
INTJの核 ③固有性
世間にはMBTIに対する様々な価値観、捉え方があるようだ。以下はあくまでユングの提唱した心理機能やそれに基づくMBTIの性格類型を肯定しそれらを前提にしたお話である。
MBTIの16タイプには各タイプの決め手となる「核」といえる構成要素が存在するはずだ。その要素はタイプに記された4つの心理機能の配列から導き出され、そのタイプに象徴される特性を鮮やかにあぶりだすことであろう。
以下はINTJ自認の私が独断で考える「INTJの5つの構成要素」である。
①抽象性
②自律性
③固有性
④目標遂行性
⑤静謐と熱誠の葛藤と統合
■抽象性のつぎに固有性を考察する理由
今回は、みっつめの固有性について考えたい。記事をあげる順序として②自律性より先に記すことにした。その理由を3点挙げたい。
〇理由その1、INTJは抽象的であると同時に「自分」を強く心の拠りどころとしている。その人格形成において、強固な固有性が先立ちそれに呼応して次の自律性が備わるため。
〇理由その2、MBTIの理論では主機能の次に第二、第三、第四機能の順に発達するとされている。しかし、私の体感では、主機能と同じ内向きの第三機能である内向感情Fiは、内向同士ゆえ親和性が高く、内向直観Niと協働的に働き、内に外にあらゆる局面において作用する。一方で、第二機能の発達の差異はかなり個人差があると思われ、第二機能の外向思考Teが主機能Niと並行して発達していると16personのINTJ-Aに傾き、内向機能群Ni・Fiが亢進しているとINTJ-Tに傾きやすいと想像する。完全なる当てずっぽうだが。
〇理由その3、同じNiを主機能にもつMBTIタイプにINFJがある。ふたつのタイプ識別において感情機能FiとFeの違いから捉えると理解しやすい。何故なら、そもそも思考とは理性のうえに成り立つものなので思考内外の顕著な違いが外面的になかなか表れにくい。また、思考とは総じてTi、Teの双方の結果から導き出されるものでもある。よって、両者のタイプ識別には思考機能より感情機能のほうが適していると考える。
というわけで今回はINTJの第三機能である内向感情Fiにフォーカスしたい。 また、INTJの主要素となる心理機能が他機能と比較して幼少期からある程度働いていると仮定して書いている。全文を通して私の主観と経験則に基づく内容であるため精度はちょっと疑わしい。個人の書き物としてお目通しをいただけると幸いである。
はじめに内向感情、Fiについておさらいをする。
ユングは、内向について関心やエネルギーが内側(主体)に向いていることと示している。間違えやすいところであるが決して社交的か対人交流を好むかといった分類では無い。そして、主体は私、客体は外界(外のヒト、モノ、コト)である。よって、Fiとは自身の感情や関心が内心に向いており、自身の心の変化や有り様を意識、重視していると言える。内在する価値観や感性、判断基準に焦点を当て、それらに対し率直であることを求める姿勢だと言える。
もしかすると、ある日、INTJはFiに率直であることを他ならぬ自分と契約を交わしたのかもしれない。
■固有性とは自我である
前置きが長くなった。本題のINTJの固有性について探ってゆく。
ここでは固有性を自我と表したい。定義や意味にズレはあろうがそのほうが自論を進めやすいため確証バイアスありきで話を進めてゆく。
まず、INTJは直観型なので物事を直観的に知覚する。直観的な知覚とは抽象化メカニズム(具体⇆抽象)を用いた認識のことである、多分。また、直観は内側へと働くため、外向直観、Neのように可能性やパターンを拡大させるより、可能性やパターンを集約させた答えに絞り込み、ひとつの方向性に向かって物事や概念を収束させてゆく習性がある。
INTJは、この抽象化メカニズムを幼少期の早い段階から用い始め、NiとFiとの組み合わせにより自分と外界との関係性を捉えることを試みる。加えて、第二機能に外向思考、Teを有することも相まって、主体と客体のそれぞれをフラットに見たうえでそれら全体(構造)を把握するようになる。
■幼少期のINTJと自我との関係
また、抽象的に捉えることのひとつに「メタ認知」の視点が挙げられる。メタ認知を端的に説明すれば「認知している自分を認知している」ということである。メタ認知を用いて自分と外界との関係性を眺めれば「自分という存在を知り、自分は社会のなかの一員であることを知る」つまり「社会的な自我」を発見することに至る。
このような機序からINTJは他の同年齢の子供たちと比較して早期に「自我」概念を獲得する。外の事物と自分を対比すべく抽象化作業を推し進め、それらとの差別化を自ずと図ることになる。私の場合、4歳のときに近所の子供集団の構造と序列を会得し、自分がその集団には組み込まれていないことを知った。自尊心が傷ついた当時の私は無言でその場を去り、以降そこに近付くことを決してしなかった。
■早期に自我を獲得することで発生する2つのリスク
昨今、乳幼児に対する早期教育に励む親が一定割合いるようだが、抽象化思考により幼少期の段階で社会的な自我を獲得することのリスクが少なくとも2点あると思っている。
ひとつは、幼い子供が自分と他者が異なるという事実を知ることは子供の生存本能を脅かすことになる。何故なら子供は衣食住を提供する養育者とその環境を得なければ生き延びられないからである。そのため、子供は養育者、養育環境との同一視、一体化を常に図ろうとする。それが果たせなければ死を意味することを無意識に察知しているからである。幼い子供の深層の主観から照らせば、社会のなかの自分は非力であり、無能であり脆弱である。抽象性の高い子供であればそのような思考を無意識に展開してしまうことであろう。
ふたつめに、生物の死や植物が朽ちる姿を目撃したとき。その子供は高い抽象思考により図らずも自身の生命の終焉をも知ることになる。それは幼子にとって到底、受容できない最大の恐怖である。そのため、柔い自我を守るため心理的防衛機制が強く働き、恐怖に満ちた概念を意識下の深いところで眠らせる。しかし、いくら無意識に抑圧したとしても「終末観」という恐怖からは決して逃れることは出来ず、その後の成長過程や人生の歩みに良しにつけ悪しきにつけ何等かの影響を及ぼすことになる。
■INTJの「自我コントロール」による生存戦略
そもそも直観という抽象化メカニズム自体が物事の対極的な見方を想起させたり、相反する価値を同時に認識して関連づけてゆく作業のため、抽象化の過程でどうしたって当事者に心的負荷を引き起こしかねない。加えてNiのもつ内向性が矛盾や混乱を容赦なく内面に突きつける形をとる。しかし、このような思考過程を踏む子供は幼少において少数であり、INTJの子供は常に周囲との違和感、疎外感を意識、無意識的に感じずにはいられない。加えて私は、左利き+超絶不器用のため自他の世界の違いが如実でそれはもう諦めに近かった。
だが、ここからが不思議なのだが、どうゆうワケかINTJは抽象化が引き起こす様々な現実をシビアに受け止め、絶望を無意識へと抑圧させながらも、自我の崩壊を食い止めるため内心の発露と抑制という操作手法を用いて何とか自力で生存を図ろうと努力し始める。周囲との違和感をすでにそこに在る構造と受け入れ、Fiによる自我との対話を試みながら「人は人、自分は自分」という価値観を育んでゆく。結果、INTJは人とは異なるコトに最大の価値を見出すようになる。天邪鬼(アマノジャク)、逆張り、ニッチ、これらはINTJにとって非常に親和性の高い概念である。
「内心の発露と抑制という操作手法」、つまり自我のコントロールを示す日常の例えは次のようなものである。外界に「出せるもの」と「出せないもの」とに分割する作業とでも言えばよいだろうか。以下にその分割作業の具体的一群を示す。
〇自分の中から外界へ言葉や行動を用いて出せるもの(内心の発露) 幅広さと専門性を兼ね備えた知識、独創的なアイデア、借り物ではない固有の主義・思想、自分らしさを追求した各種スタイル 〇自分の中にあるけど外界に出さないもの、出せないもの(内心の抑制)
弱点、失敗体験、失敗が予期されること、漠然とした不安、恐怖、他者との情緒的交流(幼少期に感受した無能感、虚無感、終末観、見捨てられ感を刺激するモノ、それら全般)
INTJが自身が有能であることを望む姿勢の背景には、実のところ「無能な自分のままでは他者、社会に受け入れてもらえない」という抑圧の反映がある。一部のサイトに「INTJは無能な人を見るとイライラする」と扇情的な文言で評されたりすることも、密かに幼少期に味わった無力感に対する無意識の投影が含まれているのではないかしらと私は推測している。
■固有性の獲得における外向思考Teの効果
INTJが固有性を獲得する過程において、主にNiとFiの関連、Fiの心理機能による働きを中心に記したが、第二機能の外向思考Teも効果を表している面が多分にある。例えば、自我の発達において自分と他者との違い、認識を掴むことは必須である。Teは、外部の概念に着目したり、客観的に物事を比較、評価、把握する機能であることから、固有性を獲得する際のメタ認知的展開にはかなり多用しているに違いない。
その他、INTJがその自我を自らコントロールする場面においてもTeは主機能のNi、第三機能Fiと連動して働いている。例えば、自我におけるマイナスの部分を抑制し、抽象性の高さ、他者との差異を自分の固有性として伸ばすことを決断するとき、ネガティブからポジティブへの逆転における覚悟というか一種の割り切りや自我の操作能力が強く求められるところであり、外向思考、Teがかなり影響しているところかと思われる。心理機能の発達は、ひとつひとつが順々に行儀良く発達するのではなく、必要に応じ複数の機能が相互的に働き、個別性を兼ね備えながら発達してゆくものなのかもしれない。
■無意識に抑圧されたものたちとの対峙
これまで述べた事柄を踏まえると、INTJがその固有性を自分の核として守りつつ、個人の幸福の追求および社会への貢献のために力を発揮してゆくためには、どうしたってこの無意識の奥底に眠らせている無能感、虚無感、終末観といった概念たちと対峙をしなければならない。これらと対峙する姿勢を構えることは相当に面倒なことではあるけれど、Teを持つINTJのこと、リアリストの一面を持つ限りこの現実を起点として固有の自我をきっと立ち上げるはずである。何故ならこれがすべての始まりなのだから。
というわけで、前回にも増して自分語り全開の真夏に不適な暑苦しい文章を書いてしまった。だが、INTJにとり、その固有性が自身の核として確かに存在し、駆動力をもって機能している事実をここに示したかった次第である。
以上、長文、駄文のところお目通しをいただき有難うございました。