見出し画像

アンコール遺跡群探訪記(2024)前編

はじめに
 2018年に将棋の歴史に関心をもって以来、アンコール遺跡群にある将棋(クメール将棋オク・チャトラン)のレリーフをいつかは見たいと思っていた。背中を押してくれたのは、2024年元日におきた能登半島地震だった。この地震のニュースにショックをうけ、その晩のうちに「今年中にやることリスト」をつくった。そして、そのリストの3番目にあったのが、そのレリーフを観ることだった。正月が明け、大阪に戻ると、私はすぐに大手旅行会社に向かい、ツアーに申し込んだ。

2月19日:大阪・ハノイ・シェムリアップ
 2泊4日という、アンコール遺跡群を巡るには最短の旅程で、初日はほぼ移動だけ。早朝に関空へ向かい、9時すぎの便でハノイへ。そこで乗り継ぎのために3時間ほど待って、18時すぎにシェムリアップ空港に着いた。利用したのは「安いから」という理由でLCCのベトジェットエアだったが、座席は狭いうえにほとんど倒せず、水すらも有料という、値段相応のものだった。

ハノイ空港のバインミー

 さて、いよいよカンボジアに入国という段階になったが、このときがこの旅行でもっとも緊張した瞬間だった。というのも、手続きがうまくいかず、出発前にビザがとれなかったのだ。もし入国検査所で取得できなければ、ベトナムに逆戻りである。入国カードがそのまま申請書になっており、いかにもお役人といった顔つきの職員にパスポートといっしょに提出する。不安だったので、片言の英語で「我、観光ビザヲ欲ス」と伝えると、まるでハエでも追い払うかのような手つきで、シッシッ。隣の窓口で30ドルの手数料を払い、さらに隣の窓口でパスポートを返してもらうと、観光ビザがホッチキスでとめられている。出発まであんなに不安だったのに、なんともあっけない。

 シェムリアップの空港は、私が到着する数カ月前に、中国資本をもとにした新空港に移っていた。かつては町のすぐそばにあったらしいのだが、新空港はタクシーで1時間もかかる。タクシー乗り場を探そうと建物を出たら、すでに真っ暗。しかし、ウロウロするまでもなく、すぐに身なりの良い男性がやって来て、「何ヲ、オ探シデスカ? 空港タクシーナラ、私ニ」。値段の交渉が不安だったが、この紳士は、私が泊まるホテルが「タラ・アンコール」だと聞くや否や、手元の請求書らしきものにサラサラと値段を書いてくれた――それは旅行会社で聞いていた値段より安い、37ドルだった。

 運転手氏の自慢のトヨタで出発。空港からシェムリアップまでの道のりは驚くほど暗く、「闇」ということばがピッタリだった。時々、自家発電のライトに照らされて、ブルーシートをかけただけの粗末な店舗(?)が浮かびあがる。運転手氏によれば、ドライバー相手の雑貨屋らしい。

 氏はサービスのつもりで、私よりもよっぽど上手な英語で1時間しゃべりまくってくれたのだが、正直言って、旅に疲れた頭には少々つらかった。とりわけ、なまじ私がクメール語でアイサツしたものだから、やたらとクメール語を教えようとしてくるのが大変だった。

 ただ、旅の初日唯一といってもよいこの会話には、いくつも思い出に残るセリフがあった。
「コノ道、数ヵ月前ニ完成シタバカリダケド、ガタガタダロ? 中国製ナンダ。市内ノ日本人ガ造ッタ道ハ、30年経ッテモ問題ナイ」
「次ハ、旅行会社ジャナクテ俺ニ頼メヨ。女ノ子ノ居ル所ヲ、格安デ案内スルヨ」
「町ニ居テハ、ダメダ。ソノ国ノコトヲ知リタケリャ、村ヘ行ケ」

 しかし、一番印象に残っているのは、「俺ニハ、書ケナイ文字ガ、アルンダ。学校ニ、行ケナカッタカラネ」……自分よりも流ちょうに英語を話す人物なのに、母語の文字が書けないとは。本当にショックだった。運転手氏が何歳なのか分からなかったが、カンボジア内戦かクメール・ルージュ政権のころに子供時代をすごしたのだろう。

 ようやく着いたホテルのロビーで最初に目にしたのは、白人の老婦人が救急救命士らしき人たちに抱えられて、ホテルから出ていくところだった。ここはリゾートホテルであり、宿泊客は白人の観光客がほとんどのようだった。白人のためにドアをあける現地人の姿を見て、東南アジアの近代史を思い出さずにはいられなかった。

これらの魚介類を焼いて食べる形式

 ホテルの周辺には、ビュッフェ形式の海鮮レストランが一軒だけあった。運転手氏にすすめられたこの店で夕食を食べたのだが、最初に口にしたエビ料理で、この旅最大のミスを犯してしまった。辛い物が苦手な私は、口に入れた瞬間に「あ、これは食べられない」と思ったのだが、あまりに空腹だったのと、食べ放題でとったものを残してはいけないという小市民的な倫理観から、そのまま食べてしまったのだ。案の定、この香辛料たっぷりのエビのせいで、夜中から明け方にかけて、ひどい胃痛に苦しまされることになる。

こんな感じ

いいなと思ったら応援しよう!