アンコール遺跡群探訪記(2024)中編
2月20日:シェムリアップ
ときおり差しこむような胃痛がするので、何度も目を覚ましながら2日目の朝を迎える。この日は、なんと言っても丸一日カンボジアで過ごせる唯一の日だ。酷暑のなかを何時間も歩くのだから、体力をつけなければ。気力をふり絞ってホテルのレストランに向かい、洋風の朝食を食べた。
8時すぎ、ホテルまでガイド氏が迎えに。ぜいたくな貸し切りツアーの始まり――たんに、他に参加者が集まらなかったというだけだが。
運転手つきの車でアンコール遺跡群のチケット・センターへ向かい、1日券を37ドルで購入。このガイド氏、日本語はとても流ちょうなのだが、観光名所の説明になると、ガイドブックの解説を丸暗記したような硬い口調になるのが、ちょっとおもしろかった。
昼食と夕食が含まれたツアーだったので、道すがら、胃が痛いことを伝えておいた。すると「何なら食べられそうですか?」「スープなら」。
最初の目的地は、ジャヤーヴァルマン7世が建てさせたアンコール・トム。ここのバイヨン寺院にある将棋のレリーフを見たいと旅行会社に伝えておいたが、ガイド氏にもさらに念を押した。
驚いたのは、かわいいイヌやサルが観光客の足元をブラブラ歩いていることだ。「飼っているんですか?」と聞くと、「野生の生き物です。危ないですよ。かまれると病気になります」とガイド氏。私はハッとした。狂犬病のワクチンは打っていない。
バイヨン寺院については、いろいろな本で読んでいたからか、「クメールの微笑み」と呼ばれる有名な人面像を見ても「あぁ、本で見たな」という感想しかわかなかった。私の心はそれよりも、将棋のレリーフにとらわれていた。ここまで来て、将棋のレリーフを見落としてしまったら……。
自分でもしつこいと思いながら、回廊壁面の、部分的には3段にもなっている大量のレリーフを説明しはじめたガイド氏に、話の合間をみて「将棋のレリーフはどこですか?」と尋ねた。「それは、中国人のレリーフがあるところです。ちゃんと順番に紹介しますよ」と、まるで水たまりで溺れかけている人を見るかのような、軽蔑と憐みがないまぜになった表情。
プロのガイドにお願いしたのだから当然なのかもしれないが、第1回廊にある2つのレリーフは、その後すぐに見物することができた。旅行ガイドや論文には、細部を見せるためにアップで写した写真しか載っていない。私は、壁面のどんな位置に、どんなレリーフといっしょに彫られているのか、分かりやすいように写真を撮りまくった。
石造りの荘厳な建物のなかを、登ったり降りたりしながら回っていき、撮影スポットに着くと写真を撮ってもらう。ヒンドゥー教や仏教に関心のある人にはたまらない石像やレリーフもあったのだろうが、こちらは異教徒なので、とくになんの感想もなく過ぎていく。一方のガイド氏は熱心な仏教徒らしく、仏像のまえを通るたびに手を合わせる。
バイヨン寺院を出たあと、ヘビの精霊の伝説があるピミアナカス寺院に行くこともできたが、すでに暑さのせいでヘトヘトになっていたので、遠くから写真を撮るだけにして、あずま屋のようなところで休憩させてもらう。こっちはそんな調子なのに、「お客さん、こんな涼しい日でラッキーでしたね」と言われてビックリ。なんでも、その前日は37度だったそうだ。
「象のテラス」を見物したあと、涼しい車に乗り込んで、巨大樹にのみこまれていることで有名なタ・プローム寺院に移動。ガジュマルに埋もれた寺院は、まったくインディ・ジョーンズの世界で、探検家になったような気分を堪能できた。
しばらく見物したあとで、「これを見てください」とガイド氏。やけに秘密めかした彼が指さす先には、いろいろな動物のレリーフがあったのだが、そのなかのひとつが明らかにステゴサウルスに見える――このレリーフは、昔、『ムー』かなんかで見たことがあったが、まさかここで実物にお目にかかれるとは。私が驚いたのを確認したあとで、おごそかに「恐竜です」。
私はガイド氏が冗談のつもりでそんな言い方をしたのだと思い、笑いながら「まさか、12世紀に恐竜はいないでしょ?」とツッコミのつもりで返したのだが、ガイド氏は心外だと言わんばかりの口調で「ジャヤーヴァルマン7世は賢い人でした。もし、彼が恐竜の骨を見つけたとしたら、このレリーフを彫らせることができたはずです」と言うので、さらに驚いた。たしかに、白人だけが化石から復元図を作れるわけではない……のだが。
カンボジアの伝統菓子を実演販売する店に寄ってから昼食。他のツアーに参加しているらしい日本人とおなじ小部屋に案内される。ガイド氏の気づかいで、スープとフルーツのほかに、私にだけおかゆを出してくれたのだが、それが洗面器のような大きな器いっぱいに入っている。まだ胃痛がしたので「どうかな」と思ったが、干し魚と食べるそのおかゆがとにかくおいしくて、自分でもビックリしながら食べきった。
その後、ホテルに戻って休憩。私は、昨晩の寝不足をとりもどすために、この時間をすべて昼寝に使った。15時にまた迎えに来てもらったのだが、おかゆと昼寝のおかげですっかり元気になり、勇んで車に乗りこんだ。午後は、待望のアンコール・ワット見物と、伝統的なダンスが観られるレストランでの夕食が予定されている。
アンコール・ワットの近くで車をおりてから、広い堀ぞいに歩いていく。それまでずっと木々が目隠しになっていたが、それが途切れたとたんに、あの何度も写真や映像で見てきた尖塔が、一気に視界にとび込んできた。思わず「見えてきた!」と叫んでしまい、先を進んでいたガイドさんが驚いてふり返る。「なんです?」「いえ、アンコール・ワットが見えたもんですから」「そりゃ、見えますよ、アンコール・ワットに来てるんですから」――気分だけは『地雷を踏んだらサヨウナラ』(1999)のラスト・シーンの浅野忠信だったが、実際にはこんなマヌケな会話をしていた。
ここでも将棋のレリーフに気持ちが向いていたが、すっかりガイド氏を信用していたので、おとなしく着いていく。インドの神話や王の偉業をしるした一大絵巻のようなレリーフに圧倒されたり、古代の言語で記された碑文に考古学者になった気分を味わったり。石のもつ重量感のせいか、寺院の内部はとにかく荘厳な空気に満たされていて、自分の小ささや無力さを思い知らされ、そこから畏怖の念がわいてくる。
日本人なら必ず見たがるであろう森本右近太夫の落書きも、ちゃんと案内してもらった。上から黒くぬりつぶされているが、それでも漢字でなにかが書かれていることはハッキリ分かる。およそ400年もの歳月が過ぎているのに、彼が両親を想う気持ちが今でも伝わってくるようだった。
かつては国王ら特別な人しか入れなかったという最上部まで行ったが、高所恐怖症のせいで階段の登り降りが怖かった記憶しかのこっていない。
将棋のレリーフは、最後に訪れた一角の「水祭」を描いた壁面にあった。サカナやワニがうようよしている堀でボート・レースがおこなわれており、その背後のテラスで将棋をする人物が1人――対局相手は、腰からうえが削りとられているように見える。ダイナミックなレースと優雅な知的遊戯の対比が、じつにすばらしい。
その後、このツアーの本来のメインである夕陽に照らされたアンコール・ワットと記念撮影をし、夕食の時間までガイド氏と堀のそばに座り、極楽浄土のほうへ沈みゆく太陽をながめながらしばし歓談。
18時半にレストラン「アマゾン・アンコール」に到着。ここには大きなステージがあり、ビュッフェ形式でご飯を食べながらカンボジアの伝統的なダンスが楽しめる。私はまだ胃のことが心配だったので、お酒も飲まず、スープとフルーツを中心に食べた。
カンボジアのダンスで一番有名なのは、天女の舞を演じる「アプサラ・ダンス」だろう。アンコール遺跡群で見てきた天女(アプサラ)に似たきらびやかな衣装を着た女性たちが、いろいろな役割を演じる。男性役も女性が演じている点が、ちょっと宝塚歌劇っぽい。さっき見てきたレリーフが動きだしたらこんな感じなんだろうな、とウットリ。
それと同じくらい印象に残ったのが、「漁師の踊り」として紹介されたダンスで、素朴な男女の恋のさや当てがえがかれる。昨日のエビのせいで食事は楽しめなかったが、ダンスには大満足。
感動を胸にホテルに向かう予定だったが、少しだけそれに水を差すことが。レストランからの帰り、ルートの関係で仕方ないのかもしれないのだが、やたらとイカガわしい店がならぶ道をとおった。店先にずらっと着飾った女性が座っている。
どういう了見なのか、ガイド氏はそういう店が近づくたびに、「お客さん、居酒屋がありますよ。寄りませんか?」と声をかけてくる。私はそのたびに、「お腹の具合が良くないから」や「もう疲れたから」と断ったが、あまりに頻繁なので「しつこいのぅ!」と大声を出したくなった。しかし、このツアーをケンカで終えるのは嫌だったので、聞き流すことにして、外を向いて黙りこんだ。
ホテルに着き、「おかげさまでステキな体験ができました」と別れた。それから、「ガイド氏は、少しでも地元にお金を落としてほしくて、あんなことをしたのだろう」と好意的に考えなおしてから眠りについた。