前世の話1巻と、死にそうな気持ちの話
ちょっと待ってくださいよぉ!!
自分心の準備はできてましたけど、でも自分の思ってる心の準備と深層心理での心の準備って違うじゃないですかあ。
はいじ先生の唐突な右フックに耐えられるように自分今サンドバックに砂詰めてたところじゃないですかあ、なんで、なん、何っで……もお馬鹿野郎がよ!!!(憤怒)
自分、前世のない俺の一度きりの人生の一巻をようや読了しました。それはもう、クッソ長い上下巻のうちの一巻ですとも。612ページよ。
で、この作品についてつら厚らとブログを書いてきて、一巻の終了とともに一巻のブログも締め括られるわけですが、なんというか、一巻のラストにとんでもねえ事実をぶち込んできやがりまして、俺今2巻に至る前にこうして腹の内側の思いの丈と言いますか、まあ自分の棺ないし墓穴を掘っているわけなんですけど。
はいじ先生がおっしゃっていましたね。この本は児童書を目指しましたって。
ええ、ええ、もちろん装丁もさることながらイラストレーター様の描く登場人物も、今からドキドキワクワクの冒険ファンタジーが待ってるよ!⭐︎みたいな空気を醸し出してます。
あとがきにもハリーポッターのようなって書いてありましたからね。
でもはいじ先生の過去作、ソードクエストシリーズを読了済みの俺は最初から中身をいい意味で信用していなかった。
だってはいじ先生だもの。
言うなればピスタチオ味のマカロンに挟まれたわさびばりのギャップで泣かせにくることは最初からわかっていた。
だから全然信用してなかった。あと、俺絶対に過去の経験から察するに攻めであるウィズ(前世の名前はオブ)を助走つけて殴りたくなるだろうなって。
そうしたらやっぱり俺の読みは正しかった。ただの感動とかそう言うんじゃない一巻は。泣かせにかかる前準備だろうに、本格的に読者の情緒を殴るのは2巻からだよって空気を醸し出している。わかりますかこれ、要するに一巻は読者の情緒への殺害予告です(物騒)
一巻の構成は過去と現代が交差しながら進んでいく。ウィズ(オブ)とアウト(イン)が前世で交わした言葉の数々を、前世の記憶がないと言い張るアウト(イン)がウィズの前世の記憶をなぞるように無意識に惹かれていく話。なんか合いの手みたいになっちゃったな(困惑)
酷い話だよ
「俺前世の記憶がないんだ!」と言うアウトに、ウィズは葛藤を心にしまい込んでまで「アウトはアウトだ」って感じで受け入れたのだ。それなのに、ウィズの前で繰り出される様々な記憶との重なりを、アウトはまざまざと見せつけてくる。そりゃあそうでしょう、だって記憶の中のインはウィズのものだけど、現段階ではそれ以上でも以下でもない。
目の前に探し求めてきたものがあるのに、触れられもするのに、一緒に大切にすることができないんだから。
今のアウトとの日々は確かに楽しいし幸せだろうに、ウィズはそれを確かに噛み締めているというのに、少しでも間違えたら全てがダメになる恐怖と常に隣り合わせ。心と前世が渇望するインであることの肯定は、同時にアウトのしてきた努力をウィズが否定することになる。
クソもどかしいいいいいい!!え?クソもどかしいいいいい!!!!!
過去作のソードクエストシリーズの攻め達であるヒスイや初代様に関しては精子からやり直せと思うほど気持ちのいいクズっぷりからの、受けによる完全善意無意識制裁によって崖からつき落とされて、おのが来た道を振り返る的な爽快感(しかし攻めに対してざまぁ的な爽快感を得るBLというのも随分と珍しいが)が新境地でクセになった。
だけど今回の攻めはなんだ!?もどかしいのは性根の女々しさ──── とはいえど前世を知らねばただのスパダリなのだけれど──── が故のじれじれかと思っていた序盤の俺、ちょっと公園の土食って反省してきなさい。
あと俺はありがたくも作者のはいじ先生と直接連絡を取り合う中なのだが(唐突なマウント行為)
「いまだかつてないくらいウィズが焦ったくて憤怒の極み、なお前世のオブの方が物凄く積極的なのはなんなんですか、いい加減にしてください現世」みたいなニュアンスの文句を言ったばかりなんですよねえ、
はいじ先生見てますか。あの時「ほんそれww」みたいなことおっしゃって同意してくださいましたけどね、俺からすれば「てめえあれだけ言ったろ、何がリアルタイム感想じゃ調子乗ってんな殺すぞ、今の俺を見ろ、満身創痍だよ。全然避けられへんかったはいじ先生の無保険プリウスミサイル」って憤怒極めているこの現状。
きっとはいじ先生は自軍で右打ちわの高みの見物をする戦国武将のような立ち位置でごらん遊ばされているのでしょう???
刮目せよ俺の死に様を。あれだろ、こういう時に使うんやろ俺の屍を超えていけって。
あのな、流石に一巻の感想を二、三記事書いたけど、俺も一巻のエンディングに至るまでの怒涛の展開にネタバレ控えめフィルターをかけざる終えねえのよ。
先生は気にしなくていいよんと言ってくれはったけどそういう問題ではない。だって、そうしないと読者もわからんやろこのだいきちの胸の苦しみを。味わって欲しいこのいい意味での消化不良でゼエゼエいう感覚を。
何回も言うけど、何回でも、言うけど
これは児童文学の顔をしてるけどそんな可愛らしいファンタジーなんかじゃないよ。はいじ先生があとがきで可愛らしくキャッキャしてたけど、あのあらすじを聞いているのは死にかけの俺。想像してごらん、新年早々娘夫婦が子供を預けて出かけたせいで、餅が喉に詰まっただいきちは大ピンチだ。体と心は必死で救急車を求めているのに、頼れる第三者はなぜか「あとは頼んだ」と託された物心付きたての孫のみで、だいきちがのたうち回っているのを「楽しそうにしているなあ」と無邪気に笑って手を叩いて眺めている。それがはいじ先生で、瀕死なジジイが俺だからね。(マジで的確な表現だと思っているので異論は認めん)
ああああ!!!でも本当に、いい意味で昨今のBLとは一線を画すと思う。人気ジャンルだと大体転生ものか、悪役令息、溺愛系、スパダリに各種バース系。普通はどれかに分類されると思うんだけど、これはどれにも分類されない。タイトル通り、現世と前世の話が交差し、読者は彼らの記憶の邂逅を果たすわけだ。つまり、没入すれば没入するほど特大メギドラオンを喰らって死ぬみたいな感覚(唐突なるペルソナ)
主人公のアウトが、作中で女史アバブより賜ったスキル、ギョウカンヲヨム。これを呪文のように呟いてくるせいで、行間内に住所移しがちな俺はもう息も絶え絶え、わかった、わかったからもうこれ以上はやみてぇ!!!!ってなっていた。
とにかく伏線を張り巡らせるのが上手いはいじ先生なので、徐々に出てくる新しい登場人物の全てが敵対対象、何かの弾みでこいつらの言葉とアウトの台詞回しが化学反応を起こして、急にトラップ魔法が発動してくるんじゃないかと警戒しながら読むはめに。
おかげさまでくらいました、喰らいましたよまず一発目に罠を仕掛けやがったのはアウトの弟であり騎士のアボードの知り合い、
トウ!!!!!!!!てめえだ!!!!!!!
まじお前は一生酒を飲むな。こう、特にお前の中で消化しきれないことが発生してしまった時期なんかは一滴も飲むな。
お前が!!!!酒の力に飲まれて余計なことを言わなければ!!!!俺の情緒は狂わずに最後まで駆け抜けていけたかもしれないのに!!!!なんでだあああああトウ!!!!てめえ!!!てめえだけは許さん!!!!!!!!!(CV藤原◉也)
ありがちな展開というよりも、個人的に上手いなと思ったのは、このとんでもクソ野郎爽やか騎士トウという男。アウトの弟であるアボード同様精神的にも強く、周りをよく見て行動するような、上司として(バイを除く)部下からの信頼を勝ち得るようないい男なのだ。
そんな男の心が、大きく揺らいでしまった。一度自分でアウトの前世について言及しない制約を己自身に貸したのにだ。つまりトウ(は実はフロムと言う前世ではインの妹に恋をする友人)はそれほどまでにインを忘れずに焦がれていたと言うことになる。
しかし忘れてはいけないのは、トウはオブについても出会い頭のアウトに話している。
そしてトウが己の制約を破りアウトを追い詰めたことはどっし難いが、よくよく考えてみればこの場所はウィズの酒場なのだ。つまり、目の前に前世からの友人であるオブがいたことによって、トウのタガが外れてしまったのは致し方ないのかもしれない。
まあ俺からしてみれば作中でアウト(暫定前世はイン)の起こす行動や発言の一つ一つにその片鱗を滲ませているのに対し、ウィズが「いやこれはインじゃない、インへの気持ちをアウトに重ねるべきじゃない。」みたいな具合に捻くれた心の葛藤を繰り返すゆえの行動をとったと思っているので、トウの発言で答え合わせができた時点で思考が停止したのも頷ける。
だけどウィズが自分の心に素直になったところで、おそらくアウトに嫌われたくないだろうから結局は気が付かないふりはするのだろうけど、作中でウィズのアウトに対する揺れ動く真理というのが日常生活表現を介して綿密に描写されているからこそ、この場面が物語の転機として生きているのだと思う。つまり読者の情緒はこれまでに張り巡らされた伏線によって激しいく掻き乱される準備は整えられているのだ。俺はこのシーンが一つの山場だと思う。
言うなれば真っ白な氷上を歩いていたら唐突に現れるクラックに落とされるくらいの衝撃。しかも秀逸なのは、その後のアウトの心理描写なのだが、
これは個人的にはアウトに感情移入をしていた俺はリアルな動悸に死ぬかと思った〜!!
トウから与えられた一つの可能性を前に、ウィズとアウトで当然現れる感情が違うわけだが、アウトのこの場面はとにかく読んでほしい。ここでは深くは語らないが、俺はアウトの性格からしておそらくウィズに対する悔いもあるんじゃないかと思った。不本意に巻き込んだとかそういう類の。全然自分は悪くないのに、自分が関わった途端に小さなことでも自分を追い詰めちゃうような、そういう自己犠牲が滲むシーンとして受け取った。
目の前にアウトがいたら、それはもうアボードに肩を並べるくらいの勢いでしっかりしろと背中を殴る自信があるよ俺はあ!!!!!でも読み手はそんなことは当然できない。むしろ、読者にここまでの、
なんで力になってやれないんだ俺は!!というウィズとはまた毛色の違う葛藤を植え付けられてしまったわけである。
だから俺は没入してしまったのかもしれない。ウィズの葛藤も俺の葛藤も総じてアウトのことに対してだから、おそらくあの瞬間だけはウィズと美味い酒を飲み交わし、「お互い意識を向ける相手が頓珍漢な上に自分を蔑ろにしちまいがちだから苦労するな」とか第二の攻めのように振る舞っていたかもしれん。
酷いやはいじ先生!!
いくら俺がコミュ力爆発して誰でも友達になれるからって、流石に本の中まで本体は赴けないよお!!!!
何より行動に移したウィズが、アウトに対し前世からずっと思い続けてきたであろう幸福についてを語るシーンがある。
そのセリフがあまりにも良すぎて死ぬかと思った。ウィズとオブが重なって、そして長い年月ずっと秘めていたであろう言葉をアウトに口にするんだが、まあこれがどえらくグッとくる幸せについての話。
でも、アウトの気持ちを考えると、素直に萌えを享受することができない。何が悲しいかって、こんなに美しいシーンなのに、この瞬間のアウトは間違いなく置いてけぼりなのだ。
それは物理的になんかではなく、どちらかというと精神的にだろう。
だって、ウィズにここまでさせる前世のインとい存在が、悲しきかなアウトの心の足場を狭めているからだ。
タイトルを読んだ時から。この作品はとにかく難しいストーリーになっているんだろうなと思った。それでもアウトの中のインを取り巻くキャラクターの心情描写が何気ない日常からも醸し出されるように実に秀逸で、だからこそ読者は苦しくなる。
アウトがまだ一人のアウトとしていられた頃と、周りが無意識に求めるインであるべきアウト。状況描写もさることながら、とにかくアウトの心の変化は本人の無意識のうちに始まっていたんだなというのが中盤以降は特に顕著に示されている。
なので、後半にかけてのアウトは序盤の快活な様子から一転する。しかし、描写や台詞回しから読み解く限り一貫してアウトはいつも通りを振る舞うように、ストーリーは展開していく。だからこそ着目すべきはアウトの行動の変化だ。
個人的には、最初のアウトはウィズの酒場に憧れて自分の部屋を彩るようになった。しかし後半は、まるで自分らしさを探しているかのようなシーンがところどころに見受けられた。具体的にこのシーン!というよりも、キャラクター同士のやり取りから感じるアウトの必死さの色合いが序盤とは大きく異なるように感じた。
確立していたはずのアウトという存在は、熱心で、細やかにメモをとり、自分お気に入りを視覚的に増やしていく。そんな存在。だけど後半は、なんとなくアウトの中のインに、ウィズを取られたくないという必死さがどんどん現れてくる。
それはもちろん作中に挟まれるオブとインのやり取りもあるからかもしれないが、アウトの過ごす日常はいつも通りの時の流れを刻んでいるはずなのに、アウトだけが焦燥に駆られるように五里霧中の最中にいる。
自分の居場所を奪われる恐ろしさは筆舌につくしがたい。アウトがアウトであるべき世界が揺らぐんだから。
それなのに、普通を振る舞う様子が描かれている。何も考えずに読めるカジュアルな筆致だからこそ、いつも通りを装える。
アウトとしてインを受け入れる勇気を準備する前に、周りがアウトの気持ちだけを置いて進んで言ってしまうようなもどかしさがずっと続く。
もしこの世界に前世というものがなければ、きっとアウトはここまで苦しくなかったんやろうな。でもこういうキャラクターの確かな肉感部分があるからこそ、はいじ先生の本は面白いのだと思う。
ネタバレをしてもいいよとは言われたが、
やはり新規読者には俺と同じ苦しみを味わってもらいたいところである。
この世界に引き込まれたら、一体どの立場で感情移入するかでも感じ方は変わってくると思う。それに、確かに長い作品ではあったが、読了ごの満足感というものは一本の映画を見た後と同じように感じた。
え、これがまだ一冊あるだと??
はいじ先生いわく、2巻はちっとやばいかもしれんとのこと。