「人」問題にアイデアと工夫凝らす|長期的な視点で考える医療経営
「2021年12月の記事を復刻掲載」
こちらの記事は、2021年12月に公開されたものです。
地方診療所へ取材に行った現場の様子を改めてお届けします。
三重県の南部、紀宝町で在宅診療をメインにする診療所を運営している濱口政也院長(当時39)。
今回は、この地域での在宅医療の難しさや、経営の工夫、地域医療の魅力について聞いた。
“非効率”な在宅医療環境でも求められる限りは・・・
大阪での研修医時代、在宅医療の経験がある濱口院長。
「患者さんとの時間が今と比べて少なかったことや、難病や看取りの人があまりいなかったというのもあるが、回れる件数は多かった。
いまは明らかに件数が少ない」と濱口院長は振り返る。
そこには、この地域ならではの事情もある。
くまのなる診療所がある地域は集落が点在していて、移動距離があり診察に向かうまでの移動時間がかなりとられる。
しかも山道が多く直線距離と移動距離が異なり往復1時間以上かかる場所も少なくない。そんな地域で、24時間体制で在宅医療を行っているのは、くまのなる在宅診療所のみだ。
「形」で決められることばかりではない医療経営
濱口院長は当初、何かあったときにすぐに駆け付けられないことや、スタッフの負担などを考え、移動距離を制限することを考えた。
しかしある女性との出会いによって、求められる限りは、決められている範囲内で受け入れることを決めた。
その女性は、末期の脳腫瘍の30代の女性で、大きな病院での治療を終えて、地元の病院に戻るか、緩和ケアのある少し遠方の病院に転院するか、もしくは在宅医療に切り替えるか、選択に迫られていた。
コロナ禍のため、病院は面会制限が厳しく、小さな子どもがいる女性は家族との時間を大切にしたいと在宅医療を選んだ。
診療所からこの女性の自宅までの移動距離はあるが、自分たちにしかできないことだと、濱口院長はその女性を受け入れることを即断した。
移動距離を制限することを決めた直後に、一人の患者さんとの出会いで、自身が決めたことを覆した。
現在は受け入れる患者さんの数を制限していないが、今後、制限しなければならない状況になる可能性もある。
濱口院長は「形やルールで決められることばかりではないのが診療所経営の難しいと感じる側面でもある」と話す。
目先の利益よりも想いを叶える選択肢をつくる
この診療所では、施設に入所する人たちを全員診る“施設全体”を担当することは行っていない。
開業当初、複数の施設から、施設全員の診察を依頼できないかと問い合わせがあった。開業当初であれば喉から手がでるような、ありがたい依頼であったが全て断った。
この施設に入所したから、当診療所が担当します。ではなく、その人が必要とするから、在宅医療を提供したい。
この地域で唯一の在宅医療支援診療所として、限られた資源を最大限活用してもらうため、在宅医療を本当に必要とする人に届けたいという想いからだ。
現在、関わりのある施設は8施設。
それぞれ、在宅医療を必要とされる患者さん、1人ないし2人を担当している。自分たちが提供したいと思える診療を維持していくことが、長期的な目線で、スタッフにとっても経営にとっても、そして自身のモチベーションにとっても重要だと考えている。
自宅で過ごしたい。施設で過ごしたい。「ここ」で過ごしたいという希望があったときその選択を支える手段として、在宅医療はある。
病院、施設、自宅、その過ごし方に優劣はない。
過ごす場所の選択肢を増やす、選択肢を作ること、地域唯一の担い手として自負していることでもある。
難題と言われる「人」問題にアイデアと工夫をこらす
くまのなる在宅診療所の在宅医療は“非効率”とみられるが、経営状況は決して悪くはない。ランニングコストとして借りたお金も開業から1年で返済する目途が立っている。
地方では、人材確保も難しいといわれる中、どんな工夫をしているのだろうか。
濱口院長が行ってきたことは、「効率化するところと時間をかけるところのメリハリをつけていること」と、「スタッフと向き合うこと」だという。
濱口院長が、勤務医から経営者となったいま、一番難しさを感じているのが「人」だ。働く人たちを守るため、働く環境を整える工夫は欠かせない。
くまのなる診療所では、残業が極力無くなるよう、仕事の効率化を図っている。診療所のモットーとして、患者さんや家族との時間はしっかり確保するということがあるため、患者さんに関することは、しっかりと時間をかけてミーティングしている。
一方で、事務作業などにおいては、共有ツールなどITを活用しながら、作業を効率化している。
さらにはスタッフのモチベーションを保つため、ボーナスは歩合制。売り上げが上がれば、それだけともに働く仲間に還元している。
もう一つの工夫は、定時の17時15分にスタッフが業務を終えられるよう診療所の受付電話は16時で留守番電話設定にしていることだ。
緊急時の連絡先は患者さんや介護関係者にはすでに伝えているため、急用でない案件は夕方に対応せず、スタッフの働く環境を整えることも重要視している。
この地域で唯一の在宅診療所であることから競合がいない。
「在宅の文化を自分たちでつくれる」と濱口院長はポジティブだ。
通常業務以外の時間が「出来ることの幅」を拡げている
こんな取り組みも行っている。
通常の訪問診療は、毎月第1・3週、第2・4週と基本的に隔週で行っている。第5週があるときは、「地域のため、診療所のためになることを自由にしてください」という日にしているという。
亡くなられた患者さんの自宅を訪れ、家族に寄り添うグリーフケアを行う看護師や、スタッフみんなのために昼食をつくる人など行動は様々。
それぞれがより良い医療を提供するために何が必要なのか、地域のために自分は何ができるのかを考える機会にもなっているのだろう。
また、スタッフ全員で在宅医療がテーマの映画を観にいったことも。
濱口院長は「コロナ禍で会食が難しい中、違った方法でスタッフみんなが共有できるものや機会を積極的につくっている」と語る。
やりたい医療を実現するため必要最小限のコストでスタート
くまのなる在宅診療所には、イニシャルコストがほとんどかかっていないという大きな特色がある。
診療所を開業するにあたり、その土地と建物代は全て地域の住民が費用を負担してくれたのだ。
『在宅医療がないこの地域で在宅医療をやってほしい』というその住民の想いを大切に濱口院長たちは診療を続けている。
そして、駐車場12台分を含む診療所を月5万円で借りている。
これも住民の厚意だ。
濱口院長は「こんなことは本当に異例だ」と語る一方で、「医療経営においてイニシャルコストを低くすることが大事」だと話す。
例えば、在宅医療を提供する診療所は普通の事務所で十分、極端な話、民家でも始められるという。
初期投資に多く費やしてしまうと、回収しないと立ち回れなくなる、何が何でも回収しないといけないという考えになってしまう、だからこそ初期費用をいかに下げられるかということは医療経営において欠かせないポイントだという。
医療以外でも力になりたい 地域貢献への想いは欠かさない
濱口院長、医療の分野とは異なるこんな取り組みも行っている。
それが小学生を対象にした「くまのクエスト」というウェブサイトの立ち上げだ。
お金について考える力やチャレンジする力などを育むことを目的にしているサイトで、子どもたちに自身の将来について考えてもらうきっかけにしたいとの願いが込められている。
クラウドファンディングを活用し、寄せられた50万円の資金をもとに立ち上げた。この活動には、医療関係者だけでなく、様々な業種の人たちが携わり、「地域の総戦力」で行われているのだ。
サイト:くまのクエスト
また、濱口院長が大切にしている取り組みがある。
それは「自分はどうやって生きていきたいか、どう最期を迎えたいか」を多くの人に意思決定してもらうための啓発だ。
多職種連携でどう啓発していくか、福祉、介護、医療関係者らが集まって会合を開き、実例を挙げながら意見を交わしている。そして家族との関わり方も考えている。
「万が一のときに判断が変わってくる。家族や関係者を含めてどうしたいのかを話し合うことが大切」だと濱口院長は強調する。
これらの活動は住民たちに『考えるきっかけ』を生み出している。
濱口院長は地域との接点を大切に「地域に根付く診療所として、地域に貢献できることを医療以外の分野でも広げていきたい」と考えている。
地域での医療は、都会よりも密な人間関係が魅力
濱口院長が考える地域医療の魅力とは何なのだろう。
大都市の病院勤務の経験もある濱口院長は「地域での医療は、都会よりも密な人間関係が魅力だ」と話す。
この地で開業して、医療だけでなく福祉・介護など他業種の人たちとの繋がりも、どんどん広がっている。そして、何かやりたいことがあったとき、比較的実現しやすい環境だと語る。
2021年3月に仲間に加わった大森直美医師は、カフェを開きたいという希望があった。そこで、これまでに繋がりを作っていた地元の社会福祉協議会などと連携して、社協がこれまで開いていたカフェスペースを活用し、他業種の人たちや地域の人たちが集まり交流できる「ドクターズカフェ」を7月から月に1回行うことが決まった。
大森医師が働き始めてから約3カ月で自身の望むものが叶ったのだ。
このカフェをきっかけに、さらに繋がる輪を大きくし、意見を交わすことで、よりよい地域づくりや医療の提供につながるのではと期待を込める。
やりたいことが早期に一つの形になる。これは、横との繋がりが広く、かつ強い地域だからこそなのかもしれない。
これからの地域医療は今ある資源の相乗効果がカギ
濱口院長が、約6年前にこの地域に戻り感じているのは、「田舎に医療従事者が増えればいいが、そううまくはいかない。いまいる人材、戦力でどうやっていくかを考えることも大事だ」ということ。
濱口医師はこれからの夢をこう語る。
「医療だけでなく、観光、宿泊施設、飲食など様々な分野の人たちとネットワークをつくり、地域全体で受け皿になる仕組みをつくる。そして、この地域で生きていきたいと思う人たちが、何らかの形で地域に関われる仕組みをつくっていきたい」と。
医療従事者に対してもそうだ。
医療を行う上で、様々な考え方や物事を知っておくことはとても大事で、ボランティアや他分野の副業などもしながら、ともに共有しあえる街であったら、この地域で働くことも面白そうだと思ってもらえる一つのきっかけになるのではと目を輝かせる。
地域医療は可能性が無限に広がるクリエイティブな世界なのかもしれない。
次回は、濱口院長が他業種連携を大切にする理由について聞いた。