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アンコール遺跡群探訪記(2024)後編

2月21日および22日:シェムリアップ・ハノイ・大阪
 
翌朝はしごく快調で、ホテルの朝食をたっぷり2人分は食べたあと、500mくらいの距離を歩いてアンコール国立博物館まで行った。ホテルのまえにたむろしていた三輪タクシーの運転手たちが、片言の日本語で「ともだち!」と声をかけてくる。この博物館では、将棋をふくめクメール王国における風俗について見聞きできたらと思っていたが、ほとんどが宗教的な事物の展示でガッカリした。

おかゆとラーメン(?)で朝食

 一度、ホテルに戻り、Grabで三輪タクシーを呼ぶ。次の目的地は、近郊の村にある戦争博物館である。運賃は2ドルの明朗会計。初めての配車アプリ、初めての三輪タクシー。スマホの画面では、シミュレーション・ゲームのコマのように運転手たちのアイコンが動いている。私の選んだ運転手のアイコンがホテルまえに着くと、マーク・ハントのようなマッチョマンが目の前に立っていた。

 私はかなり体が大きいから、海外旅行をしていても、わざわざ私を狙う悪人はいないだろうと思っている。しかし、この時は……「このK-1戦士が人気のないところで金を要求してきたら、ノータイムで財布を渡そう」 せまい客席に身体を押しこみ、山のようにもりあがったハント氏の僧帽筋をうしろからながめながら、心からそう思った。

三輪タクシーから見る街並み

 15分ほど未舗装の道をガタガタ進み、ぶじに目的地に着いた。私の心配はまったくの杞憂で、それどころか、ハント氏は「何分クライ見物スルノ? ホテルニ戻ルンデショ? オレ、ココデ待ツヨ」と笑顔で提案してくれた。

 軍事マニアの私は、国内外のこうした博物館をいくつも見てきたが、その多くは「科学技術としての兵器」を展示していた。しかし、ここは、まったく違う。破壊され遺棄された兵器がそのまま置いてあり――どうも元は売れ残ったスクラップらしい――そのそばに戦歴が書かれた札がたっている。軍事博物館というより、兵器の墓場だ。私は、墓標を読むような気持でその札を読みながら、グルッと敷地内を一周した。

ソ連製の装甲車(の残骸)

 見物が終わり、今回の旅で唯一の値段交渉が、帰りの運賃をめぐっておこなわれた。最初、ハント氏はカンボジアの通貨を想定して、とても大きな数字を口にした。私はそれがいくらか理解できなかったので、行きとおなじ2ドルを提案したのだが、親切な彼はわざわざスマホに数字を打ちこんでおり、私の提案とほぼ同時にそれを見せてくれた。その数字をドルに換算すると、約1ドル50セントだった。なんだ、バカバカしい。1ドル50で良いって言ってくれたのに、わざわざ50セント引き上げたんか……。

 ホテルをチェック・アウトし、ついでにレストランで昼食を食べた。スイカ・ジュースとアモック・トレイ。それからまた三輪タクシーを呼び、シェムリアップの中心部へ移動。大きなスーパー・マーケットでお土産を買うつもりだったが、目当ての店が閉まっていたので、一ノ瀬泰造ゆかりの「バンテアイ・スレイ」で2度目の昼食を。

 友人から聞いていた話とは大違いで、なんだかチェーン店の中華料理屋のようになっており、がっかりした。もっとも、揚げたナマズ(?)をお漬物とあわせて食べる、という独特の経験ができたのは良かった。

お漬物で魚を食べる

 今度は空港までの長距離なので、ふつうの乗用車を呼ぶことにする。乗用車の持ち主となると三輪タクシーの運転手とは所属する社会層がちがうのか、やってきたのは『地雷を踏んだら……』のロックルーを思わせる知的な紳士。「車内ガ暑クテ、スミマセンネ。今マデ、駐車シテイタカラ」と、開口一番、流ちょうな英語で気づかいをみせてくれる。

 道中、道ばたで水を売っている女性たちがいて、ロックルー氏はすぐに大きなボトルを買った。「コレハ、〇〇病院ヘノ寄付集メナノデス。私ハ、イツモ、ココデ買ッテイマス。ウチノ子ハ3人トモ、ソノ病院デ生マレマシタ」 それから、誇らしげな笑みとともに「皆、男ノ子デス」と、付け加えた。「アナタ、子供ハ?」「我、子ヲ持タズ。独身ナリ」……やや間があってから「ソレナラ、アナタハ『自由』デスネ」と愛想笑い。

 2日まえは真っ暗でよく分からなかった空港への道ぞいには、ただただ平野が広がっていた。「中国資本デ、コノ辺リヲ開発スル予定ナノデス。今ハ、タダ空港ガ遠クナッタダケデスケド」と、不満げなロックルー氏。そりゃ、そうだ。彼はこのあと、おなじだけ時間をかけて町まで戻らないといけないのだ。同氏は別れ際、微笑みながら「Grabデ、私ヲ高評価シテクダサイ。ヨリ多クノ乗客ヲ、得ラレマスカラ」と、生徒に宿題を出す教師のような口調で言った。

新しいシェムリアップ空港

 混雑する可能性があると聞いていたので、念のため出発の3時間もまえに到着していたのだが、空港はガランとしており混雑のしようがない。それで、地ビールを片手に、この旅をふりかえる余裕ができた。

 ビザやら値段交渉やら治安やら、いろいろ心配し、カンボジア行きを先延ばしにしてきたが、ふりかえってみると何のことはない、かってに悪いことばかり想像して、自分で自分の世界をせばめていたのだ。機会を与えられていたのに、勇気がなかったのだ……。そんなことを考えながら、私は、ベトナムを越え、夜を越えて大阪にかえる旅路についた。

ドルで支払い現地通貨でおつりをもらうので現地通貨リエルがたまる
(額面は大きいが「おつり」ていどの額)

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