INTJとコム
以前に「INTJとキル」という記事をあげました。「キル」という複合動詞は完了を意味するところからINTJの特性と親和性が高いのではないか、といった内容です。最近、「キル」のみならず「コム」もなかなかそれに近しいものがあるのではないかと思ったので今日はそんな小噺を記します。
私は日頃から「コム」ことが好きです。いやまあ、それほど好きこのんで「コム」しているわけではありません。気が付いたら「コミまくっている」そんな調子です。
ところで「コム」って何ですか、と問われそうなので先に答えます。日本語には複合動詞というものがあります。複合動詞とは、二語以上の動詞が組み合わさってできる動詞です。そのままですね。以下に例を示します。
(例)
「思い出す」→「思う」+「出す」 「疲れ果てる」→「疲れる」+「果てる」
複合動詞のコムにはこのようなものがあります。
駆け込む、意気込む、決め込む、黙り込む、歌い込む、考え込む、読み込む、話し込む等々…。
辞書で調べると、コムの意味、用法として、ひとつには、「駆け込む」「しまい込む」のように「~の中に入る/入れる」といった方向性を添加するもの、もうひとつには、「考え込む」「買い込む」のように「~の中にすっかり~する/十分に~する/しっかり奥深く~する」という状態や動作の程度を深めていく、じっと同じ状態を続ける、徹底的に行う、力が入るもの、と書いてあります。
これらの説明からINTJの性格特性との親和性の高さが何となく伺えるような気がするのは私だけでしょうか。冒頭に私は「コム」が好きと書きましたが、私は子供の頃から思い込むとか意気込むとか考え込むとか決め込むとか信じ込むとかそんなことばっかりをしています。しかもそれらは客観的には現実性や有用性の低い、少々呪いじみたものであったとも言わざるを得ないようなものたちです。
私は高等教育で日本語や日本文学を専門に学んでいるわけでは無いので想像の寄せ集めに過ぎませんが、複合動詞の「こむ」、特にふたつめの用法「すっかり~する/しっかり奥深く~する」は、その意味合いに時間の概念が含まれていると感じます。英文法でいえば、「have+過去分詞」で示す現在完了形「~したところだ」「~からずっと○〇している」に近いイメージです。
冒頭で紹介した記事「INTJとキル」でも複合動詞「きる」が「~をやりきる」という完了を示すことからINTJの主機能Niと補助機能Teという2つの組み合わせによる働き方が「キル」とフィットするのではないかと説明をしました。
では、同様に「コム」はINTJのどのようなところとフィットするというのでしょうか。
まず「コム」に現在完了を示す意味合いがあること。INTJは自身の内面で捉えた直観、Niを客体化し目に見える構造(体制、体系)として外形化、構造化させたいという強い実現欲求があります。これは補助機能のTeによるところが大きいです。この欲求を具現化するためには「コム」をこみ続けることでNiのビジョンを完了、完遂させなければなりません。そのため「すっかり~する」「十分に~する」という、他者からはやり過ぎとも言われかねない完了性と完璧性を自分に課すことになるのです。
また、日本語の「こむ」という語句から現在完了のみならず未来完了(英語の訳し方でいえば、きっと~しているだろう)にも発展するイメージを私は受け取ります。例えば、「決め込む」「信じ込む」という言葉には、何かを決定する、信じるべき対象や概念が先行して有ります。
INTJの脳内に概念が構築される順序として、まず先行して立ち現れるビジョンがあり、そのビジョンを肯定することで得られるはずの未来の現実つまり完了した未来がすでにもう在る。すでに完了した未来から逆算をして現実にビジョンを落とし込んでゆくのです。
以上より、私には「コム」に込められた意味合いや振る舞いが、INTJの未来志向や目的思考を好む態度、目標の達成に向けて取り組む姿勢たちとフィットしているような気がしてなりません。また、これは「キル」にも言えることですが、文字の根底に時間概念を含んでいることがINTJの主機能であるNiの働きと同期しているとも言えます。
例えば、Niの働きのひとつに物事の見通しを立てることが挙げられます。過去と未来とを往来し現時点の見通しへと着地する。常に自分の傍らに時間という視点が伴走しているようです。「キル」と「コム」のふたつの言葉は、時間概念のなかでも特に未来を多く含んでいるように感じて私は親和性をなおさら感じてしまいます。
言葉は、形にならない現象や概念を私たちが認識するため、それらを互いに共有するために編み出されました。言葉は意味や概念を表す「象徴」としてもその役割を担っています。そのような意味で複合動詞の「キル」と「コム」は言葉の世界におけるINTJのシンボルと言えるのではないかと思いました。
小噺のつもりが日本語の在り方まで及びなんだかとっ散らかってしまいました。観念的でわかりづらいですがとりあえずこんな感じで着地をします。取り留めの無い妄想にお付き合いをいただき誠にありがとうございました。
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