![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162352025/rectangle_large_type_2_37b228fa093a20a6ba3dd476ff2bd453.jpeg?width=1200)
「大戸島」探訪記(2021)
はじめに
私が、奈良県民の久保田氏(仮名)とゴジラが初登場した「大戸島」への調査旅行を企画したのは、2021年の盛夏だった。ふとしたことから、おたがいに映画『ゴジラ』(1954)のファンであることや、大阪からも奈良からも特急一本で行ける鳥羽市で「大戸島」のシーンが撮られたことが分かり、ロケ地巡りをしようということになったのである。その後、三重県のロックダウンや久保田氏の多忙もあって企画倒れになりかけたが、幸いなことに、さる10月15日に調査旅行が実現した。
「大戸島」へ
私は10時10分、近鉄大阪難波発の伊勢志摩ライナー賢島行に乗り込んだ。30分後、大和八木で久保田氏が合流する。近鉄特急は全席指定なので、弾力性はないが、このように途中駅で合流するには便利である。12時9分、鳥羽着。鳥羽市は雲ひとつない快晴で、30度越えの異常な気候がつづいていたため、暑くならないか不安になる。
ここで、鳥羽コミュニティバスに乗り換える。バスセンターは鉄道駅に隣接しているし、乗り場の数も少ないので分かりやすい。やや遅れて来た12時17分発の石鏡(いじか)港行に乗ると、ほかには地元の人らしき高齢女性ばかり。途中で比較的大きなショッピングセンターも通ったので、買い物時の足として利用されているようだった。
市街地を抜けると乗客はほぼ我々2名だけとなり、バスは、鳥羽市と志摩市を結ぶ「パールロード」に沿って、リアス式海岸の入江に点在する集落を淡々と巡っていく。地形が複雑なので、バスがひどく揺れて乗り物酔いの恐れはあるが、深い山のなかにいたかと思うと小さな漁村にいたりと、景色が変化に富んでいて、なかなか楽しい道のりである。そして、やたらとカキ料理屋とリゾートホテルが目につく。
途中、車窓から「化石発見地」の案内板が見えた。あとで調べてみると、ティタノサウルスの仲間の化石が見つかった場所らしく、「鳥羽竜」とも呼ばれているとのこと。姿形はまるで違うが、『メカゴジラの逆襲』(1975)に出てきた怪獣に名前がよく似ていて興味深い。
大木の浦
我々を乗せてきたバスは、予定どおり13時すぎに第一ホテル前停留所に到着。終点である石鏡港停留所の2つ手前で、港を見下ろす丘のうえに建つ「石鏡第一ホテル神倶良」のまえにある。運賃は、キリよく500円。ここから、来た道を西へ数分ほど徒歩で戻り、「秀丸花ごころ」というホテルの駐車場にむかう。「大戸島」における浜辺のシーンが撮影された場所は、石鏡港から丘ひとつはさんだ南の浜で、そこへの道が「花ごころ」の駐車場の奥から続いているのである。なお、この浜辺は、現地の案内板によれば「大木(おおぎ)の浦」という名前なのだが、ネット上では「大木の浜」や「大木浜」という表記もみられた。
この道については、事前調査では「藪のなかの小道を20分ほど下る」という情報しか得られなかったので、現在でも通れる道なのか不安だったが、一部を除いて舗装されており、思ったよりも歩きやすかった。注意が必要なのは、大グモの襲撃くらいか。
予想に反して、藪を下りきってもすぐには浜が見えず、しばらく小川沿いに平坦な道を行く必要があった。このとき、丘を下りきったのにまるで海の匂いがしないので不安になったが、久保田氏がスマートフォンのGPS機能を利用して、正しい道であることを確認してくれた。紙の地図と嗅覚だよりだった自分を、恥ずかしく思う。
海女小屋のような建物が見えたら、その向こうが目的の浜である。駐車場から浜まで25分ほどかかったが、これはクモの巣をはらったり写真を撮ったりしながら進んできたからで、帰りはたしかに20分しかかからなかった。
![](https://assets.st-note.com/img/1731928506-td8ZvcnbKslaOmE1iMJ3PLuI.png)
浜は、期待したとおり、映画そのままの世界。右を見ても左を見ても、60年以上まえに撮られたとおりの風景なので、感慨もひとしお。劇中の長老や海女さんになったつもりで、海をながめる。このとき、私が潮の香を深く吸いこみ、「良い匂いですね」と言ったところ、残念ながら、海なし県民には潮の香を楽しむという感覚が理解できないようだった。
ちょうど砂地に日陰があったので敷物をしき、心地よい潮風をほほに受けながらピクニック形式で昼食をとる。なお、我々が座った砂地をのぞけば、石ばかりの浜だった。こんなところには海水浴客は来ないだろうし、ゴジラ・ファンのためだけの穴場だと思う。
左手の丘のうえに、「第一ホテル」が見える。ここの特定の部屋から浜を見下ろすと、山根博士が海に帰ったゴジラの足跡を見下ろしたときと同じ光景が見られるのだが、久保田氏の調査によれば、宿泊費はかなり高額とのこと。
30分ほど景色を堪能したあとで、来た道をもどる。帰りはかなりの急斜面を登りつづけるので、すっかり息があがってしまった。
丘のうえからは、港と集落がよく見える。ゴジラとは関係ないが、つげ義春の旅マンガに出てきそうな漁村なので、私の目には魅力的に映った。
![](https://assets.st-note.com/img/1731928402-hKjHut1PlaTdvNL6C2XnmQRx.png)
石 鏡 港
バスの路線でもある一本道を、20分ほど下って港に出る。映画では、この小さな港から集落の西にある山に向かって調査隊が移動していくのだが、ゴジラに壊された家や放射能で汚染された井戸、三葉虫が見つかった足跡などは、すべて東宝の野外スタジオで撮影さ れたもので、石鏡とは関係がない。また、ゴジラが初めて現れる有名なシーンも、石鏡の山の尾根に特撮シーンを合成したものなので、厳密にいえば、石鏡の景色ではない。
劇中と同じなのは、調査隊や武装した地元民が駆けあがっていったいくつかの坂道なのだが、家屋の数が増えているためまるで印象がちがう。ただ、タクシーを待つあいだに訪れてみた石鏡神社付近は、なかなか劇中のイメージを残していたように思う。
港には食堂が一軒あるばかりで、観光客向けの施設は皆無。バス停わきの地図にも、ゴジラの「ゴ」の字もない。我々は、しかたなく、バス停近くでおしゃべりしているおばあさま方を、かってにゴジラの撮影に参加した海女さんたちだと思うことにした。
鳥羽へ戻るバスは本数が限られていたので、事前に鳥羽観光協会に問い合わせ、タクシー会社をふたつ教えてもらっておいた。そのうちひとつはタクシーが出払っているとのことで、仕方なく、ネットでの評判がすこぶる悪かったA交通というところを利用することに。
たしかに、電話に出た配車係は対応が悪く、不明瞭な話しぶりに嫌な予感がしたのだが、30分ほどしてやってきたタクシーの運転手は、物知りなうえに話し上手で、とても感じが良かった。「ゴジラのために、わざわざここまで?」と驚かれたことをきっかけに会話がはずみ、映画のロケ地や地元の風習、名産品などを教えてもらい、観光ガイドを雇ったみたいな得した気分に。そのうえ、この移動時には、野生のサルまで見ることができた。なお、石鏡港から鳥羽の賀多神社までは20分ていど(バスなら約45分)で、費用は6,000円弱。
鳥 羽
鳥羽では、賀多(かた)神社で、ゴジラを鎮めるための神楽が撮影された。このシーンは、実際におこなわれている神楽をそのまま使用しているので、「記録映像」とも言える。
賀多神社は、シャッターが目立つさびれた商店街のさらに端、タクシー運転手いわく「昔はにぎやかだった色街」をぬけたところにある。そういう道順をとおって来たからか、話し好きの運転手と別れたばかりだからか、鳥居のまえに立つと、ひどく淋しい印象を受けた。
撮影現場である境内に上がってみると、映画での印象よりもこぢんまりとしていた。久保田氏も、「思ってたより狭いですね」。
ゴジラの人形やポスターが飾られている社務 所の人に声をかけてみると、神職ではなく近所のホテルの方が留守番をしているだけだったが、親切な方で、手元のタブレットを操作して、新型コロナの感染拡大までおこなわれていた神楽の練習風景を見せてくれた。映画とちがってカラーなので、とても新鮮だった。
賀多神社は、とくにゴジラを売りにしているわけではないらしい。留守番の男性は、せっかくの観光資源なんだからもっと利用すべきだ、と残念がっていた。また、この神社には全国的にも珍しいという組み立て式の能舞台があり、こちらも観光の目玉になりそうだが、組み立てにかなり費用と労力がかかるらしく、もう何年もプレハブの倉庫にしまったままとのこと。能楽にも深い関心を持つ久保田氏は、一緒になって残念がっていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1731928454-Qtdkw9joLhTBJ3VcuSxnsW4X.png)
神社に参拝したあとは、すぐそばの「昔の色街」をぬけて「江戸川乱歩館」の古い建物を見物し、九鬼嘉隆ゆかりの鳥羽城址に登って市内を一望した。
「一 栄」
こうして、我々は無事に「大戸島」の調査を終え、あとは夕食をとって帰るだけとなった。当初は観光客向けの「鳥羽マルシェ」で食べる予定だったが、件のタクシー運転手に薦めてもらった駅近くの隠れ家的な海鮮料理屋「一栄(かずえい)」に変更した。17時開店だが、人気店なので事前に予約した方が良いとのこと。
余裕をもって16時半過ぎに鳥羽城を出発したが、駅からの道が久保田氏のハイテク機器をもってしても分かりづらく、17時にやや遅れて到着した。
メニューに値段が書いていないのは不安だったが、運転手氏の「予算は一人5,000円」という言葉を信じ、お造りの盛り合わせや、地元の料理である「さめのたれ」(サメの干物)などを頼む。カキ料理屋を山ほど目にしていたので、ぜひ焼きガキをと思ったが、まだ時期が早いのか、残念ながらカキフライしかなかった。
幸か不幸か、意外なことに1ℓジョッキの生ビールがあった。暑いなか運動して大汗をかいたのと念願の調査旅行が成功裡に終わったという達成感から、心身ともに最高にビールがおいしい状態にあった私は、帰りのことも忘れて、ついジョッキを重ねてしまった。
酒の勢いもあって、久保田氏に乞われるままにアワビのお造りまで注文してしまい、予算も予定していた帰宅時間もあっさりオーバー。19時くらいに席をたって、19時19分鳥羽発の特急に乗るはずだったが、結局、20時19分鳥羽発、22時19分大阪難波着の特急に乗ることに。私が、疲労とアルコールでクタクタになって自宅に帰りついたときには、もう23時をまわっていた。