中島義道『〈対話〉のない社会 -思いやりとやさしさが圧殺するもの』

素晴らしい本です。
対話について語った本。
僕が言いたいことを言ってくれている。

でも、悲しいことにこの本が書かれたのは1997年。
それから27年経った今、現状は何も変わっていないじゃないか。
むしろ酷くなっていないか・・・?

第1章 沈黙する学生の群れ

■なぜ、学生たちは発言しないのか?

なぜ学生は発言しないのか?
以下のやりとりが面白かったので、記録しておこう。
著者の中島が、授業中に学生と行った対話。

1年間黙りつづけた学生たちに「なぜあれほど私が『語れ、語れ』と要求したのに、語らなかったの?」と聞いてみた。

清純そうな女学生Aさんとの対話。
—(学生)私は理解するのにとても時間がかかりますから、先生の言葉を頭の中で考えているあいだ、同時に意見など言えません。
—(中島)じゃ、なぜそう言わなかったの?学年の終わりになって、今はじめてあなたが何を考えているかわかった。私が何度も要求してきたことは、こういう発言なんですよ。
—(学生)あっ、そういうことなのですか。

次は、小心そうなB君との対話。
—ぼくはほとんど授業の内容がわからないので、質問できなかったのです。
—なぜ、そう言わなかったんですか?
—えっ、そう言っていいのですか?
—私はそう言え、言えとずっと四月から要求しているんでしょ。
—そんなこと言ったら、先生に失礼になると思って。
—全然失礼ではない。わからないのに、わかった振りをして黙っているほうが何倍も失礼だ。

そして、いかにも利発な感じのC子さん。
—私が何か質問しようとすると、ほかの人が質問してしまいます。「おかしいな」と思っても先生はすぐ次に移ってしまいます。いつもこうで、発言するひまがありませんでした。
—なんで、一度でいいからそう言わなかったんですか。最後のテストの日に、はじめてあなたが授業中発言しない理由がわかった。
—そんなことも言っていいのですか?
—何でもいてほしいと何度も言ったでしょう。とくに、黙っている理由を言ってほしいんですよ。「じつはほかのことを考えていて、何にも聞いていませんでした。もう一度はじめから全部説明してください」と言ってもいい。そうしたら、私は「嫌ですよ」と答えるけれど。あるいは、私の質問に対して「答えたくありません。今、とても不愉快な気分ですから」と言ってもいいんです。こう言われたら私も不愉快でしょうが、そこにコミュニケーションはなりたつ。相手が何を考えているかわかるでしょう。

p.28~30

第3章 〈対話〉とは何か

・ディベートは〈対話〉ではない
・信念、信条を語ることが対話であり、賛成と反対の立場を入れ替えても滔々と語れるようなディベートは〈対話〉ではない。

〈対話〉の基本トーンをなすのは、相手を議論で打ち負かすことではないが、さりとて相手の語ることに同意し頷くことではない。むしろ、わからないことを「わかりません」とはっきり言うこと相手の見解と自分の見解との小さな差異を見逃さず、それにこだわり「いいえ」と反応することである。

p.125-126

〈対話〉の基本原理
一 あくまでも一対一の関係であること
二 人間関係が完全に対等であること。〈対話〉が言葉以外の事柄(例えば脅迫や身分の差など)によって縛られないこと
三 「右翼」だからとか「犯罪人」だからとか、相手に一定のレッテルを張る態度を辞めること。相手をただの個人として見ること。
四 相手の語る言葉の背後ではなく、語る言葉尾のものを問題にすること
五 自分の人生の実感や体験を消去してではなく、むしろそれらを引きずって語り、聞き、判断すること
六 いかなる相手の質問も疑問も禁じてはならないこと
七 いかなる相手の質問に対しても答えようと努力すること
八 相手との対立を見ないようにする、あるいは避けようとする態度を捨て、むしろ相手との対立を積極的に見つけてゆこうとすること
九 相手と見解が同じか違うかというに文法を避け、相手との些細な「違い」を大切にし、それを「発展」させること
十 社会通念や常識に収まることを避け、常に新しい領海へと向かってゆくこと。
十一 自分や相手の意見が途中で変わる可能性に対して、常に開かれてあること
十二 それぞれの〈対話〉は独立であり、以前の〈対話〉でこんなことを言っていたから私とは同じ意見のはずだ、あるいは違う意見のはずだというような先入観を捨てること。

p.132-133

第6章 〈対話〉のある社会

〈対話〉のある社会ってのは、こんな社会だ。僕が言いたいことは、ほとんど言ってくれている。以下、素晴らしいから読んでほしい。

(…)素朴な「なぜ?」という疑問や「そうではない」という反論がフッと口をついて出てくる社会である。それは、弱者の声を押しつぶすのではなく、耳を澄まして忍耐強くその声を聴く社会である。それは、漠然とした「空気」に支配されて徹底的に責任を回避する社会ではなく、あくまでも自己決定し自己責任を取る社会である。(…)それは、相手に勝とうとして言葉を駆使するのではなく、真実を知ろうとして言葉を駆使する社会である。それは「思いやり」とか「優しさ」という美名のもとに相手を傷つけないように配慮して言葉をぐいと呑み込む社会ではなく、言葉を尽くして相手と対立し最終的には潔く責任を引き受ける社会である。それは、対立を避けるのではなく、何よりも対立を大切にしそこから新しい発展を求めてゆく社会である。それは他者を消し去るのではなく、他者の異質性を尊重する社会である。

p.204

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