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直観をもって不安を制す      

直観は不安を内在している

ヒトは現在のほかに過去と未来というものを知ってしまった。故に不安を生み落としてしまった。不安の対処法として、先のことを予測したり異なるもの同士を関連づける働きを獲得した。

私は16種類性格診断のINTJタイプを自認し、その主機能である内的直観機能を軸足に日々内的世界に関する想像を巡らしています。先日、上記のような考察をnoteに挙げました。その続きです。               

いわゆる直観機能には「内向的直観機能」と「外向的直観機能」の2つがあります。あくまで一面的な捉え方ですが、内向的直観は静的、外向的直観は動的なイメージがします。と同時に「内向にせよ外向にせよ直観機能には必ず不安が内在している。」直感ですけどそんな気がしてます。完全なる当てずっぽうですが、こんな切り口も面白いかも!という感じで(続)直観と不安を考察したいと思います。

不安を内に向けるということ                         

直観の根底には不安があると仮定します。その不安が内向であるということを「不安を自分の内に向ける」という風に考えてみます。では「不安を自分の内に向ける」とは一体どうゆうことでしょう。思いつく状況をいくつか挙げてみます。           

不安の原因を自分にもとめる                                 不安な気持ちを認識しやすい
不安な気持ちが継続しやすい                                            外界で起きた現象を自分の不安に原因づける             

いずれも不安と自分が繋がっています。「不安を自分の意識下に留める」と言っても良いでしょう。常に不安が意識に上っており、自分自身と不安が対峙しています。不安を意識しているということは、容易にストレスや葛藤を抱える状況であり、不安の解消のためには直接的解決を図りたい欲求に駆られやすい。もしくは、私の体験によるところですが、直接的解決を図ることに対する緊張、恐怖、回避がそれ以上に自分の心を大きく占め、ストレスや葛藤が増幅される状況にも陥りやすいかもしれません。

内向的直観は不安との対峙である            

不安の解消が起点となり、様々な情報を組み合わせたり、イメージを働かせ、問題解決に至る糸口を探したり、問題の全体像や目的、本質の理解へと情報を整理、集約させてゆく。そして、未来に対して幾通りのシュミレーションをして当たりをつけてゆく。不安や先の見えない未来に対して直観を通じ対峙すること。これは内的直観らしい働きであり、ストレスフルではありますがあえて対峙し続けることでこれまでと異なる視座を獲得し、ひいては不安を制することができると考えられます。

不安を外に向けるということ                                           

では、同様に不安が外向である場合を「不安を外に向ける」というように表現してみます。不安が外に向けられた状態=内向きが反転した状態として上記を倣って例を挙げます。    

不安の原因を外に求める                             
不安な気持ちを認識しづらい
不安な気持ちが継続しない 
外界で起きた事象と自身の不安な気持ちを結び付けない           

不安と自分とが繋がっておらず、別のこととして捉えられています。でも不安が根底にはあるので、「不安を自分の無意識に追いやっている」ということになります。

ところで心理学の世界では、内的葛藤から自分自身を守る心の働きとして「防衛機制」というものがあります。防衛機制の種類はおおよそ10種類近く分類されており、心理学や精神医学の分野においてはポピュラーなものであります。

あくまで私の勝手な解釈ですが、この防衛機制の考え方を「不安を外に向ける」にあてはめると、「抑圧」と「反動形成」の2つの防衛機制で捉えることが出来るのではないかと考えました。          

外向的直観は不安に対する反動形成であった        

不安を外に向ける、ということは、不安を無意識領域に追いやり、正面から不安と対峙することを避ける、いわば「抑圧」の状態にあると考えられます。(「抑圧」とは受け入れ難い感情や欲求を意識から無意識の世界に追いやること)しかし、奥底にある不安を「抑圧」しながらも、その解決を図るため「反動形成」という別の防衛機制を同時に使っているのではないかと考えました。(かなりアクロバティックな方法ではありますが)

ちなみにこの「反動形成」という心理学用語、「葛藤から逃れるために自ら反対のことを振る舞うこと」とあり、それが過ぎると自身で反対のことをしているという認識もなくなる「逆転」という防衛機制に至るそうです。わかりやすい例として、「好きな子に対して意地悪をしてしまう」などがありますね。「可愛さ余って憎さ百倍」なんてことわざもその一例でしょうか。   

不安は常に抑圧されている状態にありますが、無意識には不安や葛藤があるので、そこからの解決を図りたい衝動は避けられず、反動形成(認識が無いという点では防衛機制の「逆転」がより近いかもしれない)という形で、問題とは一見、関係のない積極的、前向きな直観、イメージを想起することで不安を制している。それが表面、意識のレベルにおいては、ユニークな発想や創造的活動といった形で表出される、というような考え方も出来なくはないかもしれません。

また、直観が外向ということは、内向き=集約の逆であるため、拡大方向にあると言えます。外向的直観を主機能とする人はブレインストーミングが得意だと言われるように、どんどん外に広げてゆくことであえて直視すべき不安や問題から無意識に視点を逸らしているとか、外的直観主機能者さんのストレス反応の1つとして挙げられる「興味、関心が移りやすい、飽きっぽい」というのも、ひところに居着かないことで実はカモフラージュしているなんてこともないでしょうか。    

直観の可能性

内向的直観、外向的直観と2つのアプローチの方向は全くの正反対ではありますが、現在の置かれている状況を明らかにしたい、未来をイメージ、コントロールしたいという欲求から端を発している点では同じだと思います。というわけで、どうにもまとまりを欠いておりますが、私のこじつけを今回もつらつらと書き綴ってしまいました。

それにしても「直観」という心理機能は、抽象的である分、様々な切り口によって多くの気づきが得られたり考えに広がりを与えてくれる興味深い機能であると思います。                                  

毎度の駄文、長文にお付き合いをいただき有難うございました。                                                              


      

       

  

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