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退屈の土に涙を|短編小説
俺は少年ティディエム、15歳、田舎(消滅可能性都市)在住。毎日クッソおもんない。ここは魅力の無さを「自然豊か」でごまかしてるおもんない町さ!緑が豊かだから何って話だよ。田んぼ見て目の保養としてるのは高齢者しかいないし、夏はトンボやバッタがうっとおしいほどいるし、死んだ目をしてるひとが多いし、高齢者が過半数。ああ、きりがない。とにかくここは「退屈」なんだ!この町に生まれ、この町で育ち、この町で生きていくやつがある意味羨ましいよ。どうしてこんな退屈な場所で暮らして生きていけるんだ?こんな変化が無くて緑ばっっっかな場所なんてどこが好きになれるんだよ。はあ…。
親にスマホを買ってもらってこの国の首都の画像を調べたことがある。それはもう興奮ものだった。ここじゃ見たことないくらい高層のビルがかなり立ち並んでいて人も多くて賑やか、若い人が多い。科学館や芸術館、映画館がこっちにも分けてもらいたいほどクッソある。首都では大卒でIT?やコンサル?といったなんか高給の人たちが多いということを知った。その人たちの年収は俺の父親の8倍もあるという…。
いいなあ都会。ここと違って金持ちが多いんだろうなあ。毎日豪遊、豪食。退屈なんて感じないに決まってる。もし輪廻という概念が実存するなら首都で生まれたい。こんな「退屈」から解放されたい!
あー学校だるい。こんな窮屈で今にも陥没しそうな古い床で机と椅子に50分も縛り付けやがってよ。何が古文だよ、現代で使われない言語をなんで今学ぶ必要があるんだよ。古文以上に嫌いな科目がある。「歴史」というやつだ。教師のヒスター先生は自分のプライドのよりどころが歴史に詳しいことしかないのかやたら歴史の勉強を押し付けてくる。歴史とか大学の入試のテストぐらいにしか使わねーだろ。だのになにムキになって歴史を学ぶ重要性を説いているんだか。自分がこの道48年の老体だからって懐古してんのか?
ああ、そういや定期テストで赤点をとったんだった…それでヒスターがおれに面談に来るよう言ってた。ああ、言いたいことなんてわかってる。何回も赤点とったからな。でも今回はあいつのことを論破するつもりで面談に乗ってやるさ!「退屈」だからな。 面談室の扉を開けるとヒスター先生がいた。カーテンで覆われてない窓から差している光によって空中を漂う埃が見える。本棚があり、そこには大学ごとの入試の過去問が並んでおり、この町の変遷を記した古くて厚い本がある。ヒスター先生は俺を叱る(いつもそんな怒る人ではない)ような様子はない、むしろ俺を諫めたい様子だった。
「今回で3回目だぞティディエム。そんなに歴史の勉強が嫌いなのか?」
「そりゃあ「退屈」なものなんて学習したくないですよ。」
「歴史の勉強が「退屈」なのはお前が歴史を大学入試のためにしか勉強しないからだろう。歴史というのはお前が思っている以上に大切な学問だ。私たちは歴史を後世に伝える役割を果たさなければならない場面にいつか必ず直面する。」
「じゃあその場面はいつです?俺は後世に何か残したいとか思ってませんし、今の時代スマホでなんでも調べられる。そうである以上学校で歴史なんか学ぶ必要性はないんですよ。将来に役立つ学問を学びたいんですよ。この資本主義国家で生きる以上は将来に役立つものを優先して学ぶべきです。」
「はあ…」
「どうです、俺はあなたと違ってビジネスで役に立つ「論理的思考力」を持ってるんです。」
「論理的思考力というよりは「合理的思考力」だろ…。ティディエムは、話題が変わるが、「障害者」をみたことはあるか?」
俺は「障害者」というものに会ったことがない。最後に存在が確認されたのは今から50年以上も前なんだっけ。俺やこの町に住む人とは違ってうまく言葉が話せなくて運動もできない人々のことの総称というのだけは勉強している。だがそれがなんだというんだ?
「無いです。何故その話題を今ここで話そうとしたのですか?」
「「障害者」は今から54年前、警察によって虐殺され、根絶された」
「え…」
「当時、少子高齢化により社会保障の維持が限界に達した。そこで国会で「劣生排除法」が可決。11ヵ月後施行された。この法により「障害者」の殺害は合法となり、政治家は警察に「障害者」を殺させた。「大虐殺」と言われている。」
「そんな、警察が!?治安維持と平和のために活動する国家権力が過去にそんなことを!?」
「その後、効率的、合理的な社会が一番幸せだという世論が高まった。「大虐殺」から2年後、海外のとある総合大学の経済学の教授がノーベル経済学部門の授賞式に「高齢者が死ねば経済成長が進む」「老害は早く排除しよう」という旨のスピーチをした。これは全世界で物議を醸した。この国では高齢者排除思想の擁護派が多数だった。これを契機というべきなのか、それ以降高齢者の殺害事件が相次ぐようになった。介護施設に入居していた36人の高齢者を殺害した大事件もある。あの時は最悪の時代だったよ…。また、地方を中心に自然破壊をして工業地帯が建設されていった。それと同時に「公害」によって10万人も死んだ。これによりこの国は国連からディストピアだと批判され、貿易の相手が4カ国しか無くなり、海外の移民がこの国の総人口の0.07%しかいなくなった。これを反省して劣生排除法は廃止、生産性の無い工業地帯は解体されて環境保護が進んだグリーンタウンが形成された。児童の教育について方針を決めている教育庁はこの一連を風化させてはならないとして教育科目に歴史を追加し、生命倫理を学ばせるとして「道徳」も追加した。また社会的弱者の保護のために「差別撤廃法」を可決した。様々な歴史を通して今に至る」
自分があまりにも無知で恥ずかしかったのでティディエムは黙っているしかなかった。
「人々が歴史を忘れ、合理的、効率的な思想に染まっていったらどうなるか分かったか?命を尊ばずみんな「死」を正しく評価できなくなるんだ。本当に当時は激動の時代だった…。お前の「退屈」というのは「平和」の証拠なんだ。様々な歴史的な反省を経て福祉国家を形成し、みんな誰にも攻撃されない「退屈」な世の中になったんだ。何万とたった墓標の上で生きている私たちがどうして前の価値観に染まる必要がある?」
俺はこの国の生い立ちについて関心が無かったことを反省している。どんな過激な思想書でも読めるのも自然がある(というよりはあえて残している)のも過去の人々が社会の過剰な効率化を批判してきたからなのだろう。社会の過剰な効率化により幸せになるのは上流階級の人間であり、それ以外の多くの人間は置き去りにされることになる。その究極形が管理社会で無機質な社会である。人間の強みは「多様性」であり、一見社会にとって無利益で非合理的な存在でも将来有用とされる存在になる可能性がある。
「幸福」の正体を知った俺は歴史を学ぶことにした。本屋で歴史の本では無いが、気になるタイトルがあったので買って読んでみることにした。その名は「華氏451度」
End