡めとられたくない。「個人」の外にあるのは無神経な間接的暴力だけだ。私は宇宙を漂う一つの原子でしかない。あらゆる「システム」とは無縁なんだ。あらゆる「当為(べき)」とは無縁なんだ。誰も俺に命令するな。でもおそらくいま「この国」(嫌な言葉だ)の「主権者」(嫌な言葉だ)がいちばん真剣に論じるべきは「労働力不足」(嫌な言葉だ)と「ナショナル・ミニマム」(嫌な言葉だ)のことだろう。桐生悠々がたしかどこかで書いてはずだけど、(なんか知らないけど既に確固として存在しているらしい)「国家」という政治的共同体は基本すべての人たちを食わせていかなければならない。病人だろうがニートだろうが「おまんま、ちょうだい」と言ってきたら食わせてやらなければならない。「国家の存在意義」はそれに尽きるといってもいい。すべての人間を食わせることさえ出来ない「国家」なんか転覆されたほうがいい。というか転覆されるべきだ。こんな当然のことを知らない人間がけっこういる。びっくりする。「国家」と「政府」は概念的に区別しなければならないのだけど、どっちも「必要悪」であることには違いはない。「必要悪」なんだからせめて最低限のことはしてくれ。これについて書くと長くなる。「そもそも統治とは何?」という問題がある。「誰」が統治し「誰」が統治されているのか。「統治されること」と「統治すること」の関係はどうなっているのか。「統治されている人々」は「統治されている」ことにどのくらい気が付いているのか。ああもう面倒くさい。もうご飯食うわ。ご飯食って新聞読んで図書館行くわ。ダイナマイト四国と愉快な仲間たち。チンコの付け根がかゆい。痒い。梅干し食べたい。梅干し食べたい僕はいますぐ君に会いたい。君のあそこをいますぐ舐めたい。君のあそこはボウフラのダンスのように美しい。うんぱっぱ。